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「じぶん」のアーカイブ化

文章を書いてみようと思った。

理由は単純。「人生短すぎる」、と思ったからだ。もう少し具体的にいうと、ぼんやりと生きているうちにもう30歳、なんならあと数ヶ月でもう一つ歳を重ねるのに、自分の人生が色々見えていないことからの不安が大きい。

世間から見たらいわゆるバリキャリに分類される方だろうけど、興味のあることしか頑張れないし、効率厨なので、1つの会社でキャリアアップしていく未来はない。結婚はしておらず、独身。最近ではよく聞くようにはなったけど、まだあまり仲間には会えていないアセクシュアルである。おまけにいわゆる極端なHSPで、ヒトの見なくていいところも見えてしまう生きづらさを抱える。

いろんなことを自分の中で仮説を立てながら、本当にこれは自分に合っているのか、検証をしながら生きる…それがここまでの私の人生であった。

正直私は30年間生きてきて、ようやく自分の基本装備が何かわかってきた段階だ。だけれども、気づけば周りには子供を持つ家庭があり、家やら車やら大きい買い物をする方も出、日本を後にする人もいる。みんな一体どうしてそんな人生を進めるのが早いのだろう?

他の人と人生の速度が違うのは仕方ない。ヒトを生きる上で太古の昔から確立されてきた、いわゆるヒトの生き方王道ルートを選べなかったし、選ばなかったのだから。

多くの人が通った道は草は枯れ、跡ができ、そこが1つの道であることは誰の目からもわかるようになる。なんならもっと通りやすいようにもっと踏み固め、コンクリートを流し込み舗装されているかもしれない。

でも、その歩きやすい道を歩くことを私は選ばなかった。結構歩きづらい雑草だらけの草をかき分けて、汗だくになりながら進む道を選んでしまった。その選択は後悔していない。だけど、常に不安と隣り合わせの選択であることも忘れてはいけない。


こうした不安は、私をいかに未来を予見できるかという興味を掻き立てる。関連書籍や動画もたくさん見た。そうした色々な先駆者達の受け売りだろうけど、ふと思った。

AIに代替されていく未来の生活を想像していった先に、『時代の流れに流されず「自分」であることをどうしたら忘れず、維持し、それをアップデートし続けられるか』

この答えが、過去の自分をアーカイブし、データに残しておくことだった。

時代の流れや情報のかたちによってどんどん自分は変わっていくし、自分を取り巻く環境は変わっていく。けれども、変わらない価値観の根幹はずっと忘れずに、でも忘れると思うからたまには思い出せるようにしたい。

この時こんなことに悩んでいた、あの時こんなことで幸せな気持ちになった、など、今この時だから感じるリアルな感覚をデータで残すことで、変わっていく時代に変わらないものを残せると思った。

なんなら、アーカイブした自分データをAIに読み込ませて、自分が死んだ後も動く自分の思考のAIがいるのは面白いかもしれない。

アーカイブに関してはこんな素敵な本もあるようなので、これを勉強しつつ、文章も書いていければと思う。


ここまでだいぶ長くなったが、これが私が文章を書こうと思った理由。
今後駄文にお付き合いいただければと思います。


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