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♬ シニアが数学のカンファレンスを覗いてみた in Boston

#創作大賞2024 #エッセイ部門


 タイトルを見て「数学のカンファレンス・レポート」だと思われた方にはガッカリ?させてしまうが、これは数学という学問についての話ではなく、数学とは全く無縁の女性が覗いたカンファレンスの体験記である。

 旧知のアメリカ人数学者の80歳誕生日カンファレンスが、緑の美しい季節のボストンで5日間開催された。カンファレンスはハーバード大学のレクチャーホールで、バンケット(宴会)はMIT(マサチューセッツ工科大学)のサロンで、そして音楽パーティー(musicale)はハーバード大学の学生寮のリビング・ルームで行われる大きなカンファレンスである。この長老数学者の教え子達による主催で、私は幸運にも音楽パーティーの幹事の一人としてこの大きなイベントにもぐらせてもらった。
全て数学者達による企画構成準備の中で、私一人だけが数学者ではない。しかも数学を苦手にしているシニアである。私の専攻は音楽なので、音楽パーティーで使う楽譜を揃えたり伴奏が必要な場合にはお役に立てるかもと思い、旧知の数学者へのお祝いの気持ちでお手伝いを志願した。主催者や音楽パーティーの幹事とは何度も面識があったが、お祝いされる80歳の長老数学者の推薦があって私は幹事の一人になれたと思っている。ハーバード大学やMITへ通ったり数学者の主催者や幹事と何かを一緒に出来るのは、私の人生で最高のそして最初で最後の経験になるだろうと勝手に期待は大きく膨らんでいく。他人の褌で相撲を取るとはこのことだろう。

 数学といっても多岐に渡る専門があり、このカンファレンスは「組み合わせ論」を主に扱うらしい。この80歳の長老数学者は「組み合わせ論」のパイオニアの一人と言われており、豪華なゲストスピーカーによるカンファレンスなので、参加人数を約300名と想定してカンファレンス会場とバンケット会場を探す事から始まった。もちろん開催場所を決める前に、あらかじめハーバード大学とMIT、そして全国科学財団(The National Science Foundation)のサポートの目処がついてからの話ではある。全国科学財団の基金額はこの長老数学者のキャリアと功績によって財団が決めるものらしい。加えて主催者は財政に欠かせないスポンサー探しも始める。そして「この長老数学者の名前のカンファレンスによる基金」も創設された。今回のゲストスピーカーは20名で、その内の5名は海外からである。ゲストスピーカーには飛行機代と宿泊費をこちらでお支払いをするのがカンファレンスの慣わしだそうだ。参加者も世界各地からいらっしゃり、大学に勤務している人は大学から研究費として費用を出してもらえる事もあるが、自腹で参加する人もいる。特に学生や若手の数学者には交通費(他州から飛行機で来る人も多い)と宿泊費は大きな出費であり、そういう人達はこのカンファレンスの基金を申請する。近隣の宿泊ホテルの紹介とボストン大学の寮($107.30 で相部屋)の手配もある。ボストンはニューヨークと並んで物価は非常に高い。

 これらのカンファレンスの情報はオンラインで公表し、主催者と音楽パーティーの幹事間で登録者の情報をスプレッドシートで共有する。そこには申し込んだ日時・名前とメールアドレス・どこに所属しているか(大学、研究所など)・長老数学者の卒業生か・基金を申請するか・ボストン大学の寮を希望するか等の登録者の情報が書き込まれている。実に合理的で費用もかからず時間もかからない。主催者は基金希望者の現状によっていくらのサポートをするのかを判断するが、おそらく$200〜500であろう。幸いな事にこのカンファレンスは合計8件のスポンサーを得たが、全国科学財団の基金は学術のみに使用されるので、バンケットや音楽パーティーの費用は他の寄付で賄わねばならない。バンケットだけでも約300人の費用は相当な額である。今回はお祝いされる長老数学者の元生徒さんの一人が2年前にMITの数学学部に大口寄付をしたそうで、今回はその寄付の一部をバンケット費用、そして音楽パーティーのリフレッシュメント(軽食)代に当てるという。大口の寄付とは一体いくらなのかこっそり聞かせてもらうと$2,000,000 (日本円が安くなっている現在で言うと約3億円)!個人の寄付の額が大き過ぎて全く実感が湧いてこない。その寄付をした人は日系二世の大変謙虚な50代の女性で、自分が大口寄付をした事など微塵も感じさせない方だった。彼女は音楽パーティーとバンケットの見積もりとその手配、当日の音楽パーティーの下働きのお手伝いも買って出てくれた。本当に頭の良い人は偉ぶらず、本当の富裕層も偉ぶらないと言うのを間近に学ばせてもらった。日常でも寄付をするのが特別ではないこの国で、寄付やサポートを受ける側も「Thank you」とだけ言って遠慮なく受け取る。実に爽やかな行動である。

