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こどもの日はなぜ「母に感謝する」のか?を探ってみたい

こどもの日!ですね!

祝日法に書かれているこどもの日の条文といえば

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)

ですよね。
不思議に思いませんか?
なぜこどもの日なのに母に感謝するのか…!

もちろん、母がいなければ子は生まれません。
しかしそれをいえば父親だって必要です。
戦後まもなくの価値観だったとしても、
ここに母のみへの感謝を加えるのは
どうにも不自然なような気がするのです。

この疑問を解決すべく、まず内閣府HP
「各「国民の祝日」について」
を見たのですが、特に記載がありません。
(このページもめっちゃおもしろい)

各「国民の祝日」について
https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou/kaku.html


次に、先日書いた記事にあるように
こどもの日制定に関しての国会会議録を見てみました。

これを見ていると不思議なことがありまして、
ずっと「こどもの日を作ろう」「子供の福祉を」という感じで話をしていって、
じゃあ日付はどうしよう、この日は、いやこの日は、と議論があって、
では5月5日にしましょう。
5月5日がこどもの日です。
…って感じで決定するわけなんですが、
第二回国会で話された条文の原案では

「こどもの日、五月五日、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる。」

第2回国会 参議院 文化委員会 第7号 昭和23年6月18日|発言のURL

となっていて、「母に感謝する」という文言がないのです。

それなのに、決定した条文には、突如として
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」となっているんですね。


一体…なぜ…??

ということで予想を立ててみました。


会議録にもありましたが、端午の節供は
昔は(藤原時代は、という言い方をしていましたね)男児の祝いや戦ごとが
モチーフになるような行事ではなかったとか。

では何かといえば、端午の節供はもともと、田植えの時期に早乙女(田植えをする若い乙女)が禊をする行事だった、という説があるそうなのです。
旧暦の時代の端午の節供は、今のような季節ではなく6月くらいの梅雨の長雨の時期。じめじめしてよくないものが溜まりやすい時期でもあったのでしょう。
田の神を迎えるために、女性が菖蒲を葺いた屋根の下で忌み籠りして精進潔斎すしていたそうなのですね。
(参考:神奈川県立歴史博物館)

そうなると昔は必ずしも男児の節供というわけではなかった、どころか、むしろ女性がメインの行事ということになります。

それで女性に、ひいては母に感謝…ってコト!?

と想像したのちに、暦に詳しい「こよみのページ」のかわうそさんに見解を伺ってみました。こちらのサイトの方です。

(超オススメの暦系サイトです)

お話を聞いてみるとどうやら、当時「婦人の日」という祝日を作りたいという動きがあったそうで、その要素を入れたものと考えられそう、とのことでした。
ご本人は「まだ追いきれていない」とおっしゃっておられましたので、それが必ずしも確定事項ではないということなのですが、婦人の日・母の日の運動をされていた方がこどもの日に母の要素を入れることで納得されたような様子もあったそうなのです。


そういえば国会会議録にも、「婦人の日」に関する発言があったことを思い出しました。母の日を祝日にという話も出ていました。

何かそういう機関誌や新聞や情報誌に載っているとはっきりするんですけども、そういったものはまだ情報にあたれておらず、今のところとっかかりとしてはそんな感じです。

まとめ

こどもの日の条文は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する
なぜ母に感謝するのかというと、どうやら「皐月忌み」「早乙女」といった女性が主役の節供だったから、という理由ではなく、おそらく婦人の日を提唱したいという動きがあって、それをこどもの日に集約されたと考えられる。しかし、
はっきりしたことは私にはまだわかっていない…

こういう、条文のふしぎも追求するのがとても面白い!
今度、変化することがあるのでしょうか。新しく生まれる祝日もあるかも知れません。
その時どんな条文になるのかも楽しみですね。

さて今日はそんなことを考えつつ、柏餅をいただきながら菖蒲湯に浸かりたいとおもいます!

端午の節供のはなし、こんなのも。


そういえば今年の母の日は、パターン的に一番早く来る
5日8日(日)ですね!

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