夢うつつ
背中が痛くなってから、もう3ヶ月は経つだろうか。最近は、食欲もない。
何日か前に娘に「お母さん、借金はないんだよね。」と失礼なことを言われたし、東京の息子の帰省も最近多い。
私はあんまり長くないんだろう。
お父さんが亡くなったときは、106歳まで生きると思っていたけど、こう痛くて食欲もないんじゃ、長生きもゆるくない。
寝てばかりいるし、洗濯物を干すにも1時間くらいかかる。
娘や孫たち、息子、友達、弟夫婦が来てくれるのは助かるな。調子が悪いと、あまり相手をしてやれないのが心苦しいけど。
曜日や時間がわからなくなることもあるけど、そんなに困ってはいない。
ただ、栄養剤の缶が開けにくいのは困るな。あの病院でもらうやつ。
昨日は姪が久しぶりに来た。
私が再婚でこの家に来た頃は、まだ9歳くらいだったのに、今年50歳になるらしい。それじゃあ、私も91になる筈だ。
姪に缶を開けてもらった。冷蔵庫から取り出してストローを差して持ってきてくれた。看護師だか保健師だか、そんな仕事をしてるから、分かるんだろうね。
姪は離婚したらしい。前に娘が言ってた。
私の半分しか生きてないんだから、まだ人生長いよ、と言ったら顔を崩して笑ってた。
離婚した後の私のことを思い出す。
前の夫は、浮気性で競馬好き。家庭のことはお構いなし。
頼れないからデパートの呉服売場で働いて、息子を養った。
生活ができる目処がたったから、離婚する踏ん切りがついた。
もう男なんてこりごりだと思っていた。
息子は東京の大学を卒業し、働き始めた。50歳になる頃、友達が見合い話を持ってきた。
奥さんが若い画家と蒸発した人だと聞いた。まだ、高校生の女の子と息子と同じくらいの男の子がいる。
真面目で小さい肉屋を経営してるらしい。
家事や家業を担う結婚相手を探しているそうだ。
好きな顔や体格じゃないけど、そんな事情を隠さないところや真面目そうなところが良かった。困ってるだろうから、力になりたいとも思った。
けど、結婚生活は大変だった。
本当に大変だった。
子ども達は、母を失い傷ついていたし、イライラをぶつけてきてよく喧嘩もした。
肉屋の仕事は寒くて立ちっぱなし。従業員は身内ばかり。
親戚は近くにいっぱいいるし、食べ物も習慣も違うことばかりだった。
日本海側の美味しい海産物が恋しかった。
50歳にもなって、よくやってたな。
大したもんだって、あの頃の自分に言ってやりたいよ。
この家を明るくしよう。
何があっても、色んなことを許してやろう。
2つのことをいつも思いながら、再婚生活を送った。
お父さんを最期までみれたし、こっちの娘と息子も大事にしてくれる。
東京の息子は退職後、嫁の介護をしてる。仲が良さそうだし、助けてくれる家族もいる。年に何回も飛行機に乗って、私に会いに来る。夜は昔みたいに横で寝てくれる。
孫たちもいい子ばかり。
夫の兄弟とも、全員じゃないけど、本当の兄弟みたいに付き合えるようになった。
近所の人は、黙って庭の草刈りをしたり、ゴミ出しを手伝ってくれたりする。
幸せな41年だった。
再婚して良かった。
お父さんは、入院中日記に私の名前を何度も書いていた。
死んだ後に見つけた日記を見て驚いた。
「そんなに私の名前を書くなら、生きてる間にもっと呼んでくれれば良かったのに。」って皆んなに話したら、笑ってた。
そろそろ、そっちに呼んでくれてもいいよ、お父さん。
迎えに来てくれるんでしょ。
死ぬときは、痛いのかな。苦しいのかな。
息子を産んだ時よりは、痛くないだろう。
寝てても起きてても背中が痛い。
死ぬ時より、今の方が辛いはずだよね。
名前を何回も呼んで、迎えに来てよ。日記みたいにさ。
私もお父さんみたいに耳が遠くなったからね。
大きい声で頼むわ。
いつの間にか姪がいなくなってる。
そうか、帰ったんだっけ。
「背中が痛むから、そこに寝てて。見送らなくていいよ。」って言ってたか。
今は何時かな。夜かな。
ああ、眠い。
薬を飲まなきゃいけないのに、食欲がなくて困っちゃうね。
やっぱり、もうひと眠りしようかな。
お父さん、お腹空いてないかい。
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