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稽留流産の手術と術後の6cmの血腫

人生の中で一番辛く痛かった手術。

稽留流産が確定した2日後、子宮口を広げるためのラミナリアが挿入された。出血の最中のラミナリアはかなり痛かったが、次の日までロキソニンを飲んで凌いだ。

内膜掻爬術当日。この手術は普通なら麻酔で痛みを感じないまま終わるだろう。しかし麻酔が効きにくい体質のわたしは、事前にそのことを伝えていたにもかかわらず麻酔を増やしてもらえず、静脈麻酔で体がだるくなりめまいがする中痛みと意識ははっきりとある中で手術が行われた。

9時からと予定されていた手術代に10分前から横たわらせられていたのだが、先生は時間になっても来ない。

やがて看護師たちが遅い、先生何してる?連絡ついた?と囁いてるのが聞こえ、あぁ遅刻してるんだなと思った。

そしてやっと来たと思ったら、その若そうな女医は謝罪も挨拶もなしに突然手術をし始めてびっくりした。

こちらの気持ちなんてどうでもいいのか。


手術が始まった。

痛い。今までに感じたことのない程痛い。うめき声を止められなかった。きっとこれが我が子との別れの時でなければ叫んでいだと思う。我が子も苦しいだろうと思うと私が弱音を言うわけにいかないと思ってただひたすらに唸りながら我慢していた。

気づけば5分程度で終わると聞いていた手術は15分以上かかっていた。

術後休むために用意された部屋には母が待機してくれていた。帰りが不安で頼んでおいたのだ。

まともに会話できるようになるまで30分近くかかっただろうか。麻酔が抜けてるとかどうかじゃなく痛みと先生の態度と麻酔を足してくれと言ったのに意向を無視された怒りと、そして喪失感で話すことができなかった。


術後2日目。お腹が痛い。そして何だか熱っぽくなって図ると37.6℃。38℃を超える時は病院に電話と言われていたのでひとまず様子を見て家で待機をした。

しかし手術5日後に手術前日に匹敵するぐらいの腹痛がきて、4〜5cmの血の塊がゴロゴロと出て3時間ほどトイレで格闘した末、あまりに痛かったので病院にも一応連絡したが、様子を見てと言われた。次の日は痛みがおさまり2日後にようやく診察を受けた。画像には2次元で6cmの血腫があると言われた。それであんなに痛かったのか。

診察当日の夕方からまた鮮血が出てきたので病院へ連絡したところ、明日の朝一でもう一度来てくれとのことだった。そして最悪の場合そのまま再掻爬手術をするから飲食せずきてくれと言われ不安で仕方なかった。

もう二度とあんなに痛い手術を受けたくない。またあんな嫌な思いをしたくない。そう思いつつ、万が一手術になった時のことを考えて姉に付き添いを頼んだ。

再診でなんとか血腫の塊は自宅で全部出たから掻爬の必要はないとのことだった。心底ホッとした。母にも手術は無くなったと連絡したら、「これからお昼だろうから、お姉ちゃんと美味しいもの食べておいで」と母からランチをご馳走してもらった。

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腹痛やら不安やらでこの時まで味があんまりしなかったのだが、このお昼を食べてようやくご飯の味がした。


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