見出し画像

愉快な友達図鑑#3

文字を素早く正確に、軽快かつ明瞭に書くって難しいですね。ライターを生業にしてる方はすごい。

今回の登場人物は僕の友達の中でもかなり古参です。小学2年生くらいからだから・・・22年の付き合いかぁ・・・22年!?大人になったもんです。


この男、ほぼパッション

彼はKondo Shojiと言いまして、しょーじと呼んでいます。地元の同級生で同じサッカー部でした。彼はなんともパワフルな男でして、昔から行動力というか体力お化けでした。お父さんもお母さんも、妹もパワフルです。忘れもしません。あれは小学2年生のある日、彼の実家に初めて遊びに行った時のことです。

玄関を抜けてリビングに入ると巨漢がダイニングテーブルに座っているわけです。その人は僕を見るなり、スッと大きな手を開いて僕の眼前にかざしこう言いました。

打ってみろ

僕も男ですからね、何を打つかくらいは分かりましたよ。パンチですよ。よくわからんですがその手のひらに向けて全力でパンチしたわけです。パチンッと。するとその人はこういうんです。

筋がいいなぁ。空手をやらないか?

こんな当たり屋みたいな勧誘をしてくるのは彼のお父さんです。普通に断りました。対してお母さん。お母さんもそりゃあパワフルでして、僕のことを「まっくん」と呼ぶんですけど、街中で僕を見つけるとクラクションを鳴らしてすんごい大きい声て「まっくーーーーーーん!!!!」と手を振ってくれるわけですね。もう周囲には僕の自己紹介なんかいらなくなっちゃいますよね。はい。

そんな2人の元育ったからなのかは分かりませんが、とにかくパワフルな男です。

そういえば、彼は会社を経営していまして、僕よりも2年とか3年早く独立しています。手広くやりすぎて途中から何をやっているのか追うのをやめたのですが、保険の営業にまつわることをやっています。最近法人化したとのことで、今社員が何人いるのかと聞いてみると

ん〜8人!

そんないんの!?俺なんか自分1人生きてくので精一杯ですよ。ほんと同い年でも色んな生き方がありますよね。

子供の頃からの友達というのは、大人になってもやっぱりノリは当時のままで、基本的にはしょうもない話がベースになります。でも大人になったなぁと思うのは、一緒に仕事ができる年齢になった点でしょうか。

ちなみに彼のパワフルエピソードの代表格をお話ししますと

マラソン大会をナイキのスニーカーで走り切る

彼は幼い頃は空手や自転車競技をしていたので、体力はかなりある方でした。にしても中学のマラソン大会で変なことを言い始めたんです。

まっちょ。俺このスニーカーで上位取るわ!

拾い絵です

このタイプのスニーカーです。今でも忘れません。金色のロゴでした。僕は体力がないのですぐ歩いたりして結構後ろの方でいつもゴールしていたのですが、彼は違います。本当に10位以内に入っていました。

なんか足が速くなる

彼、短距離走はそんなに足が速い人ではなかったんです。小、中と同じサッカー部に所属していて、僕は速い方でした。ですが、あまりにもバンドがやりたかった僕は中学2年の時に退部してバンドに明け暮れたのですが、彼は当然在留しました。3年生の引退後、なんとなく競走しようという話になってグラウンドを全力で走ったんです。僕もブランクがありますが、自信があったので負ける気はなかったのですが、結果。

普通に負けました。というか、僅差ではなく普通にめっちゃ足が速くなっていました。

しょーじ曰く「なんか速くなった」らしいです。あと、彼は国語はてんでダメでしたが、数学はやたらできる人でした。ある日教室に行くとなんか黒板に向かって叫んでます。

常識は通用しない!答えを叩き出せ!

どうやら正七角形が定規とコンパスだけでは作図できないということを知って、必死に同じクラスの頭がいい友達と一緒に躍起になって証明していたのです。数IIIまで進めば知識としては身につくと思うのですが、当時はまだ中1、僕には2人が何をやっているのかが分かりませんでした。この言葉はなぜ生まれたのかは分かりませんが、それ以来越えられない壁にぶち当たった時に幾度となく奮い立たせてくれた謎の名言です。それで、結局正七角形は書けるんだっけ?

