なぜ利己的な人が増えるのか
「最近利己的な人が増えた」、「もっと利他的に行動してほしい」、「最近の人はわがままだ」…
色々言われている気がする。
今回は、なぜ利己的な人が増えた(ように見える)のかを考えていく。
利己的な人が増えたのは利他的な人を求められているから
私の世代か少し前あたりから、自分本位の行動をする機会というのはめっきり減っているだろう。
学校にパンチパーマの角材を持ったイカツイ兄ちゃんはいなかったし、爪の長いガングロのギャルもいなかった。盗んだバイクで走り出す人もいなかった。まぁこの殆どがフィクションなのだろうが。
学校の部活は誰か勝手な行動をすれば連帯責任。
授業では「みんなで心を合わせて歌いましょう」。
公園に行けば、「迷惑になるので野球、サッカー禁止」。
とにかく、「個人の欲望」を叶える機会というのが、ものすごく少ない。代わりに、「人に迷惑を掛けるな、人のために」がとても多い。
加えて、個人個人の要因としても、欲望のスケールは小さくなっているだろうし、欲望を叶えるに当たっての意志の強さや覚悟は弱まっているだろう。昔のヤンキーと現在のヤンキーを比べると何となく分かるはずだ。
この状況で「利他的に」なんて無理なのである。
マズローの欲求階層説
マズローという学者が、「欲求は階層状になっていて、下位の欲求が満たされることで、上位の欲求の達成に動機づけられる(ざっくり)」という理論を発表している。心理学に触れたことがある人ならば、全員聞いたことがあると言ってもいいほどメジャーな理論である。(最下位から生理的欲求→安全の欲求→社会的欲求→承認欲求→自己実現の欲求)
とりあえず検索の最上位に出てきたものを。
この理論に則れば、「利他的に」とは、最上位の自己実現欲求、あるいはそれより上の自己超越で出てくるものだと考えている。
現在の状況を見て、その層までの欲求が満たされていると言えるだろうか。
「利他的な行動を」という名目のもと、そこに至るルート上にある利己的な欲求が制限されているのではないだろうか。
今日、明日の食べ物に困っている人が、他者に貢献しようと思えないように、低次の欲求が満たされていないまま一足飛びに高次の欲求を充足しようとは思えないのである。
現在の社会は、自己の欲求を叶えられなかった、あるいは中途半端に叶えている人が多いように思う。私もきっとその一人である。自己の欲求を叶えたいという思いと、利他的に生きなければならないという植え付けられた義務感の狭間で漂っている。
利他的な社会を求めるのなら、まずは自己の欲求が完璧に近いほど充足されるようにする必要がある。
逆説的ではあるが、それが一番の近道だろう。