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♬ シニアのトキメキ in Boston


#エッセイ部門 #創作大賞2023

[ 目次 ]

 1. 出会いと再会
 2. 遠距離恋愛
 3. アメリカの生活
 4. 再びの日本旅行
 5. カップルいろいろ
 6. ゲスト
 7. Skype (スカイプ)
 8. 英語
 9. 年を重ねる

                    ♪

1・ 出会いと再会

 私は還暦を目前に人生でやり残していた音楽留学の夢を遂に手にし、怒涛の3年間を終えて帰国していた。留学中の沢山の経験をなかなか消化する事が出来ず、また予想外の音楽家の手の病フォーカル ジストニアを患った事で、ピアノを思うように弾けないもどかしさ、更に日本の逆カルチャー ショックも重なり、空振りの日々を過ごしていた。ついつい「ボストンだったら」と思ってしまうアメリカかぶれの私である。
 日本に戻って2年半程経った頃、ボストンの友人の一人がセミナーで京都に来るという。もうボストンへは行かれないと感じ始めていたので、最後に留学中にお世話になった感謝を伝えに京都へ行こう!その友人は私より8歳上のアメリカ人数学者。ボストンの音楽パーティーに共演ピアニストとして声を掛けてもらった時に、車のない私を乗せて来て欲しいと、主催者がゲストである彼に頼んだのが初対面であった。彼の家が私の住んでいる所に一番近いという理由で白羽の矢が当たったようだ。その時はアッシー君役の大学教授に英語も喋れない留学生の私は恐縮しきりだったのを覚えている。その後も友人を含めて何度も会う機会があったが、別世界の人だと感じていた。私が京都へ会いに行ったらご迷惑ですかと彼にメールをしたところ、大歓迎と返信がきた。

 東京ー京都間は女性専用深夜長距離バスを初めて利用してみる。留学で殆どの私財を使ってしまった為、新幹線代や宿泊代は大きな出費である。それに朝出発の新幹線でも京都には昼頃着くので、この女性専用深夜長距離バスはピッタリだった。早朝に京都に着いたが約束の時間までは充分に余裕がある。温かいモーニング サービス(英語では教会の朝の礼拝の意味なので要注意⚠️)を食べ、まだ人気(ひとけ)の少ない東寺を見学したり、京都駅前にある京都タワーの地下3階にある大浴場で手足を伸ばして湯につかり、「こういう楽しみはアメリカにはないなあ〜」とおひとり様を満喫していた。深夜バスではラフな格好にノーメイク。ここで着替えてメイクをしてから彼との待ち合わせ場所に行く計画だ。久々に英語で会話をする緊張感とボストンの空気を感じられる嬉しさに加えて、地元の東京ではない事が一層私を自由な気分にしてくれたようだ。

 時間通りに待ち合わせのホテルのロビーに着き、内線で彼の部屋へ電話をすると聞き覚えのある声が聞こえて、すぐに彼がロビーに降りてきた。まさか京都で再会できるとはお互いに思っていなかったので懐かしさでいっぱいだが、ボストンとは全く違うシチュエーションになんとも不思議な感覚だ。
早速彼の道案内で美味しい蕎麦屋へ行く。驚いた事に彼のお箸の使い方は私より上手なのを見て、そう言えばボストンではお箸を使う食事を一緒にした事がなかったと思い出す。と言うより二人きりで食事をするのは初めてかもしれない。彼は天麩羅せいろを私は鴨南蛮を注文した。
ランチの後は動きまわらずに済む七宝焼体験を試みるが、小さい部屋での細かい作業はお互いを身近に観察する面白い時間になった。つたない私の英語に対する彼の理解力、七宝焼に使う色のチョイス、手先の細かい作業をあきらめずに終えた根気強さと誠実さに、へえ〜と思う連続だった。途中、お店の人から私達の制作風景を写真に撮ってホームページに掲載しても良いかと尋ねられ、彼は快諾した。焼き上がった七宝焼の作品をお互に交換して、この再会の記念にする。
七宝焼の後は近くのお寺を見学したが、彼は熱心に英語版の解説書を読み、物腰柔らかな見学態度に私は恐れ入ってしまった。彼は日本の文化を尊重し自然に場に溶け込んでいて、アメリカ人であることを忘れてしまう。
夜はセミナー主催のバンケットに私も参加させてもらったが、彼は多くの知り合いの数学者達に囲まれて和やかに話をしている。そんな彼を少し離れた所から見ていると、なんだか心がくすぐったい。アメリカで会っていた時には全く感じなかったこの感情に私自身がちょっと驚いている。今日の一日はとても楽しく、彼と対等にのびのびと接せられたのは、ここは私の母国日本だからだろう。


2・ 遠距離恋愛

 この京都のセミナーは5日間で、彼はその後、中国各地で講和をしつつ4週間も滞在すると言う。長い行程でも元気にしているのか気になって、上海にいる彼にメールをしてみた。直ぐに返信があり私のメールを喜んでいるのが伝わってくる。これをきっかけに彼の中国滞在中に頻繁にメールのやり取りが始まるが、考えてみるとボストンにいた時は要件のみを伝える事務的な短い文章しか書いていなかった。回を重ねるごとにだんだん長文になり、彼の英語表現にも興味深かった。留学中の同級生達の今どきの省略会話や単語とは違い、私の年齢にしっくりくる文章、と言うより分かりやすいシンプルな文章を書いてくれていたのだと思う。考えてみると留学先の先生を含め、私の周りは年下の人ばかりで、この数学者の彼が唯一私より年上の人だったかもしれない。この彼がボストンに戻ってからは、ボストンー東京間で本格的なメールのやり取りが続いた。

 京都でのたった一日のデートから毎日のようにメールをやり取りをして、私の心は大きく変化していった。直にしゃべるより、単語を調べたり文章を読み返す事ができるメールは、私にとっては表現し易い手段であった。それでも二人共このままメールだけでは何とももどかしく、早くも2ヶ月後には私がボストンへ行く事になった。
しばらく家を留守にするにあたって、姉に彼のことを打ち明けた。急な展開にも積極的だった私だが、実は心のどこかで彼の年齢が引っ掛かっていた。その姉はすかさず「あなたも充分お婆さんだわよ」と言うではないか!この一言で吹っ切れた。そう、私達には残りの時間はそれ程多くはないだろう。今のこの気持ち、この時間を彼とシェアしたいという熱い想いでボストンへ向かう。


3・ アメリカの生活

 馴染みのあるボストンという土地に、この様な形で戻って来るとは思ってもみなかった。彼の日常生活はどの様なものか、日々起こるであろう私とのハプニング、そのハプニングにどう対応するのかに興味深々だ。気合の入っている私とは反対に、彼はいつもの自然体で裏も表も見せてくれる。もう少しロマンティック・ムードを演出してもらいたいとも思うが、何よりもすんなり一緒に過ごせている事に私も驚いている。ESTAで入国すると最長で90日間アメリカに滞在できる。

 ある日の昼食にざるうどんを出した。ワサビ、ネギの薬味にきざみ海苔と胡麻も添えた。彼が「タンパク質はどこ?」と思いがけない事を言ってきた!タンパク質を重視しているアメリカ人には、うどんを小皿の薬味で食すだけでは物足りないらしい。彼は日本食を何でも食べるが、チキンやトマトのスープに慣れている舌には、鰹節や昆布の出汁の旨みはまだ分からない。アメリカの寿司店やラーメン屋さんの味が日本の味と少し違うのは、アメリカ人好みになっているからだろう。食器を持って食べる日本食の文化は世界でも珍しく、お茶碗のご飯にお湯をかけて、ふりかけや漬け物でかき込むお茶漬けを「あゝ、美味しかった〜」と一緒にお箸を置く日は来るのだろうか。

 彼は肩書きや容姿で人を見ない。尊敬する。だけど私はミーハーなのだ。自分では絶対に取れない凄い肩書きに惹かれ、彫りの深い顔立ちと足長のスタイル、そして洒落た着こなしに見惚れてしまう。外見が素晴らしいと中身もそれに相応しく素晴らしいと、勝手に期待してはガッカリするのも分かっているが、外見がいい人を見るのは楽しい。私自身は化粧で顔を補修し、少しでも若く痩せ見えする服を着て外見を取り繕っている。ヘアーサロンから帰って来た時、ドレスアップをした時に「どう?」と彼に聞くと、彼はいつも Nice! と言う。否定的な事は一切言わないが、本当に似合っているかどうかの参考には全くならない。時々無駄な事をしているなと思う事もあるが、オシャレはボケ防止になると何かで読んだ。一方彼は、ポケットが沢山付いているカーゴパンツがお気に入りで、どこに行くにも穿いている。たまにはネクタイにジャケットという格好で一緒に出かけたい私には、そういう意味では彼は面白くない。そして私はいつも本質を見られているようで、彼はちょっと怖い存在でもある。

 私はピアノを彼に教えて、彼は私に中学生レベルの数学問題をくれる。彼は幼少期に2年ほどピアノを習って辞めた経験があり、音符も読めるしリズムも理解している。月に1度ピアノレッスンをするのだが、彼は間違ったり思う様に弾けないと、すぐに鍵盤から手を下ろして止まってしまう。間違っても構わず先に続けて弾くことも大事だとアドバイスをするが、これがなかなか難しいらしい。一方私は数学の問題の答えに辿り着いた事に満足をしてしまう。正解の場合は簡単だが不確かな答えの見直しは一層迷路に入り込んで、面倒臭くなり提出してしまう。数学は一つミスがあると先に進めないと言われるが、それ故に彼はピアノを弾く時にも習慣として止まってしまうのだろうか? もう一つ数学者と音楽家の大きな違いがある。音楽家は楽器を買わねばならない。その楽器を練習する部屋が必要であり、レッスン代も楽譜代もかかる。しかし数学者は鉛筆とノートだけあればよし。これは素晴らしい!

 ある日、ボストン在住の日本人と日本の焼肉レストランへ行く約束をした。彼は健康志向が強く赤肉は食べないので、お留守番の彼には彼の好物を作っておいた。「日本の焼肉レストランには海老もチキンもあるだろうから、自分も興味がある。良いディナーを楽しんできて」と玄関先で言うではないか!彼も一緒に焼肉レストランに行きたかったのだ。最初から焼肉だったので彼を誘う事を全く考えなかった自分の至らなさに初めて気が付いた。私が友人と日本語で自由に喋りたいのだろうと彼は遠慮をしていたらしい。そう言えば彼は友人と食事をする時でも、いつも私を誘ってくれていた。彼に寂しい思いをさせた事と、自己中の自分に反省しきりだ。今は私が日本人の友人や同級生と食事をする時でも彼に誘いの声をかけている。私の同級生と言っても彼等はまだ30代後半で若い。何故なら私が60歳手前で留学したので、最初から親子ほどの年齢差がある。卒業後10年以上経ち、彼らは結婚し子供もできて、今ではボストンで頼もしく生活をしている。特に同級生のアジア系のハズバンド達は、シニアの私をお姑さんの様に気をかけてくれている。如何にもアジア的で笑ってしまうが、ボストンに遠い親戚が出来た様で嬉しい。彼はいつもの自然体で彼等と接してくれているが、彼が参加する事で話題が広がり、交友関係も広がる。アメリカ人はパーティー好きと言われるが、こう言う広がりで人脈を作ったり、社会との接点を持っているのだろうか。ボストンでの私達の交友範囲は国籍、年齢を越えてバラエティに富んでいる。

 私は音楽を細々と続けていて、もはや生活の一部であり自分を写す鏡の様な存在である。彼との生活がいかに幸せで恵まれていても、自分自身を見失わない為にも音楽は続けたい。彼は後期だけマイアミの大学で仕事をしている。私はボストンには同級生や音楽仲間が沢山いるが、マイアミには仲間がいない。そこで見つけたのは、演奏家に仕事を依頼できるサイトだ。場所、日時、楽器 又は 歌手のタイプ、イベントの種類などを書き込んで申し込むと、経歴と写真、そしてそれぞれの演奏料金を書いたメッセージが直ぐ来て、その中から相応しい人を自分で選ぶ。実に合理的なシステムで、お陰で私のやりたい企画のコンサートが出来るのだ。マイアミはラテン系の音楽家が多く、日本ともボストンとも違う魅力に溢れている。私はアメリカではヴィザの関係で働く事はできないので、彼のコンドミニアムのラウンジでこれを主催している。そうまでしてでもやりたいのは、アメリカの個性豊かな音楽家達との共演や観客のノリは、日本では味わえない経験でとても楽しい。コンサート後のレセプションの準備も大変だが、顔馴染みが少しずつ増えてマイアミにも私の居場所が出来つつある。音楽に私は救われている。