 日時と場所とおおよその参加人数が決まりだしたら、いよいよ音楽パーティーの幹事の仕事が始まる。ボストンは非常に文化的で音楽の盛んな所であり、私が長老数学者や主催者、幹事と出会ったのも個人の家の音楽パーティーだった。バンケットの余興として音楽を入れる事はあるが、最初から別枠で音楽パーティーを組み込む数学のカンファレンスは今までなかったらしい。夜7時から10時までハーバードの学生寮のリビングルーム (通称JCR ジュニア・コモン・ルーム。定員120名) を押さえたが、この部屋にはスタインウェイのグランドピアノがあり、居心地の良いソファー席で飲食が可能である。早速カンファレンス申込者全員に、音楽パーティーのお知らせと参加の有無、同時に演奏を希望する人の登録を始める。演奏希望の場合は楽器の種類・コーラス参加の有無・希望曲名と演奏時間をスプレッドシートに書き込んでもらう。するとお知らせしたばかりにも関わらず、直ぐに予定する演奏時間を超える演奏希望登録があった。申し訳なくも演奏希望を早々に締め切らねばならない。
 演奏希望曲も非常にレベルが高く、室内楽(ピアノトリオ・チェロソナタ・ピアノ連弾)、ピアノ・ヴァイオリン・ギター・アコーディオンのソロ、そして目玉は有志によるコーラスである。あらかじめ長老教授に好きな曲を幾つか挙げてもらったものと、コーラス参加者がリクエストした曲を投票して決める。幹事達は候補曲の全ての楽譜とYouTubeからのビデオをスプレッドシートに添付してコーラス参加者に公表した。楽譜を揃えるにあたっては、どの調が歌いやすいか、原語(ドイツ語やラテン語)で歌うのか英語の訳詞で歌うのかも考慮して音源をYouTubeで見つける。彼等は音楽家ではないので耳から覚えてYouTubeの音源と一緒に練習する人もいる。
 そのコーラス曲の投票結果はちょっと意外なものになった。ワーグナーのオペラ「タンホイザーの巡礼の合唱」、学生歌から「Gaudeamus igiture(諸君、大いに楽しもうではないか)」「Bright College Days(気楽に過ぎていく日々)」の2曲、それとボブ・ディランの「風に吹かれて」と「バービー・ソング」の楽曲に数学者あるあるの特別な詞で替え歌にするという、バラエティーに富んだ計5曲である。しかし楽譜を見ると歌詞を英語翻訳した楽譜がYouTubeの音源の英訳と異なっていて、結局英語訳詞を楽譜に書き換えねばならない。また数学あるあるの替え歌の歌詞は私には全くわからないので元生徒さんに手伝ってもらった。その人によるとボブ・ディランのオリジナル歌詞は3番までだが、数学者あるあるの歌詞は長老数学者の為に書かれたもので10番まであるそうだ。今回はその中から3つの替え歌を選んで書き込んでくれた。20年前の長老数学者の60歳カンファレンスのバンケットで初披露されたと聞くが、当時の楽譜も録音も残っておらず一からの作業になる。元生徒さん達にはこの替え歌は特別に意味のあるこだわりの1曲である。
 演奏者は最高齢の86歳から20歳代で、そこには教授も学生も垣根はない。しかしプログラムを作るのは大きな問題があった。音楽レベルの違いやクラシックからポピュラー、フォークソング等をまとめるのは、楽しくもあるが頭を悩ませるものだった。またステージに次々出て演奏するコンサートではなく、家庭のリビングルームでくつろぐ雰囲気を作るには時間の配分も考慮しなければならない。なにより数学者の音楽好きが沢山集まり、またそのレベルの高さに音大出の私も羨むほどである。この中には数学者であり音楽家(作曲家・ピアニスト・オルガニスト)としても活躍されている人が3、4名いらっしゃる。一体彼等は専門の勉強の他に、非常にレベルの高い音楽をどの様に身につけているのだろうか?京都賞受賞者やチェスのギネスを持った人、オペラの作曲やオルガン・コンチェルトを作曲した様な天才達である。彼等の行動から何かヒントがないのか目が離せない。
 観客も登録者のみと書いたが、既に定員は少々超えている。幹事の一人が面白い事を言ってきた。通常アメリカ人はパーティーに遅れて来て、いつのまにか帰る人がほとんどなので定員以上にはならないだろうと。定刻に来て最後までコンサートを聴くのが常識である日本人には、なかなか思い付かない発想に思わず笑ってしまう。規則や時間に捉われない臨機応変な考え方は大変参考になる。

