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都知事選終了で感じたのは、正直めちゃくちゃ「疲れた」

東京都知事選挙。昨日終わりましたね。
例年稀に見る盛り上がりを見せた都知事選ですが、私も残念なことに東京都民として1票を投ずる義務があったため投票してきました。

結果についてあれこれ言うのは後の祭りなので、とやかくは言う気もなければ、言えるほどしっかり勉強しているわけではないので言いません。ただし今回、都知事選で感じた感覚は自分をアーカイブ化するためには必要があるのではないかと感じ、筆を取る…というかPCを立ち上げているわけです。

結論から言うと、めちゃくちゃ疲労困憊しています。選挙のボランティアとかしていたわけではありません。ただ候補者を選び、選挙に行っただけです。ただし、どれくらい疲労困憊しているかというと、ど平日、月曜日であるにもかかわらず昨日から1分も睡眠できず、1日天井を見上げ続けるくらいです(一応申し上げておくと、普段は働いています)

なぜか。

自分の中であまり整理ができていないまま書くので取り留めもない文章になるのはご承知おきいただきたいところですが、理由は3つ。まず一番に感じたのは素直にこの人を入れよう!という意思決定ができなかったこと。

一応毎回居住者、在住者として自分の属するエリアの選挙には行くわけですが、特定の一人に1票を入れるにはそれ相応の責任を負う行為と思っています。なので、何故自分はその人に入れるのか、しっかりとその人の経歴や政策、インタビュー動画などを見て理由を明確にした状態で行くのですが、今回はその理由を決めるのが非常に難しく、正直今回は投票から逃げた…と言うのが私の投票行動です。(投票はしたものの、都知事選3位に入る人には入れなかった、入れることを放棄したみたいな意味合いです)

なぜか。

それは、通常の選挙と異なり、立候補者その人そのもののパーソナリティ✖️立候補者を支持する政党✖️立候補者を支持する著名人などの複数の要素がかけ合わさった結果、ほとんどの人がグレーに見えてしまったからです。

例えば、その立候補者そのもののパーソナリティは尊敬する部分もあり、応援したい、などと感じる。一方、バックアップとして繋がる政党、著名人がやや自身の心情や信念と異なる。そういった複数の掛け算が行われた結果、何を信じていいのかわからなくなったと言うのが今回の選挙戦でした。


立候補者本人のパーソナリティの見極め、これはいわゆるHPSの大得意とする部分です。名前は出しませんが、各候補者の演説動画やインタビュー動画を見ていると、よくわかるのがコミュニケーション能力。特によくわかる1対1のインタビュー動画である人は、質問者の話を遮って自分の話を継続する、結論が見えない、補足的情報を長文で話すことによって煙に巻く、質問に的確に答えていないような話をする方がいらっしゃいました。また一方で、質問者の回答に実直に、かつ的確に回答を述べる回答者もいらっしゃいました。溢れる熱意で質問者の発言と被ってしまった際には、ごめんなさいと、相手を気遣う場面も見られました。

ほんの些細な話し方、コミュニケーションの仕草ですが、個人的にはここに立候補者のパーソナリティが非常に顕になっているのではないかと感じました。通常の選挙戦であれば、別で所属政党の投票もあるので考えなくてもいい(もしくは考える割合が減る)のですが、今回は立候補者の指示=特定の政党の指示=特定の支持著名人などと複数の利害関係者がいるあまり、正直大混乱しました。

立候補者のパーソナリティは好き、政策も好き、でも裏側の政党は嫌い、応援しているバックボーンも嫌い。立候補者のパーソナリティは嫌い、政策は不明、裏側の支持者は応援したい。

情報が簡単に、たくさん、いくらでも取得できるような時代だからこそ、そして正解がないからこその混乱を痛感したというのが一つの理由かなと感じました。


次に、(長くなってしまいすみません!)あまりにも相手を陥れるということに注力する人が多かったこと。
これはみなさん、XやYoutubeをはじめとしたSNSを見ているかたなら痛感していらっしゃるのではないでしょうか。ご自身の応援する立候補者を支持するコメントをされることは立候補者の力になります。ただし、支持しない立候補者への不平不満、罵詈雑言、虚偽偽りのコメントがあまりに多かった。

そして、この支持しない相手方へ向けられたコメントは正しいのか、正しくないのか、判断する材料もないまま投開票日に向かってしまった。

正直これはもう防ぎようもないし、表現の自由だ、なんていわれてしまうと言い返す気力もないのですが、見ていてめちゃくちゃ疲れましたし、エナジーを吸い取られてしまいました。

いいところばかり言って欲しいというわけではありません。でも、なんというか、自分の発言に責任を持てますか?ということろは、何度でも問いたいです。

言葉は諸刃の剣です。
あまりに簡単に発信ができる世の中です。思ったことをそのまま出力して全世界に出すことは簡単。でも、その言葉で傷つく相手もいる。どうか、何か発言する前に、一考してほしい、とよくある言葉ではありますが、私は今回の選挙戦の混沌の中でそれを強く感じました。


最後に、今までめちゃくちゃ自分が選挙戦の情報を巡って疲れた理由ばかり書いてきたのですが、自分にこれから喝を入れるために書いておきたいこと。それは、相手の顔色ばかり伺う、八方美人では何も変わらないということ。

何かを選び取るのは、本当に骨の折れることです。
選挙の候補者一人でもそう。正直1票の格差、なんて言われるけどそんなものでは世の中変わることなんてそうそうありません。もっと言ってしまえば、若者の投票率が上がったところで、そもそもの人口母数が少ないので、国政に影響を与えるほどの効果はそうそう生まれません。

でも。選ぶために、考える。選ぶために、調べる。そんな行為は、全く無駄ではないと思うのです。知らなかった国の政策を知り、社会情勢を知り、いかに格差が、そして利権が絡んでいるかを知る。

そして、責任を持って、何かを選ぶ。そして、何かを主張する。声を上げる。言わなければ、無かったことと同じになる。たとえそれが一人でも、今の情報社会では届く可能性がある。届かせられる可能性がある。

怖いけど、やってみる。そんな小さな勇気がやっぱり世の中を変えていくんだな、と思った選挙戦でした。

<おまけ>
今回やや疲労感あふれる文書になりましたが、そのお口直しに選挙事務所の中からの見え方というか、選挙の言葉の力に焦点を当てた素敵な小説を読むと元気出ると思います。よければぜひ、読んで元気になってください↓↓


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