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[1-2]ダウンタウン松本人志監督映画 考察前前提の最終説明 「すべてのシーンには意味・意図がある」を解説

前回の記事では「日本中を笑わせてきたプロ集団が"興行収入"でも"面白さ"でも"何度も連続で失敗"する事はあり得ない」という松本人志監督映画の考察前に頭に入れておく前提をお話しました。

今回の記事では考察前の最後の前提として「すべてのシーンには意味・意図がある」という部分を説明したいと思います。

撮影した動画を編集をして、映像作品を作成した経験のある方はご存じだと思いますが、すべてのシーンは意味や意図があり撮影・編集されています。

キャラクターを魅力的に見せるためのシーン、世界観や空気感をイメージしてもらうためのシーン、キャラクターの悩みや心情などセリフの行間を読ませるシーン、BGMに合わせてリズミカルに切り替わるシーンなど各シーンにはクリエイターがイメージする様々な意味や意図があります。

むしろ意味・意図のないシーンというのは基本的に存在しないと思っております。

「R100」冒頭のシーンはどんな意図があると思いますか?

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ここで松本人志監督第4回作品の「R100」冒頭部分のシーンを見て行きたいと思います。

「R100」という映画は、妻がこん睡状態で入院しており、日々の生活や子育てに悩んでいる子持ちの男性が、気晴らしに秘密結社のSMサービスを利用する事になり、非日常の生活へと引きずり込まれていくという話です。

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「R100」開始冒頭、トイレットペーパーがはみ出しているトイレが映され、女優の冨永愛さんがタバコを吸いながら化粧直しをしています。その後、トイレから喫茶店店内に戻り、主人公の片山貴文(大森南朋さん)と話をした後、片山貴文がトイレに入るのですが、先ほど映っていたトイレットペーパーがはみ出しているトイレが再度登場します。トイレでの用事(鼻血の処理)が終わったので、いったんトイレを出ようとするのですが、片山貴文がトイレットペーパーに気づき、「わざわざ」戻ってきてトイレの水を流すシーンが出てきます。

なぜこのようなシーンが撮影され、大事な冒頭のシーンに挿入されたか意味や意図を考えた人はいるでしょうか?

ストーリーや笑いに関係がないシーンに隠された意図がある?

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同様に「R100」の中で「今揺れた?」というストーリーを意味なくさえぎるセリフが3回出てきます。「今揺れたっていうセリフは何かの伏線なの?」という感じで、少しだけそのことに触れるシーンはありますが、映画のストーリーに関係がない本当に意味のないセリフで、当然のことながら伏線も見当らず、笑いが起きる要素もありません。

※ご紹介したシーンはR100考察時に私の意見を説明します。

ここで忘れてはならない「日本中を笑わせてきたプロ集団が連続ですべる事はあり得ない」という前提を思い出しましょう。

一般的な普通のクリエイターでも面白くしようと意図したシーンやキャラクターをかっこよく見せようとしたシーンで失敗したり成功したりする場合はありますが、「日本中を笑わせてきたプロ集団」が「何度も連続で失敗する」事はあり得ないと思っています。

なぜ私がここまですべてのシーンに意味・意図があると確信しているかと言われれば、第2回監督作品の「しんぼる」でストーリーや各シーン、セリフやBGMがスタートするタイミングだけでなく衣装の変化にいたるまで、多くの事に意味があると考察できたからです。

第2回映画作品「しんぼる」の大きなテーマ「善悪二元論からの脱却」

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松本人志監督の第2回映画作品「しんぼる」の大きなテーマのひとつは「善悪二元論からの脱却」です。上の一つ目の画像は、奇抜な衣装の柄が指し示すように、赤と青という善悪二元論にとらわれた成長前の状態(修行中)です。

上の二つ目の画像はさらに色眼鏡をかけています。善悪二元論にどっぷりはまってしまって、冷静に物事を判断できていない状態を指し示しています。ちなみにこの後、先入観にとらわれて間違った選択をしてしまい、手痛いしっぺ返しを食らいます。

上の三つ目の画像は、様々な人生の経験を経て善悪二元論から脱却した成長後の状態(実践中)を指し示しています。衣装の柄も赤と青の色が薄まっています。また、成長前とは異なり、感情は落ち着きながらも無数の選択肢から間違えずに正解を直感で選ぶ事が出来るようになっています。

基本的に松本人志監督の映画は面白いとか面白くないとかいう次元で作られていないと思っています。最初から伝える内容が決まっていて、最後に無理やりコメディ映画っぽくまとめるという順序で作られたと思います。

第2回監督作品の「しんぼる」に様々な意味や意図があると感じたからこそ、そのほかの映画も隠された意図や意味があるのではないかと考えるようになったのです。

松本人志氏がこのような作品(面白くない・興行収入も良くない・連続で失敗)を撮影した目的とは?

松本人志氏(面白い人が面白くない映画を撮影した)がどのような目的で撮影されたか考えると考察(妄想?)がはかどります。ただ単純に失敗しただけなのか、それともその他の目的があったのか?

しかし、私の考察通り支配層?的な権力者が何かの目的で撮影させた映画なら、映画を見た人の意識を一定の方向へ誘導したいという可能性があることも考慮に入れる必要があると思います。

なので私の考察を見る場合は、以下の事を前提にお読みください。
[1] 日本中を笑わせてきたプロが連続で失敗する事はあり得ない
[2] すべてのシーンには意味・意図がある
[3] 支配層の誘導には注意が必要
ということを前提にしつつ、ぜひ私の考察をお読み頂きたいと思います。

次回は松本人志第1回監督作品「大日本人」の考察をお送りします

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次回は松本人志監督第1回作品「大日本人」の考察をお送りします。この映画は、まだちゃんとエンターテイメントを意識して撮影されていると思います。それほど意味深な表現やシーンも見受けられなかったのでので、考察は1回の記事で終わると思います。

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