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ピカソ、マティスの絵は何がすごいのか? ヘンテコの裏側を覗き込む鑑賞力を身につける 〜アート思考を学ぶ(前編)〜

おはようございます。ドドルあおけんです。

このnote、土日は普段のビジネスのお話からスローダウンして、週末モードのお話をしています。

ライフハック・教養の土曜日。今日は「13歳からのアート思考」という本から、今後の教育からビジネスマンのスキルアップにいたるまでとても重要な「アート思考」をどのように身につけたらよいか、ピカソやマティスの絵を題材にしながら、そのアプローチを学ぶことができる回となっています。


末永幸歩氏

末永幸歩_-_Google_Search

まずは筆者の末永氏がどんな経歴の方なのか、ダイヤモンド社の著者紹介にあったプロフィールを掲載しておきます。

美術教師東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了
東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。現在は、東京学芸大学附属国際中等教育学校で教鞭をとっている。
「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を展開。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。
彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。
自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。

末永幸歩。いい名前ですね。末永く幸せに人生を歩いていく。ラッキーな名字とご両親の思いが感じられます。

子どもたちから「美術がこんなに楽しかったなんて!」とコメントが出てくるなんて素敵な先生ですね。全国の学校の美術の時間は、この方の動画を流してるほうが世のためな気がする。

中学生になると人気が急落する美術の時間

小学校の頃の図工って結構楽しかったイメージあります。たこ作って飛ばしたり、彫刻刀で版画作ったり、芋版とか。でもある統計によると小学校から中学校になって一番人気の落ち幅が大きいのが美術の時間らしいんです。

その原因で大きなものは「受験に重要じゃない」「思った通りうまく絵が描けない」「美術の評価が美術史などの知識をチェックするものに移っていく」といったことですね。

末永さんはこのような状況について重要なことを指摘しています。

絵を描く」「ものをつくる」「アート作品の知識を得る」こうした授業スタイルは一見すると皆さんの創造性を育んでくれそうなものですが、じつのところ、これらはかえって個人の創造性を奪っていきます
このような「技術・知識」偏重型の授業スタイルが、中学生以降の「美術」に対する苦手意識の元凶ではないかというわけです。

良かれと思っていることが間違っている時が一番タチが悪い。

見直される「アート思考」

末広さんは次のパブロ・ピカソの言葉を引用して、人が大きくなる過程で画一化し、自分なりの視点を失っていく大人になることに警鐘を鳴らしています。

すべての子どもはアーティストである問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」

この場合の”アーティスト”というのは、上手な絵をかけるとか、美しい造形物を作れるとか、名画のうんちくを語れる、とったことではありません。

アーティストとは、オリジナリティのある作品を生み出すまでの過程を自分の中に取り込めている人、身につけている人で具体的には以下の3つができる人です。

1.「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
2.「自分なりの答え」を生み出し、
3.それによって「新たな問い」を生み出す

これができる人がアーティストであり、アートは生み出された作品自体よりも、その思考プロセス(アート思考)に着目すべきということです。

今までは美術に限らず、決まった正解にいかに早くたどり着けるか、というのが他よりも優れた存在であるために必要な重要なポイントでしたが、今の世の中ググれば大概の正解が秒で出てくるので、正解にたどり着くスピードよりも自分なりのものの見方、答えの出し方、さらなる問いが立てられる力の重要性が増しています。

現在の教育システムは、順応な労働者を作るには最良ですが、こうした時代の変化とそれに伴う必要とされる能力の変化に全くついていけていない気がします。

作品に至るプロセスに注目する

末永さんは「アート思考」というものを説明するために花に例えてわかりやすく伝えてくれています。

まず僕らが美術館とかに行った時にみる作品たちは、長いアート思考のプロセスを経てこの世に生み出されたもので、アート作品として花開いたということでその作品自体を「表現の花」とたとえています。

そしてその「表現の花」とその花が咲くまでのプロセスとの関係を表したのがこちらのイメージ図です。

NOTEネタ

表現の花が咲き乱れるためには、そもそも好奇心とか疑問とかアーティストの感性が関心を寄せる「興味のタネ」が必要です。

大事なのはこの「興味のタネ」は個々人がバラバラであって、画一的な授業で教えられる類のものではない、ということです。

そして個々人がそれぞれの持つ「興味のタネ」から「探求の根」が地中深く潜っていき様々な養分を独自の方法で蓄えながら、その思索を深めていきます。このアートが生まれるプロセス全体をアート思考と考えるわけですね。

遠近法を理解して美しい絵をかけるというのはどちらかというと職人さんの領域で、それは中世以降の画家たちがキリスト教の教会から仕事として依頼されて信者勧誘のためによりリアルな宗教画を描くことや、富豪の自己満足のために肖像画を依頼されて描いたりした世界に近いですね。

