見出し画像

ネガティブな感情になることが好きならばそれでいいし、嫌いなら捨てればいい

繰り返す自己嫌悪とか そんなのは自己満足
踏み出せない自分を 許すためのものなんです

                    SUPER BEAVER, 「ささやかな」

ポジティブな感情は、幸せと呼ぶことができる。

私は、幸せは有り難いものだと思っていた。

幸せにはコストが必要だと考えていた。


しかし、幸せは、有り難くはない。当たり前のようなものだ。

ネガティブと同じ量である。

ネガティブが黒い霧ならば、ポジティブ(幸)はネガティブをコピーして、マイナス1倍して色を白くしたものだ。おなじ量であり、コンテンツは正反対である。ただ価値も同じである。


なにが言いたいかというと、

ネガティブな日常と同じだけ、ポジティブな日常はあって当然だということ。


繰り返す自己嫌悪とか そんなのは自己満足
踏み出せない自分を 許すためのものなんです

                    SUPER BEAVER, 「ささやかな」

不幸であることを幸福に感じてしまう...?



不幸であることも、自分で選んだことだし、ポジティブになることも、また自分で選択することができる。


自分の幸福が他人の不幸で成り立っているんじゃないかという罪悪感で、幸福をあきらめている.

そんなこと、ないだろうか。

他人の不幸も幸福にするよう、自分の人生でドライブしていけばいいんじゃないか?

「行動できること」それが生きている人の特権なんじゃないか?


君はもっと君を愛してあげていい。

幸福なことに、時間は常に流れてくれている。
幸福なことに、死は確実にやってくる。

幸福なことに、可能性はどんどん生み出されている。


君や、君の周りの人々の幸福を見てみたいよ、


ps. 

SUPER BEAVERの「27」を、いつの日か完全に理解したい。
SUPER BEAVERいいよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?