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孫を育てるような育児

私は娘を育てるようになっておばあちゃんが孫を育てるような、そんな育児をしたいと思うようになった。

母子関係というのはどうしたって距離が近い。外出先で子供がはちゃめちゃなことをすれば母親に白い目が向けられる。だから、娘にはこんなふうにしなくちゃいけない、あれはしちゃダメ、こんなふうに育って欲しいとあれこれ考えすぎてしまうしふと言いそうになる。

私の両親は躾にかなり厳しかった方だと思う。おそらく今の時代では体罰と呼ばれるであろうこともしばしばあった。

両親は責任感が強かったからかもしれないが、周りに対してちゃんと子育てをしていると見せたかったのではないかと今では思う。

愛情が少なかったわけではないが、スキンシップやコミュニケーションはうまく行っていなかった。

印象的な出来事は七五三の朝のこと。

私が2年間可愛がっていたハムスターが、よりにもよって七五三の朝に亡くなってしまったのだ。硬くなったハムスターを抱き上げると悲しくて悲しくてたまらなかった。泣きながら庭に埋めたけれど、出かける時間になっても涙は止まらず、全くもっておめでたい気持ちになどなれるはずもなかった。

父からすればもