最終選考レビュー⑥『流浪の月』
『流浪の月』
著・凪良ゆう(東京創元社)
あまり作者の経歴、というものには興味を持たないたちの人間である。
だけど、今回は特別に感じるものがあって、著者のプロフィールを調べてみた。
これが存外、面白くて元々BL系小説を書かれていた作者らしい。
今作においては、同性愛をテーマとはしていないが、それでも世間が「普通」と呼ぶ範囲から外れてしまった人物を書いてきた経歴からだろうか。
この『流浪の月』における登場人物たちの持つ、世界からの疎外感というか、チャンネルの違いのような波長の合わなさに、通り一遍とは違う厚みがあって、すぐに惹き込まれてしまった。
この作品に限った話ではなく、最終選考作品を通して感じたことがある。
それは「世間」というものが、以前よりも大きな存在となってフィクションの世界でも役割を担うようになったことだ。
「私小説」という歴史を歩んできた日本文学にあってさえ、現在では身の回りの登場人物だけでなく、会ったこともない「世間の人の目」というものが、物語の展開に影響を与える。
『どうかこの声が、あなたに届きますように』も『千歳くんはラムネ瓶のなか』も同様だった。今作においては、それが物語の中心に据えられている。
当然のことだが、これはインターネットの登場によるものだろう。でも、一昔前までは、これほど存在感を持ってはいなかったような記憶もある。
私はどちらかというと古い小説読みなので、はっきりとしたことを言えなくて申し訳ないのだが、いまや自分が属するコミュニティだけが「世間」でなくなり、インターネットの世界にも「世間」が生まれてしまっているのは事実だろう。
「個性」と「普通」のジレンマにさらされる頻度は、間違いなく過去よりも多くなっているはずである。そうした「世間」「普通」に苦しめられた人間たちの姿を深く描き出したのが、今回の「流浪の月」だ。
偏見と争う物語である以上、読み始める前からフィルターを持たせないための配慮だろう。物語のあらすじに関しては、意図的に隠しているような雰囲気があるので、紹介文をそのまま引用させていただく。
あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。 わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。 それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。
再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人間を巻き込みながら疾走を始める。
新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。
以上が本に書かれた紹介だ。
さて、内容についてだが、もともとBL小説を書かれていたからか、作中で描かれる「世間と二人の関係」の構造が切迫感を持っていて、ただの設定で終始しない、胸に迫るものがあった。
登場人物の心情も、ストレートに悲しみ傷つく場面がある一方で、逆に一般の人との違いに苛まれる複雑な懊悩など、キャリアが培ってきた幅の広さを十分に発揮している。
物語全体を黒一色で染めるような無粋なことはせず、読者は様々な気持ちで登場人物の心に寄り添うことができる。主人公同士の掛け合いにも、ほぅとする優しさがあり、苦しいだけの単調な物語にもなっていない。
こうした「社会の当たり前」に苦しめられる作品というのは、「世の中が悪い」という主張になりがちだが、この作品は「当たり前になれない自分たちが悪い」という主人公たちの苦悩を描き出すことで、逆により一層、世間の浅い理解を描き出している。
物語の展開・テンポ。
人物表現の幅。
テーマの扱い方。
どれもがレベルの高い作品だった。
特に、悪意よりも優しさによって主人公が追い詰められていくシーンは、世の中と主人公の違いを明確に描き出していて胸が締め付けられた。
読者が「常識」側にいるのに、「非常識」側にいる登場人物に感情移入させる構成は、ただ文章が上手い、というのではなく小説の巧みさを感じる。
現在、この作品は本屋大賞にノミネートされているが、仮に本屋大賞に選ばれたしても、異論はない。それほど素晴らしい作品だった。
しかし一方で、ここからは個人的な話になる。
ネタバレはしないが、ちょっと大上段に聞こえるかもしれないので、ご注意いただきたい。
物語である以上、必ずエンディングを迎える。
このエンディングのあり方が、小説において重要なのは間違いない。なのだが、自分にとっては読み終わった当初、疑問の残るラストになった。
というよりも、ラストの内容そのものより、本当に、このラストを目指していたのか、という疑問が残った。というのが正しい。
序盤・中盤ともに本当に充実した内容で、どんなラストを迎えたとしても耐えられるだけの力強さを持った物語だった。だからこそ、なんとなく尻窄みの感を感じてしまう。
盛り上がりに向けてボルテージが上がり、手を振り上げたものの、どうしたら良いんだろう、というやるせなさが残ってしまったのである。
一応、注意をしておくとエンタメ的な盛り上がりではない、しっかりとした人物像が出来上がっていき、世の中との違いを克明に描き出したという、ある意味では純文学的な盛り上がりだ。
内面の描写がしっかりしていたからこそ、突飛な選択をしたとしても、そこに説得力が生まれるだけの十分な下地はあったように思う。どこにでも行ける準備を目にしていたからこそ、物語の着地点が自分にとっては意外なものだった。
恐らくだが世の中は、この作品のラストに拍手すると思う。
そうした意味では、正解的な終幕だと思う。実際、少しネットのレビューも見たが賛同の声であふれている。
でも、それで良いのだろうか。
あれだけ「世間」というものに弾き出された二人が迎えるラストが、「世間」的に正しいラストを迎えてしまって。
個人の意見としては、うーん、という感じであった。
身勝手に解釈をするのであれば、作者も悩んだんじゃないだろうか、と思う。それを感じさせる描写もある。
作品のなかに小道具として、『トゥルー・ロマンス』という実在の映画が登場する。ただの映画だが、物語の後半になって主人公の一人が「実は別のラスト版も存在する」と告げるのだ。
物語の大勢に影響を与えるような情報ではなかった。
でも、印象に残る部分だった。
結局、主人公たちは二人とも「実際の映画版ラストが好き」という結論で終着する。それだけの会話である。
この解釈には願望もあるかもしれないが、ひょっとしたら、これは作者のメッセージなのかもしれない。
「大衆に寄ったのではなく、登場人物に寄り添ったラストなんだ」と。
主人公は、「世間の声」ではなく「自分の声」を信じることで苦しんでいく。そうした意味では、これは「登場人物の声」を信じ続けたからこそたどり着いたエンディングなのかもしれない。
そうすると、自分にとっては最初、納得感の少なかったラストも、自然なエンディングなのだと思えてくる。
世の中の誰かは、この作品を「世間の偏見・無理解を糾弾する作品」と位置づけるかもしれない。
でも、それだと、ラストが力足らずだ。
私はあくまでも「登場人物二人の物語」に抑えておきたい。
この物語に付加的意味をつけるかは読者の自由だが、少なくとも厚みのある、上質な人間物語となっていることは間違いない。
物語が何を意味しているのか。
どうかご自身で手にとって、考えてみてほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?