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「ライフシフト」って何だかめんどくさそうって思っているけど、でもちょっぴり未来が心配なあなたに贈るライフシフトのお話(その1)

 こんにちは、人生探求の旅ナビゲーターのまっつんです。
 みなさんは、ライフシフトって知ってますか?
 ロンドンのビジネス大学院教授であるリンダ・グラットンとアンドリュー・スコットが書いた書籍「LIFE SHIFT」が書店に並んでるのを目にしたことありますよね。または、人生100年時代ってフレーズを耳にしたことありませんか?
いつの間にか人生80歳が、一気に100歳と言われて「おいおい100歳まで仕事できないぞ!」とか「人生100年なんて聞いてないよ」って思った人も多いと思います。
 そんなあなたに「ライフシフト」って何だかめんどくさそうって思っているけど、でもちょっぴり未来が心配なあなたに贈るライフシフトのお話として書いて見たいと思います。その第1回は、100年という時間について考えてみたいと思います。
 お気軽にお読みください。

🔲これまでの人生観を振り返る。努力すれば報われる!いつかは自分に順番が回ってくるという日本人の人生観

 「人生楽ありゃ、苦もあるさ〜♪」とは、国民的人気時代劇ご存じ「水戸黄門」のテーマ曲「あゝ人生に涙あり」です。一番の歌詞では「涙の後には虹も出る」と何だか頑張ればいいことあるよ!と言ってます。そして二番の歌詞では、「くじけりゃ誰かが先を行く」と同じ道をみんなで歩いている、頑張って道を踏み外さないように、脱落しないようにと発破をかけてきます。そして三番で「なんにもしないで生きるより、何かを求めて生きようよ」と人生に目的を持つ大切さを歌い上げています。
 昔の日本人はこの歌を聞いて、自らの人生に思いを馳せていたのでしょう。
つまり、人生とは「努力」「継続」「愚直」の3つの力を1つに合わせていけば、いつか自分にも順番が回ってくるという年功従列的な人生観と言えます。

 入社何年くらいで課長に昇格し、社内結婚して、そしていつかは部長に、最低でも課長クラスにはなれる。一生平社員なんて余程の運が悪い奴だけ。だって先輩たちもみんなそうしてるし、会社も残業代の付かない、みなし管理職にして、毎日遅くまでサービス残業させた方がいいに決まっている。それが当たり前の日本のサラリーマン。
 年功序列だから少しくらい順番の狂いがあっても、待っていれば定年までには管理職にしてもらえる。だから会社の言うことには逆らわずに、急がず、遅れず、ペースに気をつけて、ほどほどに仕事をしていれば正社員は安泰
 まさに素晴らしきかな、昭和のサラリーマン双六。
 日本を代表する国民的アニメとして、長谷川町子の「サザエさん」があります。「バッカもーん」とサザエさんやカツオを一喝する昭和の名物カミナリ親父である「波平さん」は、令和の若者には想像もつかいない「54歳」と言う設定なのです。あの姿なら失礼ながら、現代では嘱託再雇用の働かないおじさん(61歳〜65歳)よりも年上に見えます。因みに当時の定年年齢は55歳です。
 水戸黄門のテーマ曲でイメージされる人生も、サザエさんの波平さんの人生も実は我々の想定する年より相当若いのです。これはどういうことでしょうか?
サラリーマン双六にしても、サザエさんの日常にしても、暗黙のルールが存在し、外部環境も変わらない前提で成り立っている予定調和の世界なのです。プレイヤーは、先を行く先輩のロールモデルを真似ていればみんなが幸せになれる。そう信じれていた時代なのです。変わらない仕組み、延々と続く変わらぬ日常、サザエさんワールド、ドラえもんワールドが成立していた時代です。

🔲100年間って時間の経過はそもそも、どんな変化が起きるの?

 今から、100年後の世界をイメージしてください。と言われて果たして何人の人が正確に100年後をイメージできるのでしょうか?
 そもそも100年後の世界がどうなっているのか正解を知ることができるのか?
「100年後の今頃にはみんな死んでる」まあ、正解ですね。
 まあ、人生何が起こるかわからないということは言えます。
 では、今から100年前の世界はどんな世界だったのでしょう。現在、2023年ですから、今から100年前というと1923年、実に大正12年です。大正12年と言えば、関東大震災の起きた年として歴史に刻まれています。アメリカでは、ウォルト・ディズニーカンパニーが創設された年でもあります。前年の1922年10月までは、第一次世界大戦の連合国(イギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国)がロシア革命に対する干渉戦争としてシベリア出兵をしていた時期です。
 身近なところでは、選挙にいかない若者が多い現代では考えられないですが、普通選挙制度を求める普選運動言論・集会・結社の自由に関しての運動が盛んであった時代。そして、旧官立大学である帝国大学(現、東京大学)に限られていた大学を公立及び私立大学の設置を認めた大学令が発せられた時代でもありました。
 
