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【空き缶、彩へ舞う】第2話 歩くのは自分で

 この国、この土地は厳しく冷たい。1年の内の半分は冬期。気温は氷点下70℃、ブリザードの風速は60mにも達することが有る。生活都市缶「空き缶」はそんな環境下で私達の命を繋いでくれる存在であると同時に格差の象徴でもある。
 
 この国で生まれた者もそうでない者も基本的にはこんな感じの都市缶に住んでいるのだけれど、私のような労働者階級はここにあるような生活空間と労働施設を兼ね備えたタイプの都市缶に住むことになる。ここでは労働力を提供する代わりにプライベートを守れる自分の部屋、共同浴場・トイレ、そして過不足のない給料が提供される。週末には休日もあるしその気になればバーで浴びるくらい酒を飲むことも、お気に入りの映画とか本とかを読み漁ることも出来る。
 
 いつものように朝ごはんを食べるために内部にある広場へと向かった。都市缶の内部は例えると少し前の時代に流行った「大型ショッピングモール」のような大きな総合施設体のような作りになっている。
 
 全体的に白っぽく、金属っぽく。雪は降るのだけれど、海から離れた内陸部の為に大した量は降らない。そのため天井は暗くならないように明り取りの防寒ガラスが張り巡らされている。
 
自分の部屋から階段を下りて向かったのは屋台広場と呼ばれている場所。その名の通り、いろんな人たちが屋台を開いて色んな食事を提供してくれる。初めてこの場所に来ると目移りしてしまいそうになってしまうほど本当に色々なものが売られている。
 
朝は同じ場所で同じ食事を摂っていて、それがジム爺さんの屋台。出している食べ物は野菜と魚と肉を大量に入れて煮詰めたポトフのようなスープとパンである。
 
 いつものようにいつもの席に座った。
 
「ジム爺、おはよう。いつものお願い」
 
「はいよ」
 
 そう返事をしてジム爺さんは屋台の後ろにある戸棚からサッカーボールを輪切りにしたくらいの大きさが有る器を取り出すと、これまた巨大なお玉で鍋からスープをすくって入れていく。なみなみと注がれたスープの海に長細いパンを突き刺して完成。私の目の前にドカッと置かれる。
 
コップに水を注ぎ、黙々と食べているとジム爺さんが話しかけてくる。これもいつものこと、そしていつもの質問。
 
「お勤めはどうかね?」
 
「まあ、それなりですかね」
 
 本当にそうとしか答えることが出来ないくらい私は自分のやっていることに関して無頓着というかなんというか。ただここで生きるために働いているっていう感じ。でもそれももう日常だし、こうやって毎日ご飯が食べられるのであれば特に文句も出てこない。
 
 何か今の生活に文句が有って仕事を辞めることは、つまりここを去ることを意味している。去った先に待っているのは外にある過酷な環境。もし、私にその気があれば何年か金を貯めて〝管理を外れるための手続き〟をして国で暮らすなんてこともありなのかもしれないけれど、そんな気は起きるはずも無い。手続きの値段も高い。大体私くらいの労働者なら10年分くらいの年収。そしてそれを払うほどそもそも外の世界にそれほど興味がわかないのもある。
 
「ごちそうさんでした」
 
 立ち上がって器をジム爺さんに渡すとそのまま職場へと向かった。
 
 道中、いろんな人たちとすれ違っていく。顔を見たことが有る人、無い人。そんな人間関係の上で行われる共同生活。全く不安が無いと言われれば嘘になるけれど、人が居ることで安心できることもある。
 
「みんなここに住んでいて、みんな同じ運命共同体の中にいる」という何とも人間らしい安心感。
 
 そしてその都市缶の核になる場所。そこが私の職場。私の今の生きていること。
 
そこは「ターミナル」と呼ばれ国を支えている。

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