 忘れていたが私自身の英語能力が非常に低い事を白状し損ねてしまった。そもそもそんなポンコツがお手伝いをしたいと申し出る事からして非常識で、私も大変だったが他の幹事達は私の面倒も見なくてはならずもっと大変だったと察する。
次々に届く主催者と幹事からのメッセージに加え、演奏参加者とのメールのやり取り、そして音楽のリサーチを一日中スマホを使ってやっていたので、すっかり目が霞んで見えなくなってしまった。この準備段階では私は日本にいたのだが、ボストンとの時差(13時間)もあり朝起きると既に多くのメールが来ていてパニックである。幹事間の返信に返信を繰り返したメールに新しいメッセージが加わって、どれが重要でどれが重要でないのかも直ぐには判断出来ず英語に振り回される毎日が続いた。読み残しのメールや返信忘れがあるのではないかと心配が積もり夢にまで出てくる。これが自分のコンサートならミスをしようが大した事はないが、長老数学者の国際カンファレンスに迷惑をかけたり傷つける事になるのを最も恐れていた。楽しい音楽パーティーのお手伝いのはずが、だんだん楽しいよりもストレスの方が強くなってきたのを感じる。そして幹事という仕事の重さに改めて気が付く。いっそ私を幹事から外してもらい、ヘルパーとして私にできそうな事を割り振ってもらいたいと心底思ったのはこの時期だった。しかし彼らは非常にフェアーで逐一私の意見も聞いてくる。これがアメリカ流のやり方なのだと、ぼやけて見えなくなった目とヘトヘトになった頭とストレスの重苦しさを抱え、一人日本で孤独を感じていた。しかし…こういう積み重ねの過程こそ知りたかったのではないか。美味しい所のつまみ食いでは見えない、隠れた背景を知りたいと思って志願したはずである。当初の長老教授へのお祝いの気持ちと幹事を志願した時の情熱をもう一度奮い起こして、とにかく最後まで付いて行こうとボストンへ向かう。


