019. 『都会人コンプレックス』
ーゲスト紹介ー
原田 岳(はらだ がく)
株式会社DADAのCCO 兼 関西統括。日本の若者の地域格差や機会格差に疑問を感じ、2019年11月に株式会社Rutaを設立、代表となる。現在は「愛を社会実装する」をテーマに、京都にてATMAN PROJECT という、社会に対して違和感や課題を持つ人が資本主義で闘う為のサポートをする創業支援プログラムを運営している。バイタリティに溢れ、非常にアツい男。
どんなコンプレックスだった?
田舎に生まれたことによる、劣等感。それがおれのコンプレックスでした。
かつては炭鉱で栄え、今は寂れてしまった福岡の筑豊という町。おれはそこで生まれ育ちました。びっくりするほどの田舎町です。しかし炭鉱の町の名残か、気性の荒い人も多く。いつも喧嘩ばかりでした。そんな町で、おれは喘息持ちの体が弱い少年でしたが、「ビックになりたい」「あれをしたい」と夢を語っていました。そんなだったから、よくいじめられてましたけどね。高校に上がって教師と進路相談をすると「君は頭が悪いから就職しなさい」と言われるような、選択肢の少ないthe田舎という感じの町で、高校まで過ごしました。空手をやっていたので格闘家になりたかったし、それとも大学に進学かと悩んでいたのですが、そういう選択肢はもてないところでしたね。
でも、ビッグになりたいという夢は捨てきれず、大学進学を決め、1年浪人して東京に出てきました。東京に出ると、すげえなと思う人がたくさんいました。高校の時から留学行けるし、留学行けるだけの金がある。ヒト・モノ・カネ・情報がすべて集まるから、挑戦しやすい環境もあって、それを手にして頑張っているやつは本当にすげえと思ったし、とにかく羨ましかったです。東京という恵まれた環境に生まれチャンスを掴んでいる人たちと出会う中で、田舎の恵まれない環境に生まれた自分に対して劣等感を抱くようになりました。
逆にプー太郎みたいな、せっかく東京の大学にいるのに授業中にゲームをしてるようなやつもいて、すごく腹が立ちましたね。おれが努力してやっと手に入れた環境なのに、そこで遊んでんじゃねぇ!みたいな。
そうやって東京と地方の格差を見る中で、何かで見た”東京に生まれたこと自体が才能”という言葉を痛感しました。金持ちの家に生まれたこと自体が才能。だから、当時は親にものすごい憤りを感じてました。何かを始めようとすると叩かれるし、勉強できる環境もない。勉強する意義を誰も理解してない。大学の存在すら知らない。そんなところで育てやがって、みたいな。今だから言える事ですけど。
でも生まれた場所は変えられない。東京の人たちは、自分みたいに這い上がる必要がなく、高いところから何かを始められる。そんな事実を突きつけられて、ただただ、田舎に生まれたというコンプレックスが大きくなっていきました。
メキシコでの経験
そして、東京で大学2年生まで過ごし、そこから休学をしてインターンをするためにメキシコへ行きました。初めて見たメキシコはバイタリティーに溢れ、優しい人も多いけど、一方で、当たり前に人が死ぬ治安の悪い国でした。そんな国でインターンをすることを決め、メキシコで働く日系企業の社長にインタビューをしたり、行政と一緒に仕事をしたり、おれより年上の人の上に立ってプロジェクトを進めるなど、たくさんのことを経験しました。そんな経験から得た誇りや達成感は、田舎に生まれてしまったおれでもやれることはあるんだと、大きな自信を与えてくれました。
”アオイエ”で感じたコンプレックス
帰国後は、東京生まれの人達に対する嫉妬が、こんな格差構造を生んだ社会に対する怒りへと、次元が昇華していました。そのおかげで、多様な人が集まり社会を変えていこうとするコミュニティハウス”アオイエ”の運営に携わるようになりました。
”アオイエ”とは
