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勝手に!バーバラ解体書~バタフライエフェクトセミナー③の2〜私の価値観の作られかた


何かが起こったとき、
それをよい、悪いと判断する基準は
なんだろう?

例えば、ジャンプすること。

公園で縄跳びするのもジャンプ。
家の中でただ飛ぶのもジャンプ。

どちらも同じジャンプするという
動きなのに、
公園では、遊びや運動で、
家の中では、階下の人の迷惑になってしまう。

この判断の基準は、
これまでの知識や経験からなされている。

これまでの知識や経験とは、
私の過去の記憶。

私は、過去の記憶でできている。


私は、法律系という几帳面と
言われる仕事をしている。
実際、求人には几帳面な人って言葉が
書かれていることも多くて、
そういう仕事をしているから、
几帳面だと言われることが多い。

でも、几帳面ではないし、
几帳面なことが好きでもない。
ただ、仕事として、
その仕事の基準に沿って作業ができる
というだけなのだけど、
几帳面な人だと言われると、
その言葉に無意識で応えようとして、
几帳面さをキープしてしまう。

私は、周りからの評価でも
作られてしまうのだ。

その逆もあって、
人から几帳面だと言われることで、
自分はそうだと思い、
私は几帳面な人ですと言うことも起こる。

そうやって作られた私は、
自分が思う私
自分が理想とする私
人から見た私は、
本来の私と
ズレていないんだろうか?と考えてみると

私が本来の私と1ミリのズレもなく
生きていたら、
きっと、
変わりたいとか、
何かになりたいとは思わなかったはずなのだ。

ズレていて、違和感があるから、
なんかおかしいけど
何がおかしいのかわからなくて、
自分より人の意見を聞いてしまい、
それに沿うように応えてしまう。
言われることを受け入れることは
貫くよりラクだから。

なんの条件も前提もなく
自分を
自由に
勝手に作っていいと言われたら、
こんな自分がいいと
さらさらと言えなかったりする。
知らないうちに
過去の記憶で
どうせ無理なんて判断をしてしまうから。

小さい頃は、
プリンセスになりたい、
ウルトラマンになりたいって
素直に言えたけど、
今は言えないのに似てる。


なりたい私は、
本来の私とは違うと感じている。

なりたい私を追いかけることは、
何かをしたらそうなれるを
追い続けることになってしまう。


そうやって作られていた自分は、
びっくりするくらい
勝手な思い込みをいっぱい持っている。

これやったらあかんも思い込み。

赤信号は渡らないとか、
そんなルールではなくて、

感謝してないから罰当たるとか、
真面目にしてたら成績上がるとか、

これしたから、こうなったんだ。とか
これしなかったせいで、
こんなことが起こったんだとか、
つい、原因を考えてしまうような思い込みを
いっぱい抱えているんだと思う。

そんな因果関係は
可能性してはあったとしても、
本当かそうかはわからない。

土台を崩していくとは、
そんな思い込みを無視して、
価値観を崩していくことなんだろうなぁ。

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