 ところでハーバード大学には音楽学部があるのをご存知だろうか?検索すると「音楽の多様な文化・歴史的背景に基づく作曲、理論、分析、批評を学ぶ。大学院では音楽学、民族音楽学、音楽理論、作曲でDMA(音楽博士Doctor of Musical Arts)とPhD( 哲学博士Doctor of Phylosophy )の学位取得コースがある」と書かれている。演奏を主に学ぶ音楽学校とは違う音楽のアプローチである。因みにMITは人文・芸術・社会科学部の中に音楽専攻があり、クラシック、ジャズ、ワールド・ミュージックで大学課程のみで「過去を知り良き未来を創造する音楽+工学/科学専攻」というキャッチコピーにMITらしさが伝わる。
 音楽パーティーで弾くピアニスト8人の内、ボストン在住以外の4人はピアノの練習が必要でハーバードの音楽学部の練習室を借りる事になる。しかし練習室を借りる為には誰かにハーバードのIDカードを貸してもらわねばならない。普段は使えないハーバードの教室やリビングルーム、音楽練習室をまるでハーバードの学生になった気分で使わせてもらう。私が幹事になる時に期待していた事が現実に今起こっているのだ。
 因みにハーバード卒でプロの音楽家になった人には、指揮者で作曲家のレナード・バーンスタイン、チェロのヨーヨー・マ(人類学専攻)、ヴァイオリンの五嶋龍(物理専攻)、廣津留すみれさんなどがいらっしゃる。彼等がこの練習室で練習していたのを想像するだけでも鳥肌ものである。

 音楽パーティーはカンファレンスの2日目の夜7時から始まる。当日は開始の2時間前から場所を借りていたので、ピアノを弾く人を優先にスタインウェイ・ピアノの感触を掴む時間をとった。その間に幹事とサポーター達はリフレッシュメントの準備にかかるが、この建物に入るにもハーバードのIDが必要なので、ドアの内側に2人の人が待機して参加者が来るたびに内側からドアを開けなければならない。まるで高級会員制クラブの様ではないか。カンファレンスは5時に終わるので、ディナーを充分楽しんだ後に観客はここに寄る流れである。
音楽パーティーは時間通りに始まった。満員盛況で上々の滑り出しである。ウイーンからいらした数学者はピアノがプロ級に上手なのは数学者間で有名な話だそうだ。その彼がラグタイムのピアノ曲を選曲した。この知らない曲を検索したところ、作曲者の解説はあったものの作品リストにこのラグタイムの曲名は載っていなかった。ところがこのカンファレンスのゲストスピーカーの同姓同名の数学者が作曲した曲だったのをなんと本番中に気がついた。ウイーンの数学者があえてこの曲を選んだ理由もやっと理解した。しかもその作曲者は私の目の前にいらっしゃるではないか!思い切って声を掛けて、どの様にこの楽譜を手に入れられるのか尋ねてみた。すると数学者の作曲家が、最後のコピーを今持っているので差し上げましょうとおっしゃる。厚かましくも私の名前宛にサインもお願いしてしまった。

 音楽パーティーは一旦始まると100m競走の決勝戦の様にあっという間に終わってしまった感じがする。あまりに居心地が良かったのか、演奏中のおしゃべりが賑やか過ぎて演奏者に申し訳なかったのを認めよう。しかしカンファレンス中にリラックスしてもらい、交友を深める場にしたいという当初の音楽パーティーの役割は、大いに果たせたのではないかと思う。プレッシャーから解放されて心地よい余韻に浸っている自分は何と幸せだろう。思い返すと結局やりたい放題やって一番楽しんだのは私だったのかもしれない。音楽が取り持ってくれたお陰で、私は今ここにいる。

有志による即席コーラスメンバー
ピアノトリオ



 肝心の数学のカンファレンスだが、私はこれには一切関わっていないので一般人(数学者ではないという意味)の出席者としての感想になる。数学は全く苦手でしかも英語なので出席をしなくても良いのだが、例え何を言っているのか分からなくても、講話(数学では講演と言わずにtalk講話と言う)をする人の話し方、プレゼンテーションの仕方に個性が表れ、それは音楽にも共通する事なので興味がある。今回は一人30分なので、苦にならずに結局全ての講話に出席した。顔見知りの数学者から「あなたももう数学者だね」と言われて照れてしまうが、実際には座っていながら「今日の夕ご飯は何にしよう?」などと考えていたのが本当のところである。それでも周りを見回してみると全講話に出席した人は少ないのではないかと自画自賛する。