他にも一箱400kcalもあるカロリーメイトにハマって1日に何個も食べて急に太ったり、身長が急に伸びたり、天然パーマが加速してすごいことになったりと何かとやかましい人でした。

そんな彼はこんな悩みがあると言うんです。

社員に怖いって思われてる

こんなにひょうきんなのに?(笑)と思ってしまいましたが、確かに彼は今や社長、その状態の彼を先に知った人にはそのようにしか見えないんだろうなぁと納得。普段おかしなことしか言わないですが、思えば僕のターニングポイントにはいつも彼もいました。

ボーカルやればいいのに

彼は多分覚えていないと思いますが、僕がバンドでボーカルをやるきっかけになったのは(学生時代はバンドマンでした)この一言がきっかけです。
しょーじの家にはwiiとカラオケのパーティゲームができるソフトがあって、ちゃちなマイクで採点までできるので、しょーじとしょーじママが歌うのを見ていたんです。僕はなかなか厨二病を拗らせていたので、無口なのがクールだと思って歌わなかったんですね。すると彼はマイクを渡してきて、「まっちょ、歌えよ」って。「いや、いいよ」と言っても強引に歌わせてきます。渋々歌ったのはRADWIMPSのララバイ。歌い終わるとしょーじは真顔でこういうんです。

まっちょ。ボーカルやればいいのに。

なんでですかね。お世辞なんて言わない人だからか、すんなりその言葉が入ってきまして、ちょうど同じクラスにギターが上手い友達がいたので一緒にバンドを組みました。(しょーじとじゃないんかい)人前で何かをするきっかけになりました。

僕らは中学卒業後は別々の高校に行き、彼は高卒で就職、僕は上京したのでしばらく会うことはありませんでした。あれこれあって愛知県に帰ってきた時も彼には励まされました。

これもきっと覚えてない気がする。

すぐ終わる、すぐ終わるよ

「まっちょ。今辛いじゃん?すぐ終わる。そんなんすぐ終わる。いいことあるじゃん?それもすぐ終わる。それの繰り返しだで。」

本人はおどけて励ましているつもりだったのかもしれませんが、上手くいかないことに悩んでいた僕は肩の荷がずいぶん降りたのを覚えています。そうか、すぐ終わるって悪くないなって思いました。彼は自分のツテをあれこれ考えて、無職期間中の僕にバイトとか紹介したりしてくれました。結局どれもやれなかったけど。

カメラマンやらんの?

僕は新卒の会社を辞めた後、名古屋の中小企業に転職したのですが、相変わらずうだつの上がらない日々を送っていました。もちろん、身のあるものにしたかったので、スキルをつけるために働いていたのですが、どこかで人生に疑問を抱き続けていました。そんな時、いきなりしょーじから電話が来ました。業務中だったので着信を切ってLINEを

ま「今仕事中だから」

しょ「あれ?まっちょ会社員だったけ?」

ま「そうだよ、サラリーマン」

しょ「カメラマンやらんの?俺写真はよくわからんけど、やればいいじゃん」

これがきっかけの全てではありませんが、中学時代となんら変わっていませんね。大人になっても人の背中を押すんです。「俺もフリーランスに引き込んだ側だから、なんかあったら協力する!」と言って、独立したての頃はずいぶん色んな人を紹介してくれました。

「まっちょ。俺、ずっとなんか一緒にやれんかって思っとるじゃんね?」
この日も昔と変わらない目でそう言ってました。「今か」と思ったので、初めて彼にデジタルではなくて、実物の作品を見てもらいました。彼はまたこう言います。「俺、写真とかアートのことわからんけど、これは簡単に価値を決めれんわぁ」

実物は違うね

僕はこれが聞けただけで満足でした。

そろそろ何かを一緒にやろうと思っています。その何かを考えるのは僕の仕事で、だいぶ待たせちゃってるのですが、まあそれもすぐ終わるので。

あと、僕は彼が落ち込んでるところと怒ってるところを見たことがありません。

要約すると、彼は怖くありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?