「悪口」は絶対に言わない方がいい理由

はじめに
私は転職活動中のアラフィフ女性です。シニア転職の厳しさに打ちのめされつつ、最近は親の介護問題も出現し、働き方を含めた生き方全般について、再考を迫られているところです。

前回、書いたとおり、図らずも母親が入院中の病院スタッフと反目し合うことになり、苦労が多いであろう医療従事者と険悪な関係になってしまったことに、我ながら深く反省している。

しかし、思えば、看護師が私に対して意地悪な言動をすることになった原因の根っこには、彼女の「私に対する偏見(=親の面倒を見ない娘)」があり、その偏見を植え付けたのは私の親戚の女性(Aさんとしておく)なのだから、看護師と私は、Aさんの無責任な悪口の犠牲になったと言えなくもない。

根回しと噂話が大好きで、何にでも首を突っ込んで探りを入れたがるAさんのことが、私は昔から苦手だったのだが、母親とは親交が深いため、今回の入院の件も知らせないわけには行かなかった。
だが、案の定Aさんは陰で病院の看護士とすっかり仲良くなって、私について、あることないこと吹き込んだらしい(看護士に言われた嫌味でそれが分かった)。

その結果、医者も、看護士も、ケアマネージャーも、私に対する態度がなんとなく変な感じになり、「おかしいな」と異変に気づいたときには、彼らの信頼を失いかけていた。

幸い、自分の悪口の影響に気づいたAさんはさっさと手を引くことを選び、事態の悪化は防げているが、今回のことで、「悪口」や「噂話」には、ものすごい威力があることを改めて思い知らされた。大した苦労もなく、それほどの罪深さも感じずに、人の人生を大きく狂わすこともできるのだ。
昨今、企業が炎上を恐れて、慎重すぎるくらいレピュテーション・リスクに気配りするのも納得である。

私が勤めていた会社にも、悪口を言うのが大好きな人がいた。
飲み会の席では、必ず上司や同僚を非難しまくり、悪口を並べ立てる。
しかし当人は「悪口を言っている」意識がなく、「自分は正論を言っている」と信じていたのでなおさらタチが悪かった。

会社で悪口を言う人は、比較的、仕事のできる人が多い気がする。
自分より仕事ができない上司や同僚や部下をけなすことで、優越感に浸れるのかもしれない。「自分はもっと評価されるべきなのに!」という不満感の表れとも考えられる。

私にも経験があるが、誰かの悪口を言うこと、そして、その相手から「確かにそうですよね」とか「それは大変ですね」など、共感や同情をもらうことはとても気持ちが良くて、その誘惑につい負けそうになる。

言う方は気軽な気持ちで、「あの人はこうなのよ!」と口にしていると思うが、それを聞かされた人は、完全に信じ込むことはなくても、頭の中にその人に対するネガティブなイメージが作られてしまう。そして、それ以後、そのフィルターを通して相手を見るようになる。いったん作られた先入観を取り除くのはかなり難しいからだ。

注意すべきは、前述の私の元同僚のように、「自分は正論を述べている」と信じている場合だろう。ネット上でも、「自分は正義の側に立っているので、悪者を叩いて当然」、という感じでバッシングに勤しんでいる人を見かけるが、その考え方は偏見を助長し、非寛容な世の中を促進してしまう。

自分が正しい(と思う)からと言って、何を言っても許されると思うのは大間違いだ。正義を味方につけている時ほど、謙虚に口を慎んだ方がいい

私も日頃から、人の悪口を言わないよう気をつけているが、人から言われたときはある程度、話を合わせる必要あり、悩ましいところではある。

でもまあ、間違いなく言えるのは、「人の悪口は絶対に言わない方がいい」ということ。自分の心も醜くなるし、想像以上に相手にダメージを与えてしまうから。そして一度、口に出したら、取り返しがつかないから。


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