熱気に溢れる講話

 このカンファレンスはこの長老の80歳誕生日カンファレンスなので、講話者は長老数学者の昔の写真やちょっとしたエピソードでお祝いを述べてから始める。講話の後には質問したい人が手を挙げるとマイクが渡されるので皆で共有できる。ある時に子供の声がして誰だろうと声の主を探すと、なんと小学5、6年生位の少年が質問している。そう言えば会場に子供らしき人を見かけたが、参加者の家族だろうと思っていた。どうやら子供の参加に親が付いて来たようだ。話を聞くと、父親が数学好きで子供に教えていたら子供の方が父親を越えて数学にハマり、この長老数学者の本も読んでいるそうである。大人の数学者達に混じって全講話に参加し、堂々と挙手をして質問する少年にアメリカの大らかさや平等を感じる。少年の質問が的を得たものだったかは私にはわからないが、数学界の清々しさを感じるワンシーンであった。
 各講話の間に休憩があり、リフレッシュメントのコーナーには飲み物とフルーツの盛り合わせにパンやマフィン、甘いペイストリー等もあり、朝食や昼食を外で食べなくてもここで食べる人もいるようで大賑わいである。また久しぶりに会った仲間との情報交換や、今終わった講話の話、また若い数学者が老教授と話せる社交場ともなる。そこには年齢・性別・人種の壁はない。

休憩のワンシーン



 ゲストスピーカーによる20の講話の他に、長老数学者についての逸話コーナーが2回組まれていて、次々に話をしたい人が壇上に上がる。ショートコントの様にあるエピソードだけの短い話、終わりが見えない長い話、失敗談、未熟な若い時代にもいつも対等に接して数学を導いてくれた話。そう振り返って話してくれる人達も大学教授達である。この長老数学者のお人柄が表れているエピソードにこちらまでほっこりする。日本では事前に頼まれない限り進んで出て行って話をする人をあまり見かけないので、アメリカらしい楽しい逸話コーナーだった。
 またPechaKucha というコーナーもある。ペチャクチャとは日本語ではないか !  日本語で言うペチャクチャは日常会話を沢山喋るという意味だと思うが、英語のペチャクチャには定義があるのを初めて知った。一人20枚のスライドを20秒つまり20x20=400秒(6分40秒)でプレゼンテーションをする決まりがあるらしい。スライドは20秒おきに自動的に切り替わるので、話す内容や構成も相応しいものにしなければならない。このカンファレンスは数学なので20枚というスライドの枚数規定はなく時間制限を6分とした。ゲストスピーカーの中には主催者や長老数学者の教え子達は入っていないので、教え子達によるPechaKuchaセッションは又違った親しみやすさを感じた。PechaKuchaする方は、話のミスするとスライドが自動的に変わってしまうので大変緊張すると言っていたが、聞く側にとっては6分ごとに違う雰囲気を味わえるので飽きずに聞くことができる。

ペチャクチャ・セッション
(得意のステップでパターン表現している)


ゲストスピーカーの一人がサプライズをした。カナダからのスピーカーで、講話が終わる絶妙のタイミングでステージ下から「ヘイ、バービー!」とご主人が声を掛けてステージに上がって一緒にバービー・ソングの数学替え歌を歌い始める。彼女はピンクのスカートにピンクの靴を履いていたのはこの演出の為だったようだ。ご主人もケンの役どころのコスチュームで、最後には会場の手拍子も加わり盛り上がったサプライズ講話であった。バービーの実写版映画(2023年公開)はアメリカで話題になったもので、音楽パーティーでもバービーの違う歌がリクエストされていた。実は今回の私のボストン行きの飛行機で偶然バービーの映画を見る事ができた。私は「バービー人形」という着せ替え人形しか知らなかったが「多様性を重じジェンダー平等に生きる」と言う映画の意味を知ることができたはタイムリーだった。因みにこのご主人も数学者で美男美女の若いカップルである。この様に色々なハプニングや数学者の個性を目の当たりにして、私の頭の中の数学者という堅苦しい古い概念はどっかへ消えて行く。物理学の人は企業との関係があるのできちんとした服装の人もいるらしいが、数学者の服装は全く自由だ。ボストンの6月は楽しい夏の始まりで、半ズボン姿の教授がいたり、おしゃれなトレードマークの帽子をずっとかぶっている有名数学者もいた。ある部分は芸術家に近い気風も感じるが、根底にある論理性は芸術家のそれとは大きく違うと個人的には思う。

