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執筆観察「散歩のように読む(3)」感じると気づくについて、あれこれ考えてみた

「散歩のように読む」とは何なのかを探っています。

この言葉は、hinaさんが書かれたマガジン「こよみだより」を読んでいる最中にひらめいた言葉です。

こよみだより」は何度もご紹介しておりましたので、そろそろお名前だけに留めさせていただきますね。

hinaさんいつもありがとうございます。


よく分からない

「散歩のように読む」を紐解くには感じる心がキーとなると散歩のように読む(2)で書きました。

次のテーマ(今回の記事)を

心の声に目を向けて読書してみる

としたのですが…

実は「感じる心」というのがよくわからなくなってしまいまして…。

文章を読んでいる中で思ったこと考えたことは、果たして「感じて」なのか「気づいて」なのかがよく分からなくなってきたんです。


これまた、自分でもわかるくらい細かいこと気にするな〜と…汗々、笑

些細な違いにも思えますが、ここははっきりさせたい…。

  • 「感じる」機会をより多く得られるようになる

  • 「感じる」感度が上がるようになる

そんな期待が持てるんですね。

だから、「感じた」と「気づいた」の違いをはっきりさせたい…。

「感じた」と「気づいた」の違いを知ることで直感的な感覚を育てられると思っているんです。


「感じる」「気づく」2つの違い

朝のランニング中に「キレイだな〜」という風景に出会ったので、これを使いたいと思います。

風景を見てキレイだなと感じた
風景を見てキレイだなと気がついた

捉え方に微妙な違いを感じます。

「感じる」は風景からキレイを受け取ったようなイメージ。
「気づく」は心の中からパッとキレイが現れたようなイメージ。


「感じる」はその対象物から何かを受け取ることで現れる感覚…?
「気づく」にも似たような印象はある…。


今度は食べ物の例で考えてみます。

先程のキレイでも感じた「何かを受け取る」の何かを○○と呼ぶことにし、これを用いてその違いを探ってみたいと思います

ご飯を食べておいしいと感じた。
ご飯を食べておいしいと気がついた。

「おいしいに気がついた」の言葉の使い方には違和感ありますけども、このまま進めていきましょう。

「感じた」では
ごはんを食べて「おいしい」という感情が生まれました。ここは

ごはん ⇒ ○○を受け取る ⇒ おいしい

と考えてみます。これはキレイも同じ流れです。

続いて

「気がついた」
こちらも○○を受け取ってるような感覚を覚えます。

ごはん ⇒ ○○受け取る ⇒ おいしい

もうひとつ、心の中でパッと現れるようなイメージもあります

ごはん ⇒ ○○受け取る ⇒ ハッとする ⇒ おいしい


「ハッとするおいしい」にはやっぱり違和感を感じてしまいますが、例えばある文章を読んでいて、気になる言葉に出会った時。

気になる言葉 ⇒ ○○受け取る ⇒ ハッとする ⇒ 感情が動く

となることがあります。

これには違和感がない。

これは○○がトリガーとなって感情が動いているとも捉えられそうです。

加えて

「気づく」には「感じた」と言い換えられる場合があるというのがわかります。


まとめてみると

「感じる」は○○を受け取ることで自然に現れる感情
「気づく」は○○をトリガーとして感情が動くもの
「気づく」は「感じる」と言い換えられる場合がある

となりそうです。

言語化するとこれだ。いやしかし、ほんとに微妙な違い…

同じことじゃないの…?

そう言っても過言ではありません…。


○○とは

この○○っていったい何なんでしょう。

該当するものが何なのかよくわかりません。

考えても答えが見つかりません。

それならばいっその事名前を付けてしまおう…。

そう名前だ…。

脳内で感情が湧き起こる原因となるもの。因子…、感情…。感情因子


感子かんし

感子かんしとは
人の感情を起因させる要素のこと。身の回りのもの全てから発せられている。強弱があり強いものほどより強い感情が湧き立つ。

つまり

「感じる」は感子を受け取ることで自然に現れる感情
「気づく」は感子をトリガーとして感情が動くもの
「気づく」は「感じる」と言い換えられる場合がある

受け取るとトリガーの違いを言語化しないといけないのですが、今回はひとまずここまで。

他に書きたいことを思いつきまして。


言葉の付け足しは必要ない

「感じる」では

〜だから、キレイ。
〜で、キレイ。

とはなりません。

あー、キレイだな〜。
なんだかいいな〜。

です。

感じる心を上げたいのならば「キレイだな〜」といった感情に言葉を付け足す必要はないということに気がつきました。


「〜だから、きれい。」の「〜」に該当する言葉を見つけようとすると、途端に「感じる」は「気づき」に変わってしまいます。

「感じる」という感情には「キレイだな〜」という言葉だけで十分ということを改めて再認識しました。


「散歩のように読む」とは

話を「散歩のように読む」へと戻します。

このキーとなるのが「感じる心」と冒頭に書きましたが、これに感子を加えて考えてみると

散歩のように読むとは

文章から感子を受け取ることで自然に感情が現れること

となります。

余計わかりにくくなったかも…汗々、笑


hinaさんの「こよみだより」がなぜ他の記事では得られないくらい、感じる心が高まるのかと言えば、この感子を伝える力が圧倒的に高かったと言えそうです。

そう考えれば、

発信側の強弱、受信側の強弱、それぞれが存在するなということにも気がつきました。

僕自身の受け取る力や見つける力が増えれば「感じる心」は自然に高まることにつながりそうです。

もしかすると、感子には強制的に強める力を持っているものかもしれません。

なんてことも考えてしまったり…。

今後、身の回りでできることといえば

noteを読むことで、どんなことが自然に頭の中に思かんでくるのかに注視してみること

が一例として挙げられそうです。


引き続き読むことに取り組んでいきたいと思います。


今回の気づき

・「感じる」は感子を受け取ることで自然に現れる感情
・「気づく」は感子をトリガーとして感情が動くもの
・「気づく」は「感じる」と言い換えられる場合がある

・感じる心を増やしたいのならば感情に言葉を付け足す必要はない

次回のテーマ

note読書。自然に思い浮かんでくる言葉に目を向けてみる。



ここまで読んでいただきありがとうございました。


一つずつ紐解きながらわかっていくを楽しんでいます。過去の執筆観察はこちらから。


#散歩のように読む   #執筆観察


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