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誕生日と年末にしんみりしたい

2022年12月18日(日)🌗23.2 🌤6:45-16:30
24:大雪  72:鱖魚群(さけのうおむらがる)

ばたばたしていて、自分の生まれた季節「熊蟄穴」を過ぎてしまった。
ばたばたというより、心がワサワサしていた。住まいについて、少し具体的な話が出たことで、どうしたらもっとよくなるか?ということを考え続けて、心ここにあらずだった。

具体的な話といっても取らぬ狸なのだが、今借りているこの部屋を、買えるなら買うのはどうか?という話。とても狭いが、狭くて古い以外にデメリットがない。広いところに暮らしたい、もう少し田舎に行きたい、と何年も考え続けていたが、夫の職場の位置を考えると、そうしたら埼玉に行くほかない。やはり海方面から離れては生きていけない。なじみのない場所で孤独感が高まり、気晴らしもしにくくなることが予想される。乗り物が不自由な私でもなんとか生きてける、いまの便利なこの場所に、向こう15年くらいは居続けるしかないのではないか、と、少し考えたのだ。

もちろん、広い部屋に住みたい。自分の和室が欲しいし、夫の部屋に夫の荷物をぜんぶ運び入れたい。それはもう、衝動ともいえるくらい欲しているのだけれど。

年賀状を作ったり、手帳を新しいものに置き換えたりしていた。その作業のなか、いつも今年一年の振り返りをする。
45歳から46歳。猫が来た以外、何もない一年だった。ここには書けないが、去年を最後にいろんなことが終わった。仕事で目指すことがなくなった、というか、自ら何かを目指すことを終わりにすることにした。体も変わってしまった。その中で、ぼんやりとしていた。しばらくはそれで仕方がなかろうと思う。
しかし、昔なら、いずれ空白の中から何か始まるのかな、と考えたはずだが、今はそう思えない。確実に気力や集中力も減っていることも痛感している。ほおっておくとどんどんぼんやりしていくのだろう。

夫が出張先のドイツでクリスマスマーケットに行って買ってきたグラス。
夫は何を飲むにも今こればかり使っている。子どもかよ

しかし、猫が来た以外に、よいこともないではなかった。
・今後の住宅について夫と具体的に話す機会ができた
・ひとりで京都に行ってさまざまな気づきと出会いがあった(これが今年いちばん大きかったかもしれない)
・年始の頃にはもうやめようかと思っていた職場だが、なんだかんだ大きな不満なく仕事が続けられ、評価もされている
・いちおうnoteを続けた。週に一度は書いた。テーマがぼんやりしているのが難点だが
・いちおう瞑想も続けた。これはもう少しちゃんとやりたい
・薬が少し減った
・自分もふくめ大きな病気をする者がまわりにいなかった
・服から小物づくりにシフトしようかなあと考えている。スペースがとれないので
・友達?がひとりだけ増えた。数少ない友達全員とひととおり会えた

こんなところだろうか。私はちょうど誕生日と重なるので、この季節はしんみりものを考えたい季節なのだが、なかなか難しい。

さて、今から年末に行きがちな横浜で食事など。本当はクリスマスマーケットに行きたかったけれど、近年週末はチケット制で、しかもすぐに売り切れてしまい、高額取引されているのを見てドン引きしてしまった。普通にあちこち歩きます。


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