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禅とサムライの密な関係

おはようございます。ドドルあおけんです。

ライフハック・教養の土曜日。今日はこないだ記事にした神道からの流れで、禅というところを少し掘ってみようと思います。海外にも禅好きが多いと聞きますので、いざっていう時に間違ったことを言わないように整えておかないとです。

参考図書は「禅と日本文化」by 鈴木 大拙氏です。

禅とは何か?

まずはWikiのコピペです。

禅(ぜん)は、大乗仏教の一派である禅宗(ぜんしゅう)の略、もしくは、サンスクリット語の ध्यान(ディヤーナ)の音写、禅那(ぜんな)の略である。また坐禅(座禅)の略としての意もある。禅宗は南インド出身で中国に渡った達磨僧(ボーディダルマ)を祖とし、坐禅(座禅)を基本的な修行形態とする。

達磨さま、9年間洞窟の中で座禅を組んでいたといいます。

だるまに手足がない理由。そして、だるまのモデル「達磨大師」はキリストの使徒だった?___歴史・文化_-_Japaaan

仏教を開いたお釈迦様がインドの釈迦族の王子だったことはよく知られていますが、実は達磨大師も南インドの南天竺国の第3王子として誕生し、父である国王が亡くなった後に出家して僧侶となったとか。

仏教にしても禅にしても日本に定着しすぎていて、あまりインドイメージないですけど、両方ともインドのロイヤルファミリーのプリンスが開祖なんですね。

どんな教え?

こちらもWikiからの抜粋です。

全ての人が例外なく自分自身の内面に本来備えている仏性を再発見するために、坐禅と呼ぶ禅定の修行を継続する中で、仏教的真理に直に接する体験を経ることを手段とし、その経験に基づいて新たな価値観を開拓することを目指す。そうして得た悟りから連想される智慧を以て、生滅の因縁を明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみの六道を解脱して涅槃に至り、その後に一切の衆生を導くことを目的とする。そのため師家が修行者に面と向かって、臨機応変に指導する以外には、言葉を使わずに直に本性を指し示す道であるとされる。

智慧、生滅の因縁、六道を解脱、涅槃、一切の衆生。。なかなか専門用語が多くて掴みきれませんが、何かの教えに従って必死になってスキルを習得するということではなく、人が元々持っている霊性が煩悩などによって体感できなっている状態から座禅をベースとした修行をすることでそれが体感・体験ようになり、最終的に悟りを得ることができる、という整理にしておきます。ちなみに涅槃というのは生死を超えた悟りの境地です。

経典や言葉を使わず、体験ベースを重視するのですが、言葉を使わない宗教という意味では神道と通じるところがありますね。神道に至っては教祖のような人もいなくて、やらなければいけないTODOリストは以下の4つだけでした。

・自然を守り、人と自然が共生できるようにすること
・コミュニティで祭りを行い一体感を持つこと
・家庭・コミュニティ・国の発展を祈ること
・清浄の状態を保つこと

この元々ある日本人に馴染みのある言葉/教えのない宗教である神道と性質が似ていることから、禅はこの国の人々と相性がよかったように思います。

体験でなければわからないもの

簡単な例ですが、オレンジジュースを飲んだことがない人がいたとして、その人にその味を言葉で教えてあげてください、と言われたらどう説明できるでしょうか?酸っぱい、甘い、さわやか、ちょっとだけ苦味があるかも。。

いくら言葉を足していっても”あの”オレンジジュースの味を相手に体感してもらうことはできないですね。言葉には体感・体験を伝える時にどうしても限界があります。

今日紹介した著書の中で知識には3種類あると言っています。

1.読んだり聞いたりすることによって得る知識
  ほとんどがこの知識
2.科学的と言われている知識
  
観察と実験・分析と推理の結果。1よりは強固な基礎がある。
3.直感的な理解による知識
   あらゆる種類の信仰の基礎。

そして、禅が呼び覚まそうとするのは3の知識ということです。

先程のオレンジジュースの例でいうと1は「オレンジを絞って出てきた液体」で、2は「ビタミンC、葉酸、カリウムなどの成分が含まれる糖度11%前後のオレンジ色の液体」、となるかもしれませんが、3については「とりあえず飲んでみて」なわけです。

禅が教えを言語化したり、それを知識として覚えることを嫌うという感覚は、オレンジジュースの美味しさを知りたいのに言葉で延々その説明をされているのに苛立ってる人の感覚に近いように思います。