講話の後のバービーの替え歌



 バンケットが開かれるMITのサロンは、大きな窓やテラスからチャールズ川を挟んだ向いのボストンの街並みがよく見える絶景の場所にある。お祝いされる長老数学者とスペシャルゲストを含む6人(私もここに含まれている)はカンファレンスの後、一旦帰宅して着替えてから大型Uberで一緒にバンケット会場へ行く事になった。バンケットの前には通常レセプションがあるので、そんなに急いで行かなくても大丈夫と長老数学者がおっしゃる。折悪く夕方のラッシュアワーに巻き込まれ開始時間の20分遅れで会場のあるビルに着いた。入口は人っ子一人おらずシーンと静まり返っている。ひょっとしてMITの違うビルにUberが停まったのではないかと内心思いつつ、バンケット会場のある6階へとエレベーターボタンを押す。
6階の扉が開くと一転して賑やかな声が聞こえてくる。ええっ‼︎ ええっ‼︎ なんと既に皆は食べている真っ最中ではないか! 唖然として入り口に立ちすくんでいる主役の長老数学者と私達に皆が気付いて、一斉に拍手が起こる。まだ状況が飲み込めない私達だが、どうやらレセプションはなくいきなりビュッフェスタイルのバンケットだったらしい。しかもざっと見回してみても主賓用の特別テーブルがない‼︎ どうした主催者? アメリカのパーティーは来た人からどんどん勝手に食べるのは知っているが、遅れてきた主役も悪いが、これは誰の為のお祝いバンケットなのかと少し腹が立つ。親しい主催者が笑って急いで席を作りながら「もう来ないのかと思ったよ〜。華々しい入場でグットタイミングでしたね!」とのたまう。バンケットはかくも印象的なシーンから始まり、美しい夕焼けをバックに賑やかに続いた。このハプニングのお陰で、このカンファレンスのバンケットは笑い話としてずっと忘れないだろう。

MITのバンケット会場。
対岸はボストンのダウンタウン
フェイクの口髭をつけたユーモアたっぷりの長老数学者


 80歳の長老数学者も朝からのカンファレンスと、ゲスト・仲間・元生徒さん達との毎回のランチやディナーは至福の時だったに違いないが、5日間連続はさぞや過酷であったと察する。主催者や周りは長老数学者が最後まで元気を保ってくれた事に安堵して、豪華な5日間のカンファレンスを終えた。そして私の人生最高と思っていたこのイベントも、私の心に大きな財産を残して夢の様に終わってしまった!長老数学者から「8年後に88歳と80歳のお誕生日を一緒に祝おう。ピアノも88鍵だね」と思いがけないユーモアのある労いの言葉を頂いた。

 アメリカの大学の定年は自分で決められる。ある年齢に達したら教授職を離れる人もいるし、80歳を越えても現役の教授の人もいる。そういう肩書に関係なく数学のカンファレンスは世界中で沢山開かれ自由に参加出来る。今ではZoomも公開されるので、頭がハッキリしている内は死ぬまで数学を楽しむことができるようだ。彼らは数学の発想を楽しんでいる様にすら見える。スポーツ・ダンス・音楽等は体力の維持と技術を保つ為の毎日の練習が必要で、継続は簡単ではなく引退もある。一方数学者は寝転がっても(おっと失礼!)アイディアが浮かぶ事もあるだろうし、道具(昔は紙と鉛筆、今はパソコン)も大していらず、場所や時間にも拘らず、お金もかからない。羨ましい限りだが、根本には理解する頭脳と閃きの才能が必要で努力だけでは叶わないらしい。やはり謎の多い職業である。大勢の数学者に接して、数学者がちょっと魅力的に見えてきた気もする。まあど素人の勝手な印象である。


Happy 80th Birthday, Dear Elder Mathematician!


ATSUKO


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