ぼくは「大人」らしい。

お母さんは月に1回くらい、ひとり暮らしの僕に電話をかけてくれる。そこで軽く近況報告なんかをして、数日後に予定を決めてご飯を食べに行くのが通例だ。(緊急事態宣言前の話です)

昨夜、母と電話していると、こんなことを言われた。

「あんたも大人なんだから先のことも考えなさいよ~」

休職して5ヶ月が経とうかという僕を見かねたのだろう。僕は子を持つ親ではないため真意は測りかねるが、子供にはしっかり働いてもらいたいのだと思う。というか、僕もしっかり働きたいと思うから母と同意見だ。

”母”と呼ぶのはいつもと違うので以下”お母さん”にします(笑)

ちなみにお母さんは僕の特性や病気を理解してくれていて、見守るスタンスをとってくれています。この記事もお母さんを悪く思っているのではなく、僕の思考のきっかけになったというだけです。

そして先ほどの言葉を頂いた。お母さんもなにげなく言ったのだと思うが、僕はこの言葉の「大人」の部分がなんか気になった。どういう意味を込めた「大人」がそこにあったのだろう?

はたして、僕はそもそも「大人」なんだろうか。

成人しているという意味においては、「大人」だ。
大学を卒業して社会に出たという意味においては、「大人」だ。
会社に属しているという意味では「大人」。

「おとな」がゲシュタルト崩壊してきたので、羅列をやめよう。とにかく、お母さんに言わせてみれば僕は「大人」らしい。なんなら、「〇〇くんって大人だよね~」っていう文脈での「大人」であれば、僕は中学生の「子供」のときから「大人」だ。周りの友達からけっこう言われていたし。

文脈によっていろんな「大人」が考えられるし、どれも会話で通じる程度に正しい意味を持つと思う。

今回のお母さんの場合は、たぶん「大学を出て社会に出た人」ってところだろう。「社会人」という言葉に近いかもしれない。そういえば以前この「社会人」についても似たような記事を書いたなあ。僕が「社会人」をできてなかったと気づいた話だ。

これから先のこと。いろいろ考えている。考えすぎてこうして毎日noteに考えをちぎっては投げている。でも、1ヶ月後も何をしているか正直予想できない。

お母さんに対して僕から言えるのは、ぼくは他の人とちょっとだけ違う性質があるから、他の人よりもちょっとだけ多く工夫をしていく必要があるということ。そしてできれば穏やかに見守ってほしいということだ。四半世紀以上生きてきてはじめて自分の特性のことを知ったから、うまくやり抜く方法を考えるための時間がもうちょっと欲しい。

今は「大人」ではないのかもしれないけど、いろいろ考えているよ。

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