初詣
noteには書ききれない、
様々な事情が人それぞれある。
私にもある。
あくまでもnoteに書くことはその人の一面であり、全てではない。
当たり前なことなのに、
noteの世界だけで見ていると「この人はそうなのだ」と、断片的に見てしまうし、見えてしまう。
その一面だけをみて、羨ましがったり、妬んだりするのは違うと、ずっとずっとずっと自分にも言い聞かせてきた。
これからも、今も、そう言い聞かせる。
私は母方のおじいちゃん、おばあちゃんが嫌いだ。
私が3歳になるまで一緒に暮らしていたけど、
私が想像する以上に色々とあったようで、
両親が出ていくことを決意し、
近隣ではあったが、引っ越しをした。
今では両親に感謝している。
多感な幼少期に、あの家から出してくれたことを。
一昨日、おばあちゃんたちに電話で妊娠の報告をした。(コロナ禍で来るなと言われたから。)
おばあちゃんは
「おめでとおおおおお、まっとったよおおおお。」
と今まで聞いたことない声で喜んでいたが、私はその反応に凄まじいプレッシャーとこれまでのことを思い出して、とてもとても怖くなった。
喜んでくれているのに、怖い。
今思い出すだけでも、震えるくらい怖い。
様々な家庭の形、親族との付き合い方、友達関係。
自分しか分からない、自分を取り巻く環境。
どうやって伝えるべきかを、ひたすら悩んだ数ヶ月。
幸せな悩みだと分かっていますが、
自分の周りにはあまりにも心無い人もいて、それでも伝えなければいけない(後々面倒という意味もあり)という事情もあり。
普通に妊娠していたら、こんな気持ちにはならなかったのだろう。
普通に妊娠していたら、もっと違っていたと思う。
けど、不妊治療をしていた事実は変えられないし、自分の人生において無視なんてできない、かけがえのない期間。
そして今の期間は、不妊治療の延長線として続いていると、自分の中では思っています。
自分が経験した、感じた、学んだ全てが、今歩いている道なのだと。
周りの反応が全てなのだと。
年賀状は正直書くのを悩みました。
大袈裟な捉え方ですが、第一子を見送った昨年は私にとっては喪中。けど、やっぱり書かなきゃいけない人には書きました。お腹の子のためにも書くべきだと。
いただいた方には返事をしました。
年末年始は高山へ旅行に行きました。
(また別の記事で詳細書きたいな。)
名も知らない雪の降る町の、
高台にある大晦日の宴の後の小さな神社で、
夫婦2人っきりで1月1日に初詣をしました。
赤ちゃんが元気に育ってくれますように。
自分の周りの人たちが健康でいてくれますように。
不妊治療を頑張っている皆さんに光がありますように。
そう願った初詣でした。
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