4・再びの日本旅行

 私が最初に彼の家に転がり込んだ時に、彼は生まれた時からの写真アルバムを何冊も見せてくれた。彼はバツイチである。一方、彼は私の事をボストンで学生をしている時から知っているとは言え、何処の馬の骨とも分からないのはフェアーではないと感じていた。私の事をもっと知ってもらいたいと思い彼を日本へ招待した。どの位日本に滞在できるのか尋ねたところ、7週間と返答してきた。招待はしたものの、私の日本の家は7週間も滞在してもらえる環境ではなかった。1週間だけ自宅で過ごした後は、連絡をとってあった日本の数学者達の幾つかの大学を訪問しながら一緒に日本を旅行することにした。今回は北海道から岡山までの旅である。足を踏み入れた事がない大学の教室で彼の講和を聞き、日本人の数学者達に紹介され、大学のゲストハウスに宿泊するという、私には初めての事ばかりだ。
 大学訪問以外はバケーションなので、色々な所へ行っては面白いハプニングに笑いが絶えなかった。ある箱根の温泉では、男風呂から彼がなかなか出て来ずに心配したが、滝湯、ジェットパス、露天風呂、サウナなど全てを試していたらしい。ところが脱衣所におばさんがいきなり入ってきて掃除が始まり、とても恥ずかしかったという。そもそも温泉の大浴場に一人で入るだけでも勇気がいったと思うが、そこに女性が入って来るなどとはあり得ないと大変驚いている。そう言えば私が子供の頃にお風呂屋さんに三助という人がいて、女風呂のお客さんの背中を流す男の人が入って来ていたのをふっと思い出した。そんな話を彼に言ったら飛び上がってびっくりするだろう。
 秋葉原のメイドカフェにも行ってみた。その日は彼のお誕生日で、証明書を提示すると多くのメイドさん達に囲まれた写真を撮る事ができる。流石に映える写真で、彼は自慢げに友人達にその写真を見せている。
 今回の彼の来日で私の日本の生活を直に見てもらい、私一人では普段行かない所へも行くことが出来て思い出の多い旅となった。


5・ カップルいろいろ

 彼と同い年で仲の良い数学者は港港に美女がいると言われるプレイボーイだった。その数学者が遂にシニアのフランス女性と晩婚をした。どうして彼女と結婚をしたのかと彼が尋ねたら「彼女が数学者だから」と答えたそうだ。私の勝手な推測だが、その数学者は無駄な説明や時間を使わない合理的で建設的な生活を望んだのではないだろうか。私の知らない数学者同士の日々はどんなものか興味が湧く。

 スエーデンの数学者が奥様とセミナーにいらした。その後のディナーで奥様と隣同士の席になり、着席早々「あなた達はどうやって知り合ったの?」と直球の質問を私に耳打ちしてきた。彼女の世界共通のおばさん的行動に私達は直ぐに打ち解けた。彼女は続けて「私達はね…」と話を始めた。日本だと聞くだけ聞いて自分の事は話さない人もいるので、彼女の行動は小気味いい。彼女はアメリカ人で、彼がスエーデンから交換高校生としてアメリカ留学した時に知り合い、高校を卒業して帰国した彼を追ってスエーデンへ行って結婚したという。当時彼は17、8歳で彼女は彼より幾つか歳上である。若い二人の情熱的な国際恋愛に驚くが、彼と私はシニアになって出会い、遅まきながら国際遠距離恋愛をしている。今、私達は同じテーブルで食事をしている。


