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日記(163日目)南国の青に体が喜ぶ

ー変】何となく日記、ただし、主テーマは再就職。・・書くことを続けたいので・・。

2024年1月16日  火曜、9時に予定通りフェリーは鹿児島の港に接岸した。
気温9度、真っ青な晴天に脳と体がほぐれていく感じがした。ちなみに、今朝の富山は、昨晩からの雪、零度近くの気温、気候がまるっきり違う。
大阪から陸路なら900キロほど、12時間の道のりのようだが、フェリーなら一晩寝ている間に車ごと我々を自宅近くの港に運んでくれる。

着岸したあと、すこし車が出るまでに約40分ほど時間を要したが、自宅に10時過ぎに到着、多くの荷物と嫁さんを下ろして、一休みする間も無く、予約してある隣市の病院へ急ぐ。
去年予約してある脳神経内科の先生との面談、11時だ。

脳梗塞の後遺症は、実家富山にいる間は、特にフラつきが大きかった。半年ぶりの実家は、家自体は変わらないが、季節が夏から真冬に変わり、家の中でも暖房のない廊下は零度近く、体が萎縮するせいか。
はたまた、船旅の酔いが頭に残る後の400キロの高速運転が効いたのか、コタツと布団を敷き寝る生活から半年ほど離れたせいか、
体の、特に立ち座り後のフラつき、歩き始め、特に外の雪道でのフラつきが、自分の想定を超えて不安定だった。
これが、鹿児島の青い空の下に戻っただけで、安定している。不思議。

脳神経内科との面談は、12月に終了した通院リハビリとセットになった診断だが、通院リハビリが再開できたとしても、昨年応募し面接済の2月からの平日のアルバイトが、もし始まると昨年のように週一で受けれなくなってしまうので、実はどうしようもないのだ。そして、医師との面談で、医師は開口一番、
「ははは、やはりリハビリは12月までで終了です、いろいろ役所がうるさいので、、」と、症状を伺うこともなく、リハビリ終了宣告であった。
しようがない。
帰省で少しお留守になった自己リハビリやストレッチ、散歩などを今日から再開して、一月中はしっかり働ける体を作りつつ、自分で整えていこうと思う。
実家への帰省で、十分精神的な充電はできた。

昼をなじみのパン屋で済ませて、夕食と朝食用パンを買って自宅に帰る。
1週間ぶりの我が家。嫁は実家の方へ行ってると電話があった。
義父が今日、無事退院したとのことだ。まずは一安心。
荷物の片付けなどしていると、嫁さんから、実家にちょっと顔出してねとの催促、歩いていく。対面したが入院で義父はさらに弱っていた。管に繋がれ、寝たきりになり食事も口に合わず、、体力が落ちるのもしようがない。

さて自分は、今年が勝負、自分のことに集中。明日から、就活と体調整えに精を出さないと。

つづく(1096字)

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