体が弱い女が母親になるとこうなる
私は昔からよく体調を崩しがちだった。
3歳の時に小児喘息になり、その後も水疱瘡が流行ればすぐ水疱瘡になるし、インフルエンザが小学校で流行ればワクチンをしていてもインフルエンザをもらってくるような、流行は一通り経験しておきたいので、という派(そんな経験せんでええ)のこどもだった。
運動は苦手で、喘息には水泳がいいらしい、という母の情報を聞いて水泳を始めたものの、5年間ならってやっとクロールの息継ぎが少しだけできるようになった感じで、小学校6年は全員何泳ぎでもええから100メートル泳がなあかんという謎の厳しいルールがあっても、背泳ぎでぷかぷか浮きながら100メートルを過ごした思い出がある。背泳ぎで100メートル泳ぐことを選択する人たちは泳ぎが上手い人たちばかりで、私みたいに「息継ぎせんでいいから」という理由で背泳ぎを選んだものは、最後の25メートルをたった1人でみんなに応援されながらぷかぷか泳ぐと言う、皆さん大会やのにライバル学校の人たちからも応援してもらっちゃってすいませんねというなんとも言えない恥ずかしい気持ちを抱きながら水泳大会を終え、本当に水泳は全く身に付かなかった。
そんな泳ぎ方で体力がついて体が強くなるというような感じでもなく、中学のときになにか運動せんと体が強くならへんと思って始めたのが卓球だった。
卓球部に入る時は、「女子が少なくてすぐ試合に出られそうやから」という入部理由で舐めてかかっていたが、いざやってみるとこれがとても楽しくて、卓球は意外と体力勝負なところもあり、走り込みや縄跳び練習なども連日行って結果前よりは体調をくずす頻度は少なくなっていたように思う。
卓球はとても楽しくて、大学も卓球部があるところを選んで受験し、計10年間は卓球を楽しんだ人生を送った。
その後社会人になってからも友達と市民大会に出たり、昔通っていた卓球教室に引き続き通ったりして、たまにやる程度になり、結婚して出産引っ越ししてからは卓球をする時間もとれず、運動は全く縁のないものになった。
そして、こどもと旦那と知らない土地でやっていかねばならないストレスもあったのかもしれない、その頃から段々体調を崩すようになってきていた。
こどもが引いた風邪はかならず私が貰うし、喘息も社会人とときに再発してしまったので風邪後は毎回喘息で長引くようになった。
九州に引っ越してきた時、こちらの生活が関東での生活とは大きく違い、
PM2.5は飛んでくるし
駐輪場ないから自転車使えない
大型スーパーではなく商店回ってお買い物
田舎なので知らない人でも声をかけてつながろうとしてくれる
今はもうそんな生活にも慣れてからのだが、転勤したての頃は長女ねね3歳が環境の変化に慣れず1ヶ月ほど外に出たくないと泣き喚いてしまい、環境の変化やらこどもの変化が重なってさらに喘息が悪化、以来季節の変わり目のときには点滴を打ってもらわないとあかんくらいになってしまった。
そして土地に慣れてきた矢先のコロナ禍。
実家に帰れると思っていた長期休みは帰れず、お友達と息抜きになってきていた買い物やランチは行けず、ストレスがたまってしまい。
次女を出産するときは里帰りを選択できる環境でなく、産後は里帰りできない人への助成金を使って家事代行などのケアを使いながら自分たちで頑張ることを決めたものの、産後半年で旦那は職場の人間関係が改善せず適応障害で休職となってしまった。
そんななか、運動で体力づくりを!という発想はどこかへ遠くへ飛んでいき、私の筋肉はますますなくなり足は棒になり、授乳も相まってから現在史上最も軽い体重になってしまった。食欲はあるし、きっと旦那より食べてはいるけど、筋肉が落ちると体力も免疫力も落ちてきて(そんな話を聞いたことがある)、おいオレの筋肉、どうしたんだどこへいった、という有様。
今月は先週は娘に2人の風邪をもらい、昨日からはまたなんか喉がヒリヒリしたりして、乾燥なのか風邪をぶり返したのか、もはや嫌な予感しかない。私は発熱もしていたため、運動会には見に行けなかった。
