見出し画像

「語学学習なんてもう必要ないでしょ」と言われても、私は語学を学びたい

みなさんこんにちは!

突然ですが、私のNoteやTwitterを見てくださってる方々には、語学好きの方も多いのかなと勝手に推測しています。先日同僚と話していて、語学学習について思うところがあったので、今日はそれを書いてみたいと思います。

「語学を自分で勉強する必要はなくなるよ」

さて、私は現在いわゆる外資系企業で働いているのですが、外資系企業だからといって全員英語がペラペラというわけではありません。入社したものの、語学に苦しんでいる人は少なからずいます。語学ができない人は「あの人英語できないからなあ」と言われ、語学だけができても知識や経験がない人は結局「英語だけはできるんだけどなあ」と言われるという悪夢・・・(あくまで、うちの会社の場合、です)。

ただ最近少しだけ、状況が変わっているのかも?と感じています。というのも、同じ部署の、語学は全くできないが知識と経験豊富なスタッフが、最近自動翻訳などを駆使しながら海外スタッフとバリバリ仕事していたんです!

同様に語学が苦手な他の同僚は、「性能の高い同時通訳機でも同時翻訳機でももう出てくるでしょ。語学なんて自分で苦しんで身につけなくても良くなる日がすぐ来るよ。それより専門知識身につけた方がいいっしょ」と会話の中で豪語していました。

正直、まあそれは確かにそうなのかな、と思います。

語学学習が本当に苦しい、絶対に嫌だ、という人も世の中には少なからずいるでしょう。自動通訳・自動翻訳によって、そうした方々が語学学習の苦しみ無しでスキルや経験を活用できたり、あるいはこれまで語学が障壁になっていて実現できていなかった地球規模のコミュニケーションが叶うのであれば、それはとっても良いことのように思います。

じゃあ、これまでのような語学学習は、意味のないものになってしまうのかな??自動通訳や翻訳が当たり前になれば、私は語学学習をやめちゃうのかな??とふと疑問に思いました。

スペイン語に苦しめられた南米在住時代

私も、履歴書の語学欄には素知らぬ顔して「英語、スペイン語」と書くものの、南米在住や外資系勤務などなど、語学には常に苦しめられてきました。今でも、それらの言語ができるか?と聞かれたら、「できる!!!!」と自信を持って答えていいかは自分では正直わかりません。

特に南米在住時には、方言がすっっっごく強いカリブ海沿岸エリアに住んでいたので、赴任直後には少しかじったくらいのスペイン語では全く太刀打ちできませんでした。全然聞き取れないし、パッと話せないし、でもスペイン語以外の言語ができる人は周りにいなかったので自分がスペイン語をどうにかするしかない。全然わからないから待ってほしいのに、すごく早口で誰も待ってくれず、会話に入っていけない。

「もう一生スペイン語聞きたくない・・・」とまでスペイン語が嫌いになったこともあります。笑

それなのに、不思議なもので、今はスペイン語が大好きなんです。上手かというとわかりませんが、とにかく好きです。どんなにAIが発達して翻訳の精度があがっても、私が自分の脳でスペイン語を考え、話し、読み、書くことはやめないだろうな、という謎の自信があります。

語学学習は必要ないと言われても、私は続けたい

ということで、「語学学習なんてもう必要ないんじゃない?」と言われても、私は続けたい。自分の頭で、表現で、直接コミュニケーションをしたい。その理由は、大雑把にいうと以下の2つだろうなと思います。

①とにかく好きだから

件の同僚はじめ、「スペイン語とか勉強すんのなんで??」と聞かれることがあるのですが、「好きだから!」の一言に尽きるのかなって思うんですよね。強いていうなら、スペイン語って発音しやすいし、かわいい単語とかあったりするので、楽しいな〜って思います。

②「できるようになる」のはいつだって楽しいから

語学を学習していると、これまであまり使ってこなかった文法や語彙がスルッと出てきたり、自分の言葉で相手に言いたいことを伝えられた!と思える瞬間があったり、スペイン語が上手だねって相手に認めてもらえたりする瞬間があるんですよね。そしてその瞬間の達成感や嬉しさといったら。このために語学を勉強しているのかもしれない。(私が愛してやまない漫画・ハイキューでも、「できるようになるのはいつだって楽しいです!」ってセリフがありましたが、それは語学にも当てはまると思います。)

コミュニケーションツールをどう選んでいくのか

結局のところ、語学がコミュニケーションツールであるという純然たる事実は変わらないわけで、語学学習をするかしないかって、そのコミュニケーションツールをどう選んでいくか、ってことなのかもしれません。

コミュニケーションは人間同士で成り立つものだから、それをどういう手段で実現するのか、通訳機なのか自分の言葉なのか、機械の完璧な文法なのか自分なりの表現なのか、そういう選択も個性の一つになっていくのかな、と感じました。

余談ですが、英語はあまり得意じゃないので、同時通訳が標準になったら使ってしまう気がします。爆笑


同僚との会話をきっかけに、語学学習ということについて長々と書いてしまいましたが、どうでしたでしょうか。皆さんのご意見もぜひ聞かせてもらたら嬉しいです!ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?