この職人としてうまい絵を描くことをアートと考えない、というのが末永さんの主張のポイントになります。

そして、このアート思考の本質が「芸術」の話にとどまらないことを末永さんは指摘します。

しかし、ビジネスであろうと学問だろうと人生だろうと、こうして「自分のものの見方」を持っている人こそが、結果を出したり、幸せを手にしてたりしているのではないでしょうか?
じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界の中で、果たして何かを生み出したりできるのでしょうか?
アート思考は、まさにこの「自分のものの見方」「自分なりの答え」を手に入れるための考え方です。その意味で、アート思考はすべての人の役に立ち得るものなのです。

結構挑発的な表現も含まれますが、末永さんは言いたいのはそんなに難しいスキルの話ではなく、ピカソがすべての子どもはアーティストだ、という話に立ち戻り、大事なのは子供の頃に誰もが持っていた純粋な自分だけの見方を取り戻すことだ、という着地になっています。

アート思考で作品を鑑賞する

アート思考の話の後、この本では具体的な作品を6点取り上げ、その鑑賞のポイントとアート思考について解説があります。
今回の前編では、まず2点を取り上げ、来週の後編で残りの4点について鑑ていきたいと思います。

この6点「20世紀に生まれたアート作品」で、なぜ20世紀に絞っているかというと、長いアートの歴史の中で20世紀に生まれたアートこそが「アート思考」を育む題材として適しているからといいます。

それは、19世紀までのアートがアーティストの内面にある興味のタネではなく、外部(教会、富豪等)の要求によって作られたものが多いからです。

この点で、この職人視点ではないアーティストが登場するの20世紀に入ってからの作品を題材とすることで、アート作品をきっかけに自分にしかない「探求の根」をじっくりと伸ばし、「自分なりの答え」をつくるための作法を身につける、という末永さんがやりたい美術教育に一番効果的と考えているわけです。

6つの厳選アート

それでは最初に6つの作品の作者とタイトルを並べてみます。1,2,6は聞いたことあるな、っていうぐらいです。

1.アンリ:マティス「緑のすじのあるマティス婦人の肖像」
2.パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」
3.ワシリー・カンディンスキー「コンポジションⅦ」
4.マルセル・デュシャン「泉」
5.ジャクソン・ボロック「ナンバー1A」
6.アンディー・ウォーホル「プリロ・ボックス」

鑑賞する時のポイントはよく見る、です。
アウトプット鑑賞」というのがよく見るために有効だそうです。作品を見て、気がついたことや感じたことを声に出したり、紙に書き出したりして「アウトプット」すればいいらしいです。先週のアウトプット大全でも出てきましたが、アウトプットは大切ですね。

ここでは、美術を全く理解しない僕が自分なりのアウトプットを一回書き出してみてから、美術の末永先生の解説を見るという流れにしてみます。

1.マティス「緑のすじのあるマティス婦人の肖像」

【作品解説】アンリ・マティス「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」_-_Artpedia_アートペディア___わかる、近代美術と現代美術

最初の作品は「20世紀のアートを切り開いたアーティスト」と称されるアンリ・マティスの「緑のすじのあるマティス婦人の肖像」です。画像の元はアートペディアというサイトからです。

僕のアウトプット
・自分の奥さんを描いてるけどあんまり愛情感じない。もっとキレイに描かないと普通怒られるよ
・右左で別の人みたい。左のほうが若そう、右はおばさまのようなおっさんのような。右側の顔の塗り方がより荒い
・顔や耳の輪郭など、縁取っているところとそうでないところがある
・右の首元だけ不自然な影がついている
・左の眉は緑で、右は青
・鼻筋に影ができる、という意味での緑の筋はわかるけど、額の筋は不自然
・髪の毛にフサフサ感がゼロ。塊。上げた前髪あたりの青い部分はなんか意味があるのかな
末永先生の解説
・見れば見るほど、果たしてこれが「20世紀のアートを切り開いたアーティストの代表作」といえるのか疑わしくなりませんか?
・正直、「色」「形」「塗り方」のどこをとっても、そこまでほめられるものでもありません。特に色使いはめちゃくちゃ。
なぜ、妻をこのように描いたのか、それを読み解くには西洋絵画の歴史を500年ほど遡る必要がある
・西洋美術史にずっと流れてきた「すばらしい絵」とは「目に映るとおりに描かれた絵」でそれが正解だと考えられてきた
・しかし、1826年に始めて撮影に成功した「カメラ」の登場で、目に映るとおりに描く能力で、より速く・正確に世界を写し取る競争で画家は勝てない領域に入った
従来の「すばらしい絵」のゴールを失った画家たちが探求の根を伸ばしはじめ、アートにしかできないことを追求した結果マティスのこの作品ができた
・当時の批評家はこの野獣のような色使いはなんだと批判し、騒ぎ立てました
・この絵画でマティスが試みたのは、これまでの「目に映るとおりに世界を描く」という目的からの決別、そしてアートの解放でした
・この絵をきっかけにたくさんの画家がそれぞれの「興味のタネ」から、「探求の根」を伸ばしはじめていったという歴史があり、その革新性からこの絵画は評価されている、ということなのです

現実に似せる、忠実に再現する、ということを至上命題としてきたアートの世界が、カメラという新しいテクノロジーの出現でその目標を破壊され、呆然としている中、マティスがその焼け野原の中から新しいアートの可能性を提示したということです。