まじ体力ない母。自分のことが嫌になってくる。
専業主婦をさせてもらっているのに、まっこと申し訳ない、そんな気もちがでてくる。
私職場は家庭なわけで、あんまり崩すと仕事が回らないのだ。いまはヘルプの夫もボーっとせなあかん時期やから、安易に助けを求められない。でも、横でバタバタしてると夫もぼーっとしにくいやろと思うし、私が倒れない範囲内で、いつかはやらなあかん家事は後回しにしながら、できる範囲でやっていくしかない。
母は強くないとあかんやんか、と思ったりもする。
うちの母親はあまり体を壊さない人だった。母が風邪で寝込んでいるところを見たことはないし、私が風邪をひいたり喘息で苦しい時も、母は私を担いで病院へいったり、自転車をぶっとばしてお迎えにきてくれたりしていた。
初めて母親になって、1番身近な母親像はうちの母のような、強くて体力があって頼りになる人なのである。そんな母親像は、今とても遠いところにあるように感じる。
周りのママ友は、よく体を壊す私をみてか、頑張りすぎたらあかんよっていってくれるんやけど、このコロナに関してはみんなストレスはあるおもうし、
「いや、みんなも色々ある中で頑張ってるやろ、なんでわたしだけ頑張りすぎと言われるのか」という謎の違和感みたいなものがホワホワホワと出てきてしまっている。
友達からの優しい言葉でさえも、なかなか自分を認めることができない。
こう言う気持ちも、きっと良くないと思う。免疫パワーが下がってくる要因やと思う。
せめて、私のメンタルだけは元気でいないとあかん。
いい子やな、まつお。
あんたはよーやってるよ。よしよししたろ。
自分で自分を褒めて、いいこやわーてさすさすして、すきま時間にできるときに筋トレをして、少しでも体力をつける。こんなもんでつくのかわからんけど、やらんよりマシと思う。
とまぁ、ここまで体調崩す母親も珍しいのではと思うのだが、母としては子や旦那に申し訳ない気持ちでいっぱいなんやけど、そんな中5歳になった娘ねねはそんなこと知るよしもなく楽しそうで、それはとても救いだ。
人の顔色を読んでくるところは少しあって、それも私がしんどい時が多いからそうなのかもしらんなとも思うけど、5歳やしまだまだわがままもいうし、言いたいことも伝えてくるし、ママ大好きよと言うてくれる。
私がしんどい時は、『新しいカギ」というめちゃイケ的なお笑い番組のチョコプラ松尾さんがやっている俳句の真夏井先生のモノマネをしてくれる。私が大好きな、娘のモノマネレパートリーのひとつ。
『あなたの岡崎への俳句、余計な言葉が多すぎます!』
『才能なし!』
これほ某テレビ番組の俳句の先生に寄せたキャラクターを松尾さんがやっているのだか、このテレビが大好きな娘が何度も何度もみていて、ネタを覚えてしまった。5歳が才能なし!と言っているところがとても可愛くてパワーがでる。本当に元気になってくる。
体がよわくてもすぐしんどくなっても、私は2人の子の親であることに変わりはなく、こどもは私を親としてちゃんと見てくれる。
その眼差しが素直でプレッシャーに感じたり自己嫌悪になってしんどいときもあるけど。
結局今日もこの体でやっていくしかないのだ。
今世はこのままでいくしかないから。
いかに楽しく過ごしていくか。
ここにかかっていると思う。
体が弱くても、こどもにパワーをもらって、こどもをみながら自分を見つめてやれる範囲でやっていく。明日どうなるかなんて、大きく言うたらみんなわからんねんから。
壮大に考えて、結局もうええや、わからんわ、となって投げやりにならずに前を向いて進んでいくことが大事と思った。
結論、からだが弱い女が母親になると、
こどもからパワーをもらって生きていく。
周りにちょっと助けてもらうことは多いかもしれないけど、他のお母さんとあんまり変わらない、普通の日々をすごすのだった。
よし、今日も頑張りますか。
日々の中で、家族の笑顔を守るための何かに使わせていただきます。本当にありがとうございます。