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「新しいこと」をすることは、未知を既知にする作業

無意識に、「新しいことをしなくてはいけない」というもはや強迫観念に近い意識が自分の中でそういえばあったと今日気づいた。

旅行に行こう、と考えるとまず行ったことのない場所に行きたいと最初に考える。平日の作業場所はどうしよう、と考えるとまず入ったことのないカフェに行かないと、と思う。同じ本を読み返すことは本当に稀で、大体読んだ瞬間断捨離をする。

人が1日に行う選択の回数が、3万5000回などとも言われるなかの数十回そこらの選択だ。日常は取捨選択の連続で、上記に記載したことは、ほんの日々の選択の1つで特に何も問題がないように見える。自分の意思決定範囲のうちで選べるうちはまだいい。
しかし自分の人生を決めるための後戻りできない選択はどうだろう。個人的に問題だと感じるのは、自分の意思だけではどうにもならないことに当たった時どうするか。


例えば人生のターニングポイントといえば、仕事を決める。大切なパートナーを選ぶ。ペットを飼う。居住地を決める。など。

私の個人的な経験から申し上げると、1つの企業に長く勤めるというのができない。もちろん長くいればいるほど、仕事のやり方も人間関係も、目を瞑ってでも家からオフィスに行くことだって手に取るようにわかってくる。ただし、これが私はむず痒くてしょうがない。

人に理由を伝えるためにとってつけたように言語化すると、ルーティン作業が嫌だとか、会社の全貌が見えてきてがっかりするとか、新しいキャリアがとかそういう話になってくる。だけれどもそれ以上に言語化できない、なんというか居心地の悪さというか、ここにいてはいけない感を強迫観念のように感じる。

決して人間関係が悪いわけでもなく、十分すぎる収入もいただいている。オフィスも綺麗だし、定時で退社もできる。

でも、そういうことではない「ここにいてはいけない」感を、会社によるが1年すぎたあたりからじわじわと感じ始め、耐えられなくなるとそこを辞めるなんてことをしている。自分のパーソナリティと、なぜかわからないこの強迫観念はよく理解しているつもりなので、いつ何時でも仕事を辞めてもやっていけるようなスキルを新卒のうちに身につけた(ただしやっていて楽しい仕事ではない)

年齢も年齢なのでそろそろこの転々と居場所を変える働き方を日本で続けると厳しいことを実感してきている。だけれども、謎の強迫観念がそうさせていることを解明するか、諦めて受け入れるかして、人生を選ばないといけない。そんな、何かから逃れて移動を続ける、ホームを持たない遊牧民みたいな生活をしている。


「新しいことをし続けないと、生きていけない」という強迫観念は実はこの仕事だけに限った話ではない。

軽いものだと例えば、知人とご飯に行こうとなった時、個人的にはよほど気に入った店以外絶対に同じ店にもう一度行きたくない。同じものも食べたくない。誰かとコミュニケーションをしている中で、同じ話を2回以上されるとかなりの抵抗感がある。それ故、何度でも同じエピソードを繰り返し話して懐かしむ飲み会とかの類が大変苦手だ。

更に重いものになると、女子特有のグループで群れるみたいなものが非常に苦手だった。この年齢になるとあまり気になるものではない、というかそもそもそういう集まりが無くなってはくるのだが、特に義務教育時代は地獄だった。グループに所属しない人間は一体なぜあそこまで人権がなくなるのか、摩訶不思議な文化だといまだに思う。


と、ここまでやたらネガキャンみたいなことを言い続けていたが、本記事のタイトルは「未知を既知に」がポイントである。

新しいことをすること、これは上記に記載した通り個人的には強迫観念的な決してポジティブな思想に起因していない。だけれども、その新しい行動が終わった瞬間、安堵が訪れる。自己肯定感が1ミリくらい上がる。
この行動をしていなかったら、この安堵も、自己肯定感も得られていなかったと考えると、自分の行動に自信を持つことができる。

自分の力量がその挑戦する行動の市場的にどれくらいわかっていて、チャレンジすることはあまり怖くはない。ただし、わからない場合が怖いし不安を感じる。やってみて、大失敗なんてこともザラにある。いまだに消したいと感じる過去も多い。だけれども、意外とその時のチャレンジをしていなかったら見えてこない世界がある。失敗の恥は、時間と共にだいぶ薄まる。ということをこの30年くらいで学んだ。

随分前に読んだ、サン=テグジュペリの「夜間飛行」にも似たようなことが書いてあった気がする。知らないことをする前はそれがなんだかよくわからないから怖いとか、不安とか感じるけど、やってみたらそれは既知のことになるとか。そんな感じの言葉だった気がする。

とにかく人生励まされる言葉が多いので、まだの方はぜひ読んでほしい↓



そんなこんなで、そろそろ言いたいことも尽きてきたので終わりに入る。

新しいことに挑戦しよう!というのは、一般的にポジティブな香りのする言葉で、何かすごいものに思える。すごいと思うあまり、ハードルを感じ、今までお世話になってきたいつもの場所、いつものものに帰りたくなる。なんならちょっと面倒だと思ってしまうかもしれない。

でも実は、新しいことをすることは、そんなすごいものでもない。ちょっと、いつものことに+αをしてみればいいだけのことだ。

何かの動画インタビューで武田双雲さんが、『新しいこと、例えば、歯ブラシするときにちょっと小指を立ててみる、これでいいんです。』と言っていたのを聞いた時に、強く強く共感したことを思い出す。

それで何が変わるんだと思われるかもしれない。でも、1歩進んで何かをやって見た時、それは知らなかった未来を知り、不安や恐怖がほんの少しだけでも無くなることだと思う。小指を立てて歯ブラシするだけなんて、タイパはかなりいいのでは。そんな小さな積み重ねをすることで、もっと知らないを知る状態、なかったものを存在するものに、自分を生きやすくする方法を見つけられるのかもしれない。





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