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手軽にできる「感謝」の習慣を続けてみたら

最近、毎日ではないが、「感謝していること」をノートに書くようになった。

といってもほんの些細な内容ばかりで、短文を列挙するだけ。
例えば、
・美味しいケーキを食べた。ケーキ屋さんありがとう。
・きれいな月を眺めることができた、美しい世界に暮らせて感謝
みたいな感じ。

これまで「感謝」は大事だと分かっちゃいたのだが、
積極的に「感謝しよう!」と実行に移してこなかったのは、
前向きな行動を推奨することに、なんとなく胡散臭さを感じてしまうという、ひねくれた性格のせいかもしれない。

ネットを検索してみると、「感謝」には様々な効能があることが、
科学的に実証されているようで、
感謝することで脳内にドーパミンやセロトニンといった、
いわゆる幸せホルモンが分泌されるので幸福感が高まり、
それが健康面にも良い影響を与える
、らしい。

でも、何らかの「効果」を求めて感謝するというのも何だかつまらない。
痩せるために運動するのがつらいのと似ている。
そもそも私が「感謝習慣」を始めてみようと思った理由は、別にある。

一つ目の理由は、50歳を超えてから急速に色々なことを失い始めたから。
仕事の機会、丈夫な足腰、健康な歯、
さらには身近な知人まで亡くした。
どれも失うまでは当たり前のように存在していて、
感謝などしたことがなかった。
失ってみて、初めてその有難みが身に染みた。
そして、自然と、今持っているものがいかに素晴らしいかに目が向くようになった。
視力があるから本が読める、手があるから文字が書ける、家があるから雨風をしのげる、夫がそばにいるから何気ない会話を楽しめる…。

二つ目の理由は、30年以上パーキンソン病を患っているマイケル・J・フォックスが、インタビュー記事の中で、どんなにつらい毎日でも前向きに生きる方法として、「感謝」を挙げているのを読んだからだ。

「僕にはこの病気とうまく付き合うためのスキルがあるんだ。感謝を忘れなければ、前向きな姿勢を保ち続けることができる。感謝の気持ちがあれば、楽しみも見つかり、先に進むことができるんだ」

「感謝する」ことは、「今あるものに気づき、それを大事にする」ことと同義だと思う。
お金とか物とか、実際の利益を生まなくても、ただそこに存在しているだけで価値のあるものはたくさんある

以前、「その日に起きた良かったことを3つ書く」ことを実践してみたことがあるが、なかなか続かなかった。
毎日、同じような日を送っていると「良かったこと」を意識しにくいうえ、
嫌な出来事があると、頭がそのことでいっぱいになってしまい、
とてもじゃないが「良かったこと」に思いが及ばないからだ。

でも、感謝していることなら毎日見つかる。
そもそも、生きて呼吸をしていることだって、
十分感謝すべきことなのだから。

とっても手軽にできる「感謝」の習慣、
メリットなどまったく気にせず続けているが、
じわじわメンタルに良い影響が出ている気がしている。


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