株式会社DADAの運営するコミュニティハウス。「みんな表現者」をコンセプトに、学生から、会社員、起業家、お笑い芸人まで、様々な分野で行動し、活躍している10代~30代が入居している。現在都内に15物件、関西に5物件を展開している。(2019年11月時点)アオイエについてはこちらから
アオイエで出会った人たちは優秀で、これまでそういった同世代と関わる機会が少なかったのもあり、多くの刺激をもらいました。でも一方で、アオイエの人達への家庭環境をよく妬んでいました(笑)。おれの両親の年収をとってみても、他のメンバーたちの両親の年収とは比べるまでもない。おれは親に頭下げて東京に来て、仕送りも少なく奨学金で食べているような状態でしたが、偏差値の高い大学に通っているメンバーたちは親が金持ちだったりして。
よく経済格差と教育格差が比例するなんてことが言われますけど、彼らを見てやっぱそうなんや、と。親がお金を持っているかどうかで行ける大学も決まって来る、みたいな現実を見て、アオイエを通じて出会った優秀な人たちに莫大な嫉妬心を抱いてました。
とくに、アオイエ代表の青木大和に対して。彼は1つ上なんですが、高校生の頃から社会的な活動をしていて、それができてきた環境がとても羨ましくてしばらく目の敵にしていました(笑)そのときのおれはすごい卑屈で、自分以外全部敵だと思いながら、怒りをエネルギーに変えて生きていたんです。
どうやって乗り越えた?
帰国してアオイエで働きだした半年後くらいに行った、グアテマラでの経験が大きかったです。メキシコで出会ったヒッピーの人と、グアテマラで開催される”コズミックコンバージェンス”という、世界中のヒッピーが集まるフェスティバルに遊びに行きました。そこで、”リトリート”というワークショップに参加したんです。
リトリートでは「なぜ今日この場所に来たのか?」「なぜあなたは生きているのか?」ということを問われたんですね。自分の存在意義を、自分で捉え直していくような内容でした。そこでなぜ生きているのかを深く深く考えていくうちに、何のために生きてるか確信がもてなくなりました。
当時のおれは、社会を変えるためにアオイエで頑張っていこうとは言ったものの、はっきりと覚悟が決まっていたわけでもなく、不安定な状態でした。アオイエの運営をしながら他のことにも手を出し、使命感もない。そんな状況を抱えながら朝を迎え、昇ってくるグアテマラの朝日を見ていると、理由もわからず、ただ自然の偉大さに涙が出ました。
日本での生活と、グアテマラの自然の偉大さを反芻しているうちに、おれはなぜこうして生きているのか?日本でやってることは、別におれじゃなくてもよくないか?と思えてきたんです。また、偉大な自然を目の前にして、これを壊す人間がいることの虚しさも感じたり。だから人間は滅んだ方がいいんじゃないか?なんて考えに行き着いたりしながら、自分なりに色々考えた末に、この偉大な自然の中で死んでしまいたいと思ったんです。でも、いざとなると怖くてできませんでした。だから開き直って、どうせいつか死ぬからその日まで生きようと決めました。
だけど生きるためには、何のために生きるかをもつ必要がありました。おれは、自分の幸せのために生きたい。じゃあ、おれの”幸せ”って何だろうと考えると、好きな人たちと話して飲んで騒いで....そんな瞬間が思い浮かんだんです。その”幸せ”は双方向に相関しあってるものだ、と思いました。周りの人が幸せなら自分も幸せだし、周りの人たちを幸せにするには自分が幸せでないといけない。じゃあまずは、おれ自身が幸せであるために、やりたいことをしっかり突き詰めないといけないなと考えました。そこで覚悟が決まった感覚がありました。
そして、グアテマラから帰ってからは、アオイエの事業一本に絞って活動しました。グアテマラで”死”について考えたことがきっかけに、帰国後は「どうせ死ぬから田舎生まれも東京生まれも関係ねぇ」「何やってもいいや」的な、投げやりだけど固い覚悟をもって頑張れるようになり、徐々に”田舎生まれ”というコンプレックスは薄れていきました。
振り返ってどう思う?