6・ ゲスト

 「お願いがあるのだけど」と彼が言う。私は彼からそんな事を今まで言われた事がなかったので驚いた。今まで自分はお呼ばればかりしていたが、今度はここに彼らをディナーに招待したいという。彼が初めて私を頼ってくれたのだ。なんと嬉しいこと!ボストンの家はほとんど食器も揃っているが、ここマイアミのコンドミニアムには数年前から大学の後期だけ滞在しているので、二人分の食器やグラスしかない。急遽ワイングラス、デザート皿、ティーセット、テーブルクロスなどを二人で選んで購入する。なんだか新婚気分を味わっている様でほのぼのする。もちろん全力で料理をしまくったのは言うまでもない。これらのディナー招待によって彼のマイアミの交友範囲や関係が分かってきて、更に彼らに私を知ってもらうという嬉しい結果にもなった。彼の「お願い」の一言から始まったが、今ではゲストを招待する事は私達の大きな喜びになっている。


7・ Skype (スカイプ)

 私は数学者の彼を面白がって見ているが、彼から見た何ちゃって音楽家の私はどう見えているのだろう。

私:  私達の考え方や性格は随分違うと思うのだけど、あなたはどう思う?
彼:  全く違う。

間髪を容れずにハッキリと返答する彼の言葉に私は狼狽えてしまった。もっと笑いながら「そうだね…」くらいの予想をしていた私が甘かった。私にはやましさがある。彼は既に仕事で成功して全ての生活が整っている中に、突然私が入り込んできたのだ。私はまるで自分の家の様に彼の家を自由に使い、やりたい放題させてもらっている。彼の立場からすると、自分のスペース(場所と時間)に異物が入ってきた感じではないだろうか?それがもし若いとか美人とか、才能があるとか資産家だと言うのであればそれなりに話は分かる。もし不快なところがあれば遠慮なく言ってほしいと頼むが、彼は何も言わない。軽く具体例を言ってくれればお互いに大笑いをして終わるのに、このままでは後味が悪くてしょうがない。

私: もし私に不満があって別れたいと望むのなら、あなたの幸せを願って私は従います!
彼: もしそうなったら君が悲しむだろう。
私: !!!???

自分が話を振ったとはいえ、思いがけない方向に話が進み重たい空気が漂いSkypeを終了した。この時私は日本にいた。Skypeは正面を見合って会話をするが、今回はこれがよくなかった。成り行きとはいえ、こういう話を簡単にSkypeで話す行動を冷静な数学者は絶対に取らないし、きっとどの様に返答して良いのか戸惑ったに違いない。Skypeを終えた直後に「私はあなたと別れる気はありません」と一言だけメールを送った。誤解を招く様な事は直ぐに正さねば、文化の違いで一層悪化する。彼の方は、自分は別れたい等とは一言も言っていないのに、私がどんどん拡大解釈して「別れても良い」とまで言った言葉にショックを受けていたそうだ。彼がリップサービスやその場しのぎの事を言えないのは充分わかっている。言葉の裏を察しろという日本的な言い回しはアメリカ人には理解できないのだろう。全くバカップルこの上ない。一方的な思い込みの強い私の思考と行動は、数学者同士ではあり得ない無駄なエネルギーと時間であった。遠距離恋愛と文化の違いも重なって、不安な気持ちになる一例である。もっと素直に自信を持って向き合わねば国際恋愛は続かないと分かってはいるが、私の卑屈さは根本的には自分の肯定感を上げないとなかなか直らないだろう。簡単ではない。とにかく幾つになっても恋愛はスリリングで、手を抜けない面白さがある。


8・英語

 私は英語が好きなのになかなか上達せず、最近は日本語の単語すら出て来なくなっているので英語は尚更である。彼がSkypeをずっと続けてくれるのは、お互いの元気な顔を見て安心するのが目的だが、私の英語の勉強の為ではないかと気が付いた。
 英語が世界公用語になって久しいが、今や母国語でない人が話す英語の方が英語を母国語とする人より多いのではないだろうか。特にアメリカは移民国家なので色々な国の訛りの強い英語も多い。私も日本訛りの強い英語だが、上には上がいる。アメリカ人は様々な訛りの英語をよく我慢して理解しようとしていると思う。最近はネイティブの英語が分り辛いと非ネイティブ・スピーカーから言われている。オンライン化が進んで更に世界が近くなり、誰でも英語で喋る様になってきた。想像してみてほしい。もし日本語が世界の公用語になったとしたら、さまざまな国の訛りで日本語を喋られた時、私達はその日本語を理解できるだろうか?更に私達日本人の日本語が分かり辛いと言われたらどう思うのだろうか。今英語という言語がそのようになりつつある。改めてアメリカ人が母国語でない人の英語を理解しようとしている姿勢に頭が下がる。

