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美人と愛嬌とルッキズム

私が小さかった頃、母から可愛いと言われた記憶がない。ましてや美人もだ。
褒められるとするならば色白だったことぐらいだろう。

姉は小さい頃から顔立ちが整っていて自他共に認める美人で、恰好の比較対象だった。

少し大きくなって小学生の頃は、近所の子供達から頭がでかいと散々嫌がらせをされ、家ではぽっちゃりしてるのをいじられた。
そして同い年で幼馴染の女の子は性格は悪いが愛想があって可愛いといつも褒められていて、対照的な私は近所のおばさんたちからさほど可愛がられた記憶がなかった。

ルッキズムに晒されっぱなしの幼少期だったと思う。


そんな私が中学生でものすごく可愛らしい女の子に出会った。
彼女は笑うと口角がキリッと出て頬がキュッとあがる。

自分の顔を鏡で見ても、頬はそんなに上がらない。そして元々人見知りだから人前で笑顔を作るのが苦手な私にとってなかなか真似できない表情だった。

私はそこから奮起する。
毎日鏡の前で好きでもない自分の顔と睨めっこしながら頬の筋肉を動かしてトレーニングを続けた。
うまく上がらない口角を色んなトレーニングであげていった。

すると、作り笑顔でも目元まで笑って見せられるようになった。

これは大収穫である。


大学生になってからもともと興味のあったフェイシャルマッサージを習い、自分のメンテナンスをするようになった。服やメイクやネイルまで、頭の先からつま先まで気を配るようになった。

結婚して実家を離れてしばらくしてから帰った時のこと。

近所の集まりがあって顔を出すと「あらぁ、美人姉妹が来たわね」なんて言われ、驚くことに幼少期私の存在をスルーしてきたおばさまや幼馴染には優しくしていたおじさまが色々と声をかけてきたのだ。

昔とのあまりの対応の違いに冷ややかな気持ちになった。

本当に人は外見で対応を変えてくるんだなと体感した瞬間だった。(以前からそのまま変わらずに接してくれた人を私はいまでも忘れない。そう言う人は心から信用できると思った。)


外見がよくなるように努力をしてきたわけだが、それ以上に愛想を良くすることを高校生の時アルバイトで学んだ。

元々の人見知りから笑顔が得意ではなかったが、頬を上げられるようになったおかげで愛想笑いが自然に成せるようになり、初対面の人とも壁を作らず話せるようになった。


元来の人見知りから愛想良く、嫌がらせされるほどの外見から人並みに、ルッキズムに晒されっぱなしだったあの時から自由の身に。

いろんな立場になってみてわかることがある。


30代にもなれば元々の容姿以上に大事なことが出てくるのだ。

人に親切にするとか、誰にでも挨拶ができるとか、人の話をきちんと聞けるとか、相手の立場や状況を慮るとか、人のことを悪く言わないとか。

中高生のヒエラルキーの中には必ず可愛いとか美人とか外見も大きく関わっていると思うが、大人になればそれはさほど重要ではない。


人として、何を大事にしていくか。

何を軸に自分を成長させていくのか。


外の面にばかり気を取られず、中身のしっかり詰まった大人になりたい。

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