今ではコンプレックスを武器にできているので、田舎生まれでも良かったと思っています。
「東京生まれで、お金があって良い教育を受けて頭が良くて良い大学に行って色んな活動していて....」ってなんだか良いイメージがあるじゃないですか。でも「田舎で貧困層に生まれて、いじめられて上京してステップアップしていって....」っていう方が底から這いあがった人生の方が、下剋上じゃないですけど、幅があっておもしろいじゃんと思えて。だからコンプレックスを楽しもうと考えられるようになったんです。
だから、東京生まれに対する怒りや嫉妬していたあの時期があってよかったと、今はすごく思います。その勢いだとか感情は、確実に自分の力になっているので。自分がどう動いたらいいのか、何をやったらいいのか迷ったときに、当時の感情を思い出して判断するようにしています。あのときもっていたコンプレックスは大事な自分の軸ですね。
そういう意味で、コンプレックスを抱えていた過去の自分がいないと、今の自分はないと言えます。だからあの時の怒りとか嫉妬とかを。ときどき思い出して正しく大事にしてますね。
同じコンプレックス持ってる人へ
ひと昔前は、デモに参加したり、暴走族として走りに出たり、感情を素直に吐き出すことができた場所が多かった時代でもあると思うんです。でも現代では、そういうところが徐々になくなってきた。
現代で、コンプレックスやそれから来る怒りとか憎しみとかを吐き出すとするなら、ビジネスが良いと思います。それらは決して悪いものじゃないから、ビジネスとして社会に対して正当に吐き出し、正当にぶつけていってほしいです。おれはアオイエという事業でそれをやってきて、新たに立ち上げたATMAN PROJECTという事業でもそれをやっています。
そして、生まれた瞬間の格差はどうしてもあるけど、それを鎖だと思わないでむしろ、強みだと思ってください。自分のコンプレックスを作った社会構造を誰かが変えても、自分が変わらなければコンプレックスは消えないから。何かしらのチャレンジをして、コンプレックスのまま終わらせないでほしいと思います。行動するなら、社会をぶっ殺す気でいきましょう。もし迷うことがあれば是非連絡してください!
以下のメッセージは、記事の公開後に本人が両親へあてたメッセージです。
追記.2019.12.09
お父さん、お母さん。こんな息子でごめんなさい。
他の家庭と比較してしまってごめんなさい。
絶対悲しい気持ちにさせてると思います。
本当にごめんなさい。
でも、俺はそれ以上に、同じように経済格差や地域格差で苦しんでいた人たち、そしてこれから苦しむかもしれない次世代の人たちに、同じ様な境遇で苦しんでいる人たちに、寄り添いたい。彼らを救いたい。
そして、そんな社会を変えていきたい。
同じような苦しみを出さぬ様に。
正直この記事を出すまでに、凄く葛藤がありました。
本当にこんなもん出していいのかとか、親不孝もんだと思われるだろうなとか、勘当されたらどうしようとか。
でも、この言葉たちは自分が過去真っ当に考えてしまったことでもあります。
この言葉を伝えるのかどうかと考えた時に、
真っ正面からぶつからないまま終わるのは嫌だ。
うやむやなまま終わってしまうのは、嫌だ。
そうして、このまま隠し続けるのは、自分に正直に生きれなくなると感じてしまいました。
だから、本当にごめんなさい。
こんな息子でごめんなさい。
多分、おれの感覚や考え方はわかってもらえないかもしれないけれど、おれはあなたたちの元で生まれてきて心底良かったと思っています。
いつもありがとう。
愛してます。
原田 岳
取材・文:すこた、校正:松田和幸
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