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私上最低を乗り切り、変えていく

私が先に書いた記事

この記事に「スキ」付けてくださった人たち。私なりのお返しが出来れば。と思い、書き始めました。

スキをくださった方は何名かいらっしゃるのですが、なるべく順を追って返していきたいと考えています。「ゆきさん」という方はフリーランスのイラストレーターを生業としているとのことです。

この方のyoutubeやnoteを拝見させていただき、誠に勝手ですが私なりに思ったことを書こうかなと思いました。

それが未来へのお返しになればいいなと思っています。

1,公務員からフリーランスへ

私が学生の頃はもうすでに友人や先生が口をそろえてこう言っていた時代です。

「安定を求めて公務員になれよ」と。

これは別段まちがっていないと私は今でも思いますし、そうであればどんなに楽であるかなんてことは想像できます。しかし、公務員とは言ってもやはり組織。つまり、人の塊の中で仕事や生活をしていかなければならないという職業で、それは一般の職業となんら遜色ないです。

「仕事の負荷が軽い」とか「仕事が無くならないよね」という安直な安心は確かに公務員を目指す人にもあると思いますし、私にももちろんそんな感じだろうなってのはあります。無論、何か求めること。やりがい。自分がしたいからこそ目指す人、勤めている方もいます。過去の私もその一人でした。

しかし、着眼するべき点はそこではなく、公務員という「仕組み」が自体が「いいよね」と思わせてしまうことになっているということです。

これは公務員のみならず企業全般に言えることです。

公務員・企業勤めと言う仕事は逆手を取れば「外れることの出来ない縛りの中、自分を殺してマニュアルを遂行していく」ようなものの最たるものです。若干ネガティブに聞こえるかもしれませんが、特に公務員はそもそもやること自体、国や自治体の方針に則ったものになるので、仕事や組織にはそれ以上も、それ以下もない感じです。

これが反映されているのが、この方のyoutubeのチャンネル背景です。

黒と灰色と白、そして人工物のビルが描かれたレールから外れるように

赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の曲線が道を引っ張っています。

この「色」に関しても少々後で触れたいと感じていますが、そういった何かのレールに乗っかることは自分の色を消すことだ。ということに対して安直な考えに注意喚起をしている、もしくは従い続けるべきではないという思いが痛烈に伝わってくる背景だと私は感じました。

話を戻しますが、マニュアルのように固い仕事は民間の企業に勤めていた私にも経験があります。

民間はある程度時間が経つことによって、ある程度自分の枠組みの中で上手く立ち回ろうとしたり、利益などの成果がでたとき、給料には反映されませんが人脈には反映出来たりします。

例えば上司に

「この間の仕事はAさんとやったから上手く行きました。今度の仕事もAさんを入れたいです」

と自分の成果を出すことで、ある程度自由が許されることがあります。と言うよりも私が真面目にサラリーマンをしていたころはこの「自分で使える自由を増やすために」仕事で成果を出そうとしていた節もあります。

だって気難しい人や、やりたくない人とは関わりたくないのは人の本能です。

しかしそれにも限界があります。

会社と言う箱、公務員と言う箱に世間の意見に負けて押し込まれてしまったのか、自分から進んで入ったのかは自由ですが、その自由を行使した結果を受け取ることになるのはいつの時代も他人ではなくて自分です。

この方はおそらくですが「自ら進んで公務員になったのでしょう」

公務員になるということは試験がありますから、その試験をパスするために自身で考えて行動を起こした結果、公務員というものになれたんだと思います。

これは私も同じかもしれません。私は民間に勤めていましたが「うちの会社に勤めろよ」と言われて入ったわけではありません。面接や試験をパスしてそれなりの選考を受けました。

