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清水ダイブもいずれは普通になる日が来るものだ

◇NOTE◇
このマガジンを始めるきっかけ→
時系列ガン無視で綴るリアルストーリー(氏名は仮)

前半は当時の心境そのままに、
後半は当時を振り返る
そんな二部構成となっております。

INDEX→

2020.2

◇characters◇
菅田陵子(age 35) わたし 某出版社経理
ニカ教官(age 42) 同僚 某出版社マーケ

◇location◇
茨城

- 10年経過するともはやただの Identity Document



『あのー、どのタイミングでハンドルを切れば…』


情けない声を発しながら、
アクセルをゆっくり踏みしめた。




都内でレンタカーを借りて、
運転しやすくなる葛飾あたりまで
職場の同僚のニカさんに運転してもらい、

そこから茨城に向けて発進した。(all 下道)

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当時の様子




大学4回生の2月に合宿で免許を取り、
地元や卒業旅行の沖縄で乗った以来の運転。


車の動かし方すら怪しい(!)
13年ぶりの運転。


住基カードが浸透していなかった当時、
免許証はクッソ高い身分証明書でしかなかった。

(しかも再発行するハメになるし)



そんな状況でよく隣に乗って、
教習してくれることを快諾してくれたと思う。

わたしだったら絶対に嫌だw



- 不純すぎる動機



幼い頃から、助手席に乗るのが大好きだったし、
社会人になっても車に乗る必要性が全くなくて…

気づけば、どペーパーになっていた。



そもそも、そんなわたしが
なぜ運転をしようと思ったのか。





それは遡ること1週間。

運転の練習はやっておいた方がいいですよ〜

綾子さんがパートナーを乗せて、
都内を運転することになるかもしれません。

と某星の人から、
そんなアドバイスを受けたのがきっかけである…w



アドバイスを頂いてからすぐにレンタカーを手配して、
1週間後にはハンドルを握っているのだから、

動機というのはとても大切だ。

たとえ、それが不純であろうとも。



行動するのはどんな動機だって構わない。
動く事で運が動いていくものだから。

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- チャンスがやってきたら、何も考えずに乗ってみよ



茨城まではほぼまっすぐの道のりで、
なんとか目的地にたどり着いた。

細かいことを指摘すればいくらでもボロが出るが、
車に乗ることへの恐怖心はかなり和らいだと思う。



"田舎なら、なんとかいけそうだ"

そう思えるくらいにはなったのだから。






しかし、ニカさんによる茨城講習の2週間後。

まさか都内のごちゃごちゃした道を
運転する羽目になろうとは…




下北沢にいるから迎えにきて



大学時代の悪友からの謎のメッセージ。

聞けば、飲む予定ではなかったのに飲んでしまって、
車を動かせなくなってしまったらしい。


さすがに都心の運転は怖かったが、
友人もそこまで酔っ払ってはおらず、
指示は出せるとのことだったので、

下北沢〜中目黒までの短い距離を
ドライブすることになった。



とはいえ、
悲鳴を上げまくりながらの運転。w(わたしが)


夜の運転には慣れていなかったし、
友人の車はレンタカーよりも少し大きい車。

加えて下北は歩行者が多いからヒヤヒヤしたが
なんとかお役目を果たすことができた。






そして、この3ヶ月後のこと。

姪っ子の寮への引越しのために
わたし都心を運転することになったのだから、

このときに運転しておいて本当に良かったと思う。


怖がらずに悪友を助けに行った自分を
心から褒めてあげたい。w



Now

- 肝心のパートナーは?



えーっとw
2021.12現在、現れてはいませんw


けれどありがたいことに、このときの経験は、
その後大いに役に立つことになったのだ。


アドバイスを頂いた当時は、
その半年後に自分がまさか埼玉に住むことになるなんて
思ってもみなかったのだから。


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そして時が過ぎ、2021年の頭のこと。
またもや某方から、

運転やってますか?
都内走ることになりますから!ね!!!


と念押しされていたのだが。。。



2021.5
再び東京に引っ越してからというもの、
運転から遠ざかっていたもんだから、


”そりゃ出会わないよね〜”

と妙に納得している自分がいた。


- そろそろ動き出さねば!


前述の悪友は、
コロナ全盛期の間は関西に引っ込んでいたのだけれど、
最近また都内に戻ってきていた。

そして先週、再び運転させてもらうことができた。


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約10ヶ月ぶりの運転。
少し怖さはあったけれど…

埼玉暮らしのおかげで、
以前に友達の車を運転した頃よりかは、
格段に落ち着いて運転できるようになっていた。



そう。

清水ダイブと思っていた出来事が、
いつの間にか、清水ではなくなっていたのだ。


こういうことは往々にして起こりうるものだと思う。

東京なんて住むところではない

大学卒業後、
職場の研修で3ヶ月間都心に住んでいたのだが、

当時は関西弁が全く抜けなかったし、
人が多いところに住めるなんて思っていなかった。



それがどうだろう。

2019年に上京してみると、
関西弁はほとんど出てこなくなった。

そして気づけば今は超都会に住んでいる。笑




清水ダイブは確かに怖い。

けれど、やってみた先には、
必ず自分にとって何か得るものはあるに違いないと、

ここ数年の経験で思えるようになった。



さてさて。

あなたにとっての清水ダイブとは一体なんですか?

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