「もしも、今の中学生にメッセージを送れたら:RE」
立場上、こんな知らないおじさんの言葉なんか中学生の前に立つことはないのだろうけど、もしも中学生にメッセージを送れるとしたら何をおくるのだろうか?
突然、知らないおじさんが教室にきて何を話すのか。しかも自分自身には背景がない。何か有名なことをしているわけではないから何も語ることがないのか?と思えばそうでもない気もする。
やはり語ることは「人生」になるのかもしれない。そりゃそうさ、中学生と私では人生経験が違うわけだから。
でもさ、そういう時に無責任な言葉を使うかもしれないことよ、「好きなこと」とか「やりたいことをやれ」とかね。
そんなの当時中学生だった私自身もわからないわけで、今の大人たちだって「やりたいことやれてるん?」って聞いてみて「そうでもない、でも働かないと食っていけないし」ってのが大半じゃないかなって思わけです。
まあ、私もそれは否定しないと思う。やりたくないことをしてでもお金稼いで生活していく。それがまあ一般的には普通なんよ。ってか昔からそうだと思う。
「うおー!仕事大好き!これがないとやっぱ人生楽しくないよな!」とかって言ってるやつはそもそも「迷ってないし、そのままいけばいいじゃん」ってわけです。
でも大人って一回立ち止まるんだよね。どこかで。多分きっと。
だーれもいない事務所の中とか
一人運転する車の中とか
帰りの電車の中とか
そういうときふと頭をよぎるんだよね、「なんで働いてるんだ?」ってね
多分、そういう人多いと思うというより、疑問に思うことが私は不思議じゃないと思う。そういう感覚って備わってるもんだから。
そいで子供たちにいうわけよ、「勉強はしっかりしときな」とか「今のうちにやれることはやりな」ってね。
これは「私」自身が中学のとき、テレビ、ラジオ、そして親、他人。
世間の「大人たち」に言われてきたことで今でも記憶にある。
でもね、ここからが私が思うこと。
「仕事いやでしょ?おれも嫌だ」でも嫌なことをやることを濁しても仕方ないわけよ
無責任に「興味ある事やりな」とかは言わないと思う。多分。
逆に「仕事」って「人生すべて」じゃないよっていうと思う。
仕事ってお金をもらうためだけにすることで
「自分の人生すべてをささげるもの」じゃないよっていうと思う。
責任、無責任かどうかはともかく
「とりあえず生活するために仕事する」って感じで俺はいいと思う。
そうすると多分、「ほかに目が行く」ことができるんじゃないかなって思う
目の前の勉強、目の前の部活、目の前の恋愛
でも今は「多角的」に時代は変化していっているから
一昔前なら怒られそうなこの話も
なんとなく「あーそういう感じなのかな」って思ってくれる中学生もいると思う。
自由を自在に操りそして自分に生きることを教えることは
決して簡単ではないけど、結果としては簡単なことで
あんまり気負ってもしょうがないんだよねって
あえて言ってあげるかもしれない。
もし、今後その機会が来たらそう言うかもしれませんね
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