そしてこの方と私が「その結果受け取った物」が共通していたのです。

それが「病気」でした。

2,気づけるか?夢物語に

この方も私も、結果として前の職業に就いていないことも共通しています。

私もそうでしたが仕事を辞めた時、周囲にはこう言われました。

「なんて勿体ないことをしたんだろう」
「病気にならなければ・・・もっといい未来があったのに」とね。

 でも、それがごまかしの無い自分がやってきたことの「結果」なんですよね。これはみんなに言えることなんですが、いままでやってきたことの実は結果はもう出てるんです。今、自分が立っている場所が今までの結果です。試験勉強や気難しい上司と上手くやろうと頑張ってきた結果。

その結果は様々でしょうが

「週末には仲の良い友達と旅行に行く」
「毎日酒におぼれて嫌なことを忘れている自分」
「恋人と上手く行かない毎日」
「嫌なことがあればSNSで呟いて賛同を得る」
「知らない誰かを攻撃してスカッとする」

これが全部結果です。自分の生活で今いる地点が結果なのです。

そしてこの結果を受け入れることが出来ないままでいると、ズルズルと感情だけが先走り、周囲を見て焦り、そのうち夜寝るときに涙が出てくる。

あっという間に朝が来て、あっという間に夜が来る。

どこかの箱に収まらない限り私に必要価値はどこにも存在しない。と言うことをある意味痛烈に感じることになります。

わかりやすく言えば

「急に出てきたyoutuberがあっという間に大金を稼いでいる世界」
「何の変哲もないような人が本を出す」

ようなことが今の世界ではあり得ますし、それを見てしまうとやっぱり焦ることになります。

どこかの誰かの為に作られた箱の中で生きてきた人。これはまんま私でもありますが、多くの人がこの箱の中に入って働いています。

しかし、そのレールから外れてしまったとき、その自分を受け入れることが出来るのか?

「今までのことは夢物語だった」ということを自覚するには目を覚ますしかありません。目を覚ますということはどういうことか?

といいますと「生きてる」と言う事です。

具体的に言えば「死んでいるもの」を学んでもしょうがないです。

この方も言っているように9か月ほど実りは無かったそうです。しかし今ではかなりの実りを付けている様子です。おそらく、この方にとって

「マーケティング」という今生きている人たちに向けた実論を取り込むことで、夢が現実になりかわった。

だからこそそのエッセンスを周りに分け与えていきたいとそんな意図を感じました。

3,色を見てみたい

一応、私は色彩研究所の研究員としてほっそりと活動していますので多少色について見ていきたい。とそう思うわけです。この方は「イラストレーター」という職業のため直接的な色を扱っています。それらを見つめながら色視点で見てみようかなと思います。

「画像を表示しようかな」と一瞬迷いましたが、この企画自体無許可で勝手にやっているので気になった方はこのゆきさんのyoutubeへアクセスしてみてください。

まず、この方のサムネイルに表示されている女の子についてですが、私が見て気づいたことは

「髪の毛が水色をしている」と言う事です。

水色とは青色に準する色。色彩的に青色は「内輝的な色」です。つまりもし、このサムネイルがこの方自身を投影しているとしたら、この方は

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「内側に輝く何かを表に出したい」

それが色使い的に見て取れます。

この内側に輝く色と言うのは、言い方を変えると

「殻を身にまとい、徹底的に内側に向かう色」です。

ですが半面、その輝きを外へ出すということが困難です。これは色の性質上、もうそうなっているので仕方ありません。

青色が悪いとかそういう事を言いたいわけではなく、青色という色がそういう色なのです。しかし、青い色をした髪の毛を持った女性がしきりにこちらをみて、教鞭を取ろうとしてる様子が描かれていて、その表情は笑っています。

次にチャンネル背景です。

このチャンネル背景と先ほどのサムネイルの写真、実は大きな変化がそこにあります。

まず、先に述べたように白、黒、灰色と言う世界から虹色カラーの世界へ自らの手で道を引っ張っています。

この方は社会を見たとき、自分が今までいた場所を見たとき、白や黒や灰色といったものをイメージしたんだと思います。これはかつて居た世界に色が必要ない世界であるという事。

