言語より言の葉?

まだ、小さい頃の話。

母方の父から、あることを言われた。そのあることというのはたった一言なのだけれども、振り返って見ると無意識のうちに、自分の人生はその通りになっているような気がする。

言葉というのは怖いもので、無垢である程、人の潜在意識の中にスッと入って行くような気がする。そういった意味で言えば、子供に向ける言葉は本当に気をつけないといけない。

言葉は、平安時代前後は「心のあり方」を示すものだったという。当時、神道と言葉は繋がっていた。これは日本だけではない。旧約聖書(ヘブライ語)でも似たようなことが言えるという。言葉は息、風を意味し、「風は何処より来たり、何処に行くか知らず。風が吹くところに命が生まれる」という。風の部分を言葉に変えて見ると面白い。言葉を「言の葉」、葉が風によって吹かれているような。日本の上代においては「言」は「事」と同じ概念だったとも言う。

こんなことを考えると、思っていることを言葉化しないことには、行動にならない、事にならない。言葉化はいかに大切かがわかる。ただ、どう言葉化をして行けばいいのだろう。発想が湧いてくるような言葉化を目指しているのだけれども、まだ、わからない。

隅をつつく話はしたくはないが、最近「言語化」という言葉がよく使われるけど、自分としては、言語以前のレイヤーで言葉があるのかなとも思う。言語というと格式張って、言葉で相手に伝える文法見たいのものも絡まってくる感じが好きではない。他の人に伝えるという意味では大切だけれど、むしろ自然と自分から出た言葉が共感を得やすいのではないか。つまりは自分の経験、あるいは読書などから出た、いわゆる自分らしい表現。「言の葉」でいうことの方が潜在意識に入りやすいような気もする。そうでないと万葉集とか和歌集はピンとこない。


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