あの日のこと
やっと書けるまでになった。
あの日、「流産の手術をした日」のこと。
未来の私たち夫婦のためにも、つらいことは記録するべきだと思うので、覚えているだけ書こうと思います。
今更だし、完全に自分達のための記録ですので、ご了承を…
2022年4月27日(水)
手術前日。通院の日。8週0日。
明日、まさか自分が流産の手術をするなんて思いもせず通院した。
希望の薄い、お腹の中の我が子。
前回心拍は確認できたが、かなり怪しいと言われた我が子。
大丈夫、大丈夫、心拍確認できたのだから。
そう思いながら通院した。
エコー。
そこに赤ちゃんはいなかった。
胎嚢だけが大きくなって、もやもやとした筋のようなものが、胎嚢の中に見えた。
先生は何度も確認してくれていた。
エコーがいつもより長かった。
…ただ、長く感じただけかもしれない。
「問診で説明しますね。」
そう言われて、覚悟した。
問診の順番がまわってきた。
入ってすぐに「残念なんですが…」と言葉を先生が濁した。
机には流産手術を受けるための書類が置いてあった。
先生はその説明の中で「流産」という言葉を一切口にしなかった。
せめてもの救いだった。
私は涙を流すこともなく淡々と説明を聞いた。
全て理解した。
頭が真っ白になることもなく、淡々と聞けた。
「いつ手術をされますか?ゴールデンウィークがありますが、、、明日か、ゴールデンウィーク中5月6日か、どちらか選べます。」
「明日にします。」
私の返事は早かった。
頭の中で、自分が辛くない方を、
咄嗟に、無意識に、選択していた。
私の性格上、お腹にいるだけでどんどん病むことが予想された。悲しみが募るのは分かっていた。
よく、「お別れするなら、少しの間でも一緒にいたい。」と聞くことはあるけど、私の中でそのような感情はなかった。
旦那に相談するなんていう選択肢もなかった。
赤ちゃんには申し訳ないくらい、
自己中主義で決めた。
自分の心を守るための、咄嗟の選択だった。
だが、それが本当に良かったのか、
分からない。
明日の手術となり、
手術のための問診票を書かなければいけなかった。
待合で書くことになった。
たくさんの患者さんが待つ待合。
いつもの風景、長く待たされてダラダラしているいつもの風景。
その風景が歪むほど、突然涙が流れた。
ポロポロポロポロ流れすぎて、周りの人は間違いなく気付いていたと思う。
ビックリするほど泣きながら、問診票を書いた。
この時が、一番辛かった。
なぜ今私はこの問診票を書いているのか、
訳がわからなくなった。
淡々とそのあと進んだけど、あんまり覚えていない。
そのあと、いつも通り会社にいった。
いつもテレワークしている上司が出勤していた。
私は出勤してすぐに上司に「すみません、いま1no1行けますか?」と聞いた。
上司はいきなりでビックリしていたけど、いいよ。と言ってくれた。(上司すみません…)
涙を拭ったあとだけど、バレていないと思いながら話をした。
唯一不妊治療について話をしている上司。
この方だけに、流産したことを伝えた。
そして明日手術をするための仕事の諸々の話、そして休みをいただくことを了承してもらった。
「まとのさんは、強いね。さっき言われて、仕事のことも考えて、、明日の休みは問題ないから、仕事のことは気にせず行ってきて。それより心が心配だよ。」
そう言われた瞬間に、また涙が出た。
上司の前では泣くまい、と堪え続けたものが全て出てしまった。
声を出して、泣いてしまった。
…今思えば本当に恥ずかしい。笑
上司が気を利かせて、別の話をし始めた。
30分くらい雑談をしてくれた。上司なりの気遣いだった。申し訳ない…
落ち着いたところで、「大丈夫?落ち着いてからでいいらかね。」と上司。
「本当にすみません……」としか言えなかった。
何とかその日は明日の仕事に影響が出ないよう、淡々と仕事をした。
何とか終えて、帰路。
旦那さんにはラインですぐに伝えていた。
我旦那は全く泣かない。
泣いたところをみたのは、一度だけ。
(またその話はいつか)
旦那はすでに、前向きだった。
体の心配をしてくれた。
その日は、全く寝れなかった。
今夜が赤ちゃんとの最後の夜……
そんなことを思っていたら、
寝れる訳なかった。
完全に寝不足だった。
2022年4月28日(木)
手術当日。
8時半までに病院で受付。
早い朝だった。
8時半の時間帯だと、9時からの受付の方々もいて、人でいっぱいだった。
「流産の手術を受けるのは私だけだろうか。」
そう思いながら受付した。
すぐにいつものベッドルームに通された。
採卵、移植の時と同じく、ワンピースにて。
いつものベッドルームだけど、隅の方のベッドを指定されて待機した。
9時からスタートだった。
向かいのベッドに誰か先にいた。
どうやら、今日の流産の手術は私のその方のみ。
9時になった。
先にベッドにいた方が呼ばれて手術室へ向かった。
20分後…戻ってきた。
全身麻酔なので、看護婦さんたちが運んだりなんだか慌ただしい雰囲気を感じて、次は自分だと息を飲んだ。
「これで本当に最後だ。ありがとう。またね。」
涙が出てきた。拭いた。堪えた。
9時半ごろ、呼ばれた。
採卵、移植、そして、流産の手術。
全てこの手術台で行われていたのか。
ということを理解した瞬間に、
この手術台にあと私は何回乗らなければいけないのかと、恐怖を感じた。
「麻酔入りますよ。大丈夫ですよ。」
そう言われて、気づいたらベッドの上だった。
大きな出血は、なし。
10時45分ごろに起きたけど、お腹に赤ちゃんがいないことを理解して、辛くなって泣いた。
そして、寝不足だったこともあり、もう一度寝た。
12時近く。
さすがに寝過ぎたらしく、
看護婦さんが呼びにきた。笑
「まとのさん、大丈夫ですか。。?体調悪いですか?」
…あ、そうか、このあと問診があった。今何時?え、12時?寝過ぎた。。。
意識がモヤモヤする中、なんとか起きて、涙を抜いて、問診へ。
待合室にあまり人はいなかった。
時刻は12時半過ぎ。
寝過ぎたな、私…
すみません。。。
問診はすぐに呼ばれた。
出てきた赤ちゃんを見せてもらった。
ケサランパサランだった。(以前のnoteに詳細)
これ以降のことは、ほとんど覚えていない。
帰ってご飯が食べれず、とにかく寝て、、、
次の日になっても、その次の日になっても、
ダメだった。
ゴールデンウィークは何をしていたのか、
本当に覚えていない。
他人に無感情な旦那も、
さすがにやばいと感じたのか、なんども大丈夫か?と聞きにきた。
全然大丈夫じゃないけど、大丈夫って言ってた。
すぐに仕事があった方がまだ気持ちが紛れたかも、なんて思ってたけど、どうだったんだろうか。
流産については、いくつかnoteにも書きましたが、一生忘れることはないでしょう。
そして、あるネットで見つけた言葉。
手術日は、その子にとっての誕生日。生まれた命がこの世に生まれてくることには違いないから。私たちはその子の誕生日だと思うことにして、毎年ケーキでお祝いする。
と。
その記事をみて、私も強く共感しました。
4月28日は我が子第一子の誕生日だと。
毎年ケーキでお祝いしようと思います。
一度でも心拍を動かして、生きようとした、その子のためにも、忘れないように。
生まれてきてくれて、ありがとう。
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