そればかりか勤めてみたことで「自分の色が必要ない」と言う事を痛感したんだと思います。

黒や白に足りないものは「生命色」です。もちろん、黒や白にもきちんとした意味があるのですが、圧倒的に無いものは生きているという事です。

巷で最近話題のAIに仕事を取られてしまうかもしれないという話がありますが、AIが出来る仕事は「死んでいる分野」つまり「生きている人間が必要ない」という分野です。

そして、ローラーで虹を引いている女性はおそらく本人だと思いますが、サムネイルと圧倒的に違うのはその髪の色と髪飾り、そして服の色です。

まず、髪の色、髪飾りの色から見ていくとピンク色・赤色をしています。

赤系統の色は「均一に輝く色」であり血液的な色で生命的な色です。青色が出来なかったことを具現化していく色です。

「考えが有るのに結果が出ない」「良い絵を掛けたり、歌が上手くとも全く注目されない」

というのはまだその魅力が青の外殻に覆われているからです。

赤と青は正反対な色というイメージがありますが実は近所に住んでいる色です。隣り合っているわけではありませんが、

青は紫に変化し、その後ピンク色に変化して赤色へと姿を変えていきます。

この色変化が良く聞く「考え方」「捉え方を変える」という変化です。このかたのnoteを読んでいくと、自身が変わっていったきっかけが書いてありました。

赤色に変化していくと、自身の魅力を外へ出そうとする方策を講じ始めます。

そして服の色が黄色になっています。

この黄色と言う色は「劇薬」に近い色です。劇薬と称したのは最高の輝きに近いから。つまり、「他人に届く色」と言う事です。

黄色という色は「外輝色」外へ向かって光を放つ驚異的な光です。ここまで読んでいただいた方はわかると思いますが、青色の「内輝色」とは正反対の意味を持っています。

つまり、青い人が色変化なしに黄色くなることはあり得ないのです。

この黄色という色の力を得た時、人は初めて他人に影響を与えることが出来るということです。他人に影響を与えることが出来るということは、この方のように

「イラストレーターとしての光を誰かに届けることが出来る」と言うことになり、結果的に「生業に出来る」と言う事です。

この方がいつまでも青色のままでいたとしたら「内側はイラストレーター」誰にも知られないまま、自分も気が付かないままだったと思います。

では黄色を最初にまとえばいいじゃないか?と思われがちですが、それをやってしまうと「方法論」に帰結してしまいます。

「これが人生を変えるきっかけになった」というのを良く聞くと思いますが、人それぞれの色が異なるためその方法で変われる人もいるし、変われない人もいるということです。

例えば自分が自身で道を切り開かねばならない状況に陥ったとき、

「赤色が強い場合」は青色の考え方が足りません。青色の考え方へシフトしなければいけません。

なので赤色の方が人生を刷新していくには赤色→青色へ一旦変化しなければいけないのです。大抵の場合、本質的に赤色の人が青くなることの多くは病気になることです。

「病気になって青くなること」やや強制的ではありますし、なりたくて病気になるわけではありません。私だって嫌です。しかし、それまで元気に働いていた人が次の日急に元気がなくなり、引きこもってしまう。なんてのは別に珍しくないのです。

この色変化が起き始めている。それが世間的には病気と名付けられているだけであって、その変化に追従し、今できる追及を奥の奥まで突き詰めていくことが色的に見ても必要であるという事です。

実はこの黄色の行く先もあるのですが、それを説明するともっと長くなってしまうのでここら辺にしておきます。


このような色を持つ「ゆきさん」が私の記事にスキをくれました。

ありがとうございます!



最後になりましたが、この企画はこの後も続けていこうと考えていますが、何分、勝手に無許可で書いているため、失礼なこともあると思います。

お手数ですが書いてあることに不備があったり、そもそも取り上げて欲しくない場合はご一報ください。

即刻記事を削除いたします。

※私の書いたnoteはフェイスブックとツイッターにもリンクを張りますが、不適際の時はそちらも当然削除させていただきます。

長々と読んでいただきありがとうございました。






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