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「イネーズ」 移りゆく風 その4

8月に入り、あれから何度か「台風」が訪れたが、その都度「ひと」来てまた同じように作業をしていた。

台風以外にも「豪雨」と呼ばれるものが来て、強い雨とか雷とか風とかが吹いた日もあった。

そんな日を乗り越えると

頭に付けた「みのり」も本格的に大きくなってきていて、その「みのり」を成熟させるために食べ物を頭に送っていた。

それは「おれくん」も「わたしちゃん」も同じようにしていて、気がつけば辺り一面美しい情景が広がっていた。

そろそろこの「サイクル」も転換期を迎えていくことになるのだろう

あれから気がつくと、「足元の住人」たちの顔ぶれが少しづつではあるけれど変化していた。

それはまるで「誰かが計った」かのように「正確性」を持っていたが不思議と「規律性」はほとんど感じられなかった。

「わたしちゃん」たちは雨風にうんざりしながらも、一応は「みのり」を付けたようで一安心していた。

それを見ていた「ひと」も安心した様子で、次の段階へいこうとしてた。

それは「おれくん」たちの「ひと」も同じで「おれくん」たちの様子をちょくちょく見に来ては「そろそろかな」とか「いいんじゃない?」とか言う会話をしていく。

ここで気がついたことなのだが、「わたしちゃん」たちの方へ来る人は「終われば終わり」という感じで見ているのに対して、

「おれくん」たちのほうの人は「終わるけど終わらないよ」という感じ。

具体的にいうと「わたしちゃん」たちの方の「ひと」は「わたしちゃん」としか会話をしていないから「終わりがあって」

「おれくん」たちの方は「足元の住人」とかが「この後もここにいる」ことで「ひと」は「会話」を続けるように感じた。

「おれくん」がこの場を立ち去っても、まだ「会話」は残されていて、終わりは終わりだけれでど終わりじゃない。サイクルの一つに過ぎなくて、実は「おれくん」たちも「主役」じゃない。でも「脇役」でもない。

そういう雰囲気がなんとはなくだけど感じることができた。

もう少し時間があるようなので、俺が感じたことを語ろうと思う。

それを語れば「おれくん」たちの物語は閉幕するんじゃないかな。

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