いつの時代も破壊的なテクノロジーがすべてを再定義するというのは起こることで、昨日のテーマである賢くなりすぎるAIに対抗して人間はどうあるべきか、ということにも通じる内容ですね。

2.ピカソ「アビニヨンの娘たち」

続いては、世界で最も有名な画家の一人。パブロ・ピカソの「アビニヨンの娘たち」です。

【作品解説】パブロ・ピカソ「アヴィニョンの娘たち」_-_Artpedia_アートペディア___わかる、近代美術と現代美術

それではまずはド素人のアウトプットから。

僕のアウトプット
・真ん中のふたりは辛うじて人間ぽいが、その脇の3人はヒヒに近づいていってる感じ。特に右下はもはや太古の神
・立体感が一切表現されない。いろいろカクカクしている。
・どこにいる人たちなのかよくわからない。左は洞窟みたいだし、真ん中は青空の下のよう
・割れたガラスを通してみたような構図
・一番左の人手足かなりごつい、左足の膝小僧の盛り上がりがすごく、右足は何かと同化してしまっている
・左から2番目、まだ人間ぽいけど、上げた手と顔の比率とかがおかしい、正面向いてるけど、鼻は左を向いている、耳も目の横で正面向いてて変
・左から3番目、前のと似ていて、身体の向きと足の向きなどのネジレがひどいのと、上げている腕の大きさが尋常じゃないし、腕の胴体への付き方もおかしい
・右側の2人はちょっと笑わせたい、のかな、というくらい奇妙。君たちを描いた絵ができたんだよ、と見せられた時に右2人がどんなリアクションしたかが気になる

続いて末永先生の解説です。

末永先生の解説
・ピカソは生涯作った作品数が15万点といいます。10歳から91歳までの80年間精力的に描き続けました。(毎日80年間1日5枚描いて15万点くらい
・この作品が発表されたとき、アート界のひとは酷い絵だ、と非難していたといいます。だから変な絵だと思うのが普通の感覚
・でも、幼い頃から絵画を学んで、当時名を成しつつあったピカソはいったいなぜこんな作品を描いたのか?なぜこれが「歴史に残る名作」と呼ばれる様になったのか?それはこれまでとは違う「リアルさ」を探求した結果として生まれた表現の花だった
・正確に世界を写し取ることができるはずの遠近法は、そもそもかなり頼りない「人間の視覚に依存」。実際絵のようにすべてに焦点を合わせて風景を見ることは人間はできない
・ピカソは「ひとつの視点から人間の視覚だけを使って見た世界」こそがリアルだ、という遠近法の前提に疑問をもった
・遠近法を採用すると描くことのできない裏側に回り込む半分の世界が存在する、それよりも2つの目で立体的に現実を捉えている実際の状態に近い新しいリアルさを模索し、たどり着いたのが、「さまざまな視点から認識したものを一つの画面に再構成する」という彼なりの答えで、それを具現化したのがこの絵

ピカソは次のように言っています。

「リアリティは君がどのようにモノを見るかの中にある」

長い探索の末、彼がたどり着いた新しいリアルが「アビ二ヨンの娘たち」という結晶となって花開いたということですね。

ちなみにちっちゃい頃ピカソが描いていた作品を見るとそっからココにいったんだ、というのがよくわかります。出典はこちら

Picasso_-ピカソ-_幼少期から30歳までの若い頃の作品集_-_NAVER_まとめ

(8歳の時の作品)

画像___Picasso_-ピカソ-_幼少期から30歳までの若い頃の作品集_-_NAVER_まとめ

(14歳の時の作品)

天才、ですね。アビニヨンの娘たちは26歳くらいの時の作品ですから、幼少期から伸ばし続けた探求の根がそこにたどり着き、91歳でなくなるまでその根は深く広く、伸びていきました。アーティスト思考の塊のような人ですね。

学び・気づき

・アートとは作品そのものではなく、そこに至る思考プロセスにフォーカスをあてるべきもの
・人それぞれの興味のタネをもとにどこまで自分で深掘っていけるか、という視点が大事
・アート思考は、新しいスキル・技術を獲得することではなく、大人になる過程で押し付けられた価値観で見えなくなり、失った「自分で見る」能力を取り戻す作業
・アート思考のプロセスは、「自分だけのものの見方」で世界を見つめ→「自分なりの答え」を生み出し→それによって「新たな問い」を生み出す


ということで、本日のお話は以上です。

日報

・P ph.2要件資料作成(AM〜)
・同姓Bさんとシンクアップ(11am)
・上記資料完成〜シェア→英訳(PM)
・MPMとシンクアップ

明日は、エンタメの日曜日。音楽系の面白いYoutubeチャネルがあったのでそちらを紹介しようかなと思います。

マーケティングの月曜日
経営戦略・事業開発の火曜日
EC・ロジスティクスの水曜日
DX(デジタル・トランスフォーメーション)の木曜日
グローバル・未来の金曜日
ライフハック・教養の土曜日
エンタメの日曜日

それでは今日もよい一日を。

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