9・ 年を重ねる

 私達が出会ってから既に10年以上経つが、年齢を忘れて豊かな時間を持つ事ができた。しかし私は自分の能力の限界を感じ始めている。アメリカは間口は広いがその先は実力主義なので、仕事や生活は心身共にタフでないと生きていかれない。私はアメリカ人の寛容さと前向きで明るく元気なところが大好きだが、最近のアメリカは二分化されてきて治安も悪くなり、差別も表面化してきた様に感じる。経済格差も一層広がり、日本人には全く信じられない程の貧富の差がある。私の大好きなアメリカは消えて行きそうだ。アメリカに限らず世界中が大きく変化している。気候変動による災害、パンデミック、経済対立、政治的な対立と紛争などが次々に起きている。世界情勢の変化は他人事ではない。国際恋愛を続けていられるのは、ひとえに平和のお陰である。

 3ヶ月前に、不覚にも私は旅先で大転倒をしてしまった。シニアになって転ぶと大腿骨骨折になりやすいというが、膝と足首の大きな負傷で済んだのは不幸中の幸いであった。この大転倒で動けなくなった私は、まるで女王様のように彼に指図し注文を言う。転倒をした翌朝にトイレに行こうと壁伝いに這って歩くと、ルームドアの下に大きな赤い封筒が置かれている。しゃがめない私は彼にその事を言うと、彼は「Atsuko 宛に特別配達の封筒が届いている」と赤い封筒を取って渡してくれた。不審に思いながらベットに戻って開けてみると、なんとHappy Valentine’s Day のカードが入っている!彼は旅行中のこの日の為にこのカードをアメリカから用意して持って来てくれたのだ!さっきの彼のとぼけた演技には笑ってしまうが、大怪我をして情け無い状態の私には、彼の思いやりが身に染みて涙が出てくる。アメリカ人はこういうサプライズが大好きだが、このサプライズは私を大いに勇気付けてくれた。その二日後の帰国日は空港で車椅子のサービスをお願いし、感謝の言葉を充分に彼に伝えられないまま、それぞれの国行きの搭乗ゲートで別れなければならなかった。

 怪我は3ヶ月を過ぎてもまだ本調子とは言えず、安静にして動かないでいると今度は筋力が落ちて、私は一気に老けたと自覚する。今まで彼より8歳若くて元気だと慢心していたが、回復の遅さにすっかり自信をなくしてしまった。もっと歳を取った時、深刻な病気になった時、私は外国へ行かれなくなるのは分かっている。それは彼と会えなくなる事を意味する。今回の思いがけない大転倒でそういう事が突然やってくる事も有り得るのが分かった。体が不調だとついつい暗い事ばかり考えてしまう。シニアは楽天家でいる位が丁度よいと思っている。

 今まで私は彼との違いばかりを見ていたように思う。本当は共通点がいくつもあるのに見過ごしていた。数学と音楽の違いを言うよりも、それぞれの分野を続けているその事に共通点があったのだ。様々な文化の違いを受け入れて楽しんでいるのも同じであろう。違いに敏感であるよりも、似ているものを見つけて笑っている方が平和で楽しいに決まっている。
私は老いる事をなかなか受け入れられず、時間ばかりが過ぎて焦りを感じる時がある。それが彼の自然な振る舞いに日々接していると、私は安心感に包まれて心穏やかに過ごせている。彼の自然体には、さまざまな事を越えてきた強さと落ち着きと、生き方の哲学が感じられる。良い年を重ねてきたことの証であろう。私の素晴らしいお手本である。飄々としていてカーゴパンツを好み、数学を心から楽しんで少年の様に純粋な彼。私はその彼から大きなエネルギーをもらっている。明日は一体どんな面白い事が起こるのだろう♬  (終)


p.s. 表題の図は彼の数学の図形です。



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