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「感謝の習慣」を続けてみて気づいたこと3つ

前回の記事で書いたとおり、しばらく前から「感謝の習慣」を続けている。
やり方は簡単で、(ほぼ)毎日、ノートに感謝していることを箇条書きするだけ。
例えばこんな感じ。
・友人から電話があった。良い友人がいることに感謝。
・ジムで泳いだ。健康とプールの存在に感謝。

続けているうちに、なんとなく自分の感謝傾向が見えてきたので、今回はそれについて書いてみたい。

身体的なことに対する感謝

自分がありがたいと思うダントツ1位は身体的なこと。
これは、50歳を超えて身体のあちこちに不調が出てきたためだと思う。
やはり、「失ってみて気づく」ことって多いものだ。
だからこそ、今動いてくれている身体に感謝したくなる。
今だって、頭や指が働いてくれるからこうしてPCで記事を書けているのだから。

偶然の出会いに対する感謝

道を歩いていて美しい花を見つけたとき、
ふと見上げた夜空に綺麗な月が出ていたときなど、
偶然出会った自然の美しさには感謝せずにいられなくなる。
美しい星に暮らしていることを実感する。

この記事の見出し画像も、先日友人と街を散歩していて
何気なく高層ビルに入り、
エスカレーターで上れるところまで上がってみたら
眺望を楽しめるスポットがあり、ちょうど夕日が沈む頃だったので
二人でただぼんやりと眺めていたときの写真だ。
事前に計画していたら、こんな素敵な出来事には出会えない

自然でも人でも、偶然の出会いにはとっても感謝したくなってしまう。

見知らぬ人々の善意に対する感謝

常々思うことだが、この世の中の多くの国で、人々が安全に暮らせているのは、人々の善意があってこそだ。
一部には自分の富を増やすことや、他人を陥れることを目的に生きている人がいて、世の中的にはそういう人の方がメリットを享受していて、「勝ち組」と呼ばれることも多い。
でも、そんな連中ばかりだったら、世界は本当に住みにくい、ギスギスした場所になっていただろう。

大半の人々は、公平な善意を持った(持とうとしている)市民なのではないかと私は信じている。
誰もが他人を思いやり、自分だけ得をしようなんて思わずに生活しているから、毎日、平和で安全な日常を送ることができる
それって本当にありがたいことだ。

これを話すと、考えがナイーブすぎるとか、ビジネスで通用しないとか言われそうなので(実際、言われたことがある)、普段は口にしない。
この気持ちを分かち合えそうな人と出会えたら、それこそ大感謝しちゃうんだろうなと思っている。



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