武士と相性バツグンの禅

社会的なポジションや役割によってその人たちの嗜好は変わってきます。お金持ち、貧乏、右、左、老人、若者。それぞれの立場によって守りたいものが変わってきますし、それをサポートしてくれるような教えに人は寄っていきます。

日本には昔、次のいい表しがあったといいます。

天台は宮家、真言は公家、禅は武家、浄土は平民。

これについて次のように解説されています。

天台と真言は儀礼主義に富んでいて、その諸儀式を行うや、なかなか煩雑で、手のこんだ華麗豪奢なものがあるので、それが洗練された階級の嗜好に投ずるのである。
浄土宗はその信仰と教義が単純であるから、おのずから平民の要求に応じている。
禅では究極の信仰に到達するために、最も直接的な方法を選んだほかに、これを遂行するに異常な意力を要求する宗教である。そして、意力は武人のぜひとも必要とするところのものである。

形式主義や豪華、洗練されたものが好きな宮家や公家はそれをサポートする天台宗、真言宗に愛着を持ち、南無阿弥陀仏を唱えていれば天国にいけるよっというシンプルさはそのとっつきやすさから庶民に受けます。

そして、武家・サムライが最も気にしているのは、戦いによって死ぬこと、その恐怖をどう克服するか、ということです。仮に死に直面することがあっても武士として勇敢に死にたい、そう思った時に、座禅によって悟りの境地に立ち、死を恐れない精神を身につけることができるというのは何よりも大きな価値があったのだと思います。

「武士道というは、死ぬことと見附たり」で有名な葉隠には、次のような一節があります。

「武士たるものは、生死を離れなければ何事も役に立たず」

死に意識が行ってしまうとその恐怖から士気が下がり、戦場で負けてしまう。この戦意喪失状態をサムライは嫌うわけです。

禅を熱心に学んだという2人のサムライ、武田信玄(1521-1573)と上杉謙信(1530-1578)の二人の言葉から禅が与えた影響を感じ取れます。

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(川中島の戦いでぶつかった2人です)

武田信玄
「参禅嗜むべきこと。語に曰く、参禅は別に秘訣なし、唯だ生死の切なるを思ふと。」
上杉謙信
「生を必する者は死し、死を必する者は生く。要はただ志の如何にあり。(中略)生を惜しみ死を厭ふが如きは、未だ武士の心胆にあらず。」

生きることに執着せず、死を常に身近に感じる。まさに「武士道というは、死ぬことと見附たり」に通じる言葉を二人は残していますね。

禅の修行とは?

座禅をすべての基本に据える禅。西洋的には瞑想と近いかもしれませんが、それ以外にも色々決まった所作というものがあるようです。

現代でも体験できる禅の修行について、体験者が4日間の体験を綴ったブログがあったので読んでみました。そういう感じかー、というのがつかめるので興味がある方はぜひ。

基本的には座禅を繰り返すのですが、それ以外食事の時に色々な決まった動きがあるのと、禅僧の偉い方にどんなことを聞いてもよい質問タイムなどがあるようです。

実際に参加しているのは意外と20代の女性も多いらしく、幅広い世代から人気が高くなかなか予約がとれないようです。ひたすら自分と向き合う4日間の中でどんな体験ができるのか、機会があれば一度チャレンジしてみたいと思います。

学び・気づき

・禅はインド人のロイヤルファミリーのダルマさんが座禅しまくって悟りを開いたのが最初の宗教で、生死を超えた悟りの境地をめざすもの。この悟りの境地を涅槃といい、英語ではニルヴァーナ、という。カート・コバーンは最後、涅槃に至ったのか、気になるところ。

・生死を超えた悟りの境地→生きることに執着しない、死を常に身近に感じ、死を抱きながら生きる→戦場でビビらない、勇敢に戦える、しかもあんまり勉強しなくてよくてひたすら座禅というシンプルさが武家階層のニーズにミート。武士×禅の素敵な関係ができあがる。

・永平寺で4日間の修行体験できる。場所は福井県。

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ということで今日のお話は以上です。

日報

昨日の備忘録。

・PとMTG(11am)
・↑ミーティングメモ(日・英)
・P/B MTG @AJT (4pm)
・MPSとヘルスケアビジネス企画会議@AJT(5pm) 

明日はエンタメの日曜日。音楽ネタを予定しています。

マーケティングの月曜日
経営戦略・事業開発の火曜日
EC・ロジスティクスの水曜日
DXの木曜日
グローバル・未来の金曜日
ライフハック・教養の土曜日
エンタメの日曜日

それでは今日もよい一日を。

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