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何だか呼吸しにくい世の中、安心を欲す

 「ありのままの、本当の自分をさらけ出すのが非常に怖い。こんな人間を誰が認めれくれるというのだろうか。」そのように思うことはないか?
”誰かに必要とされたい”、”誰かに認めて欲しい”。この2つが私の中で大きく渦巻いており、もはや制御不能となっている。(もちろん自分から口外する事はないが、何しろポーカーフェイスというものが苦手な私は、他者から「めっちゃ顔に出てますよ」とよく言われる)
 単刀直入に言えば、甘えたいんだよな。この思いは”自分の心に正直”になればなるほどに膨れ上がる。別に”ありのままで生きろ”、”自分の心に正直になれ”と誰かに強制された訳でもないに。しかしながらそうすることでしか、普通の人間と肩を並べることができないのでは?とまで感じてしまう。

 私には定期的に自分自身の内面を深く深く問う期間が現れる。”深く深く”。この感覚が重要であり、日常生活を送る中でそこまで深く考えない事も多い。しかし当時回避出来たもの・事柄が完全に処理されず、時間をかけて私の心に舞い戻ってくるのだ。厄介なお客様だ。しかし迎え入れるほかない。今、まさにその状況。この期間は犯罪者に対する取り調べのようなやり取りが私のなかで繰り広げられる。やり取りをする人物は現実の自分と、それを俯瞰的・第三者目線で眺めていた自分。この両者の攻防は激しいもので時に見ていられないものであり、稀に命の危機に瀕する事もある。

 この両者の攻防の目指す所は、現実の自分を適正な位置へ修正をかけること。現実を生きている自分は太陽光、スマホ、気温、雨、風、音、人混み、時間、他人、スーツなど物理的な制約がある中で過ごしている。勿論、楽しく、スムーズに行く日もあれば、一筋縄で過ごせない事も多い。世の中そんなに甘くない。誰にだってミスをする可能性を秘めているし、ロクでもない変な噂話を耳にしてしまい、変な体力を持って行かれる事もあるだろう。アクシデントに見舞われるかもしれない。

 また、一日当たりに目にする・耳にする情報量が数年前を比較して格段に増えた世の中で、知らず知らずの内に心身が疲弊している。しかもそのことに気付けない。勿論私もそのうちの一人だ。そのようなストレスがかかった状態では自分の進みたいと考えている路線から外れてしまいそうになる。いっその事外してしまった方が楽かな?とか考えてしまうが、誰しも、自分の理想とするものに近づきたい・なりたいと思うものだ。そのための路線なのだから。

 そんな時、軌道修正役として俯瞰的・第三者目線で現実の自分の行動を見てきた自分が現れる。この存在は時に命さえ奪いかねない危険な存在になる事もあるが、死ぬまで自分の唯一の味方であるともいえる。俯瞰的・第三者目線の自分は、容赦なく現実世界の自分に対して正論をかざしてくる。適切な表現を考えず超ドストレートに私の心を刺す。そうなる原因は迷惑をかける範囲が自分自身だけで収まるからであると考えられる。

 「耐え忍ぶ事が美しい」とする風潮が自分の中から完全には抜けきっておらず、いつもキャパオーバーになるまで耐えている。そして耐えられなくなった途端に爆発してしまい、他者やコミュニティからかなり距離を置き、心を閉ざしてしまう。自分のなかでは脳から緊急事態宣言が発令され、心にロックダウン要請がかかっており、事態の終息に向かって必死になっている。一方、他者はそんな事を気にす筈がなく、傍から見れば「何か機嫌悪いやつ」「お前、いつも無表情やな」と言われたり思われたり、「私(俺)、何か悪いことしたかな?」など不要な考えをさせてしまう。

一つ言いたい。ここまで書いておいて何を言う?という感じだが、本当に悪気や迷惑をかけようだなんて思いは微塵も無い。ただ、自分というものが分からなくて。自分の素直な気持ちが分からなくて。しかもそれをどう伝えたら良いのか分からなくて。人との適切な距離感もイマイチ掴めなくて。信頼するのも怖くて。全て模索している状態であるのだ。だから、そんな自分をさらけ出すのが怖い。

これを臆病者というのだろうか。

そのため、このような素質をもった書き手は呼吸がしにくく、臆病者のくせに安心を欲している自由気ままな奴なのだ。

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