 「歌う大衆と関東大震災」–「船頭小唄」「籠の鳥」はなぜ流行したのか-(永嶺 重敏 著)によると、大正時代は大正デモクラシーと共に歌う大衆が出現した時代とされており、労働運動の高まりを受けてメーデー歌の「聞け万国の労働者」を各地で誰もが歌ったと紹介されています。
 歴史は繰り返すものと、古くなるもの、新しい技術に置き換わるもの3本だてのようなところがあるのです。
 関東大震災と東日本大震災、ウォルト・ディズニーカンパニーとNetflix、シベリア出兵とウクライナ紛争、という歴史の繰り返しもあれば、折角勝ち取った、選挙権を行使しない投票率の低さ、一部のエリートのための大学が、大衆化したことで、全入学時代の到来による大学の役割の変化など、仕組みや制度が時代にそぐわなくなったもの、また、歌う大衆が、大衆の情報発信者としてのYouTuberやTik Tokerという新しいテクノロジーに置き換わって活躍しています。次の100年もきっと、全てが刷新される訳ではなく、繰り返すもの、古くなるのも、新しい技術に置き換わるものとあることでしょう。人の生活って、実は100年間で緩やかだけど、大きく変化していくことが歴史を見てもよくわかりますね。

🔲100年前の人は、どういった未来予想図を描いていたのか。

 では、リンダグラットンやアンドリュースコットが「ライフシフト」指摘する世界とはどんな世界なのでしょう。少なくとも、ひと昔の人々が想像したいたような銀色の宇宙服という出立ちという世界ではないと思います。参考までに、歴史を紐解いて、19世紀の人々が思い描いていた未来予想図との乖離を検証すると何かわかるかも知れません。
 当時「2000年の世界」として書かれたイラストは、既存の技術から出発して未来を予想したものでした。例えば、未来の学校の図のように自動で脳へ知識をインストールする未来予想!この絵では、教授が書籍を機械に投入し、それを有線で生徒の頭にインストールしています。しかも動力は人力に見えます。

出典:TABI LABO 19世紀の人々が思い描いていた未来予想図「2000年の世界」より

次に手紙です。未来の郵便ですから、飛行装置を使って高い場所の住人にも個別に手渡しする世界を予想しています。既存の郵便システムからの想像ですから、よもや電子メール(e-mail)というものが存在するとは思ってもいないのです。また、SNSによって世界の人々がコンピュターに常時接続して繋がっている世界観も想像できませんでした。これは、私たちが100年後を予測したとしても同じことが言えるのです。現状の生活やテクノロジーをベースとした発想からの100年後の世界となるのは人の想像力の限界とも言えます。

出典:TABI LABO 19世紀の人々が思い描いていた未来予想図「2000年の世界」より

🔲100年人生なんて想像もつかないという現実世界

実際に、書店に行くと人生100年時代到来とばかりに、いろいろなタイトルの書籍が並んでいます。これらの書籍を読む読者は誰なのか。これら人生スタートという20代の大学生やフレッシュマンで、そんな本を読む人は少ないと予測されます。
では仕事で忙しいサラリーマンや社会人なのか。残念ながら彼らはほとんど読書をしません。結局、これらの本を読んでいる読書層は定年間際、もしくは定年した後の50代後半から65歳くらいではないかと思っています。
実際に、まっつんが依頼されている大学のオープン講座であるライフシフト講座には、60歳から90歳くらいまでの人たちがコアな層として受講されています。
若い人たちから見れば、あと10年、20年くらいなら人生経験豊富な年配者なら予測できるだろうと思うかも知れませんが、実は、そうではないのです。
ですから、「誰か専門家に教えて欲しい」と定年まで人生経験を積んだ人が受講しているのだと思っています。
若い時に人生100年の計なんて考えていない
要は人間は霊長類の最高位に君臨するといっても、多くの人にとって100年単位の時間の経過すら想像もつかないということになるのです。
ライフシフトが概念としては有名になりましたが、言葉だけが一人歩きしてしまい、実際にどう実践するかという部分が不足気味な理由はこんなところに原因があるのだと思います。

🔲まとめ

人生100年時代ってフレーズはよく耳にするようになったが内容はよく知らない人が多い。
生活基盤や社会構造に変化の少なかった(予測される範囲の変化であった)昭和の世界観は、「努力」「継続」「愚直」の3つの力を1つに合わせていけばなんとかなったというものであった。
昭和のサザエさんワールド、ドラえもんワールドは、その様な変わり映えのしない日常が連続して過ぎてゆく世界観を表していた。
100年という時間の経過を逆に辿ると、人の生活は、100年間で緩やかだけど、大きく変化していく、その中には繰り返すもの、古くなるのも、新しい技術に置き換わるものとあることがある。
100年前の人が想像した100年後の世界を検証してみると、既存の技術や生活から想像した100年間の進歩となるため、全く存在していない技術や生活様式を想像しても荒唐無稽であり、人の造像力の限界がある。
100年後の世界は、よく分からないというのが現実である。
100年人生というタイトルの著作が世に溢れているが、案外読者層は高齢者である。そして、大抵の人は人生経験を重ねた人生後半ですら、残りの10年、20年という時間の経過を想像することができないようだ。
ライフシフトは、言葉が一人歩きして、概念を理解しても、実践をどうするのかという部分が不足しているのが現状である。

以上、今回は「ライフシフト」って何だかめんどくさそうって思っているけど、でもちょっぴり未来が心配なあなたに贈るライフシフトのお話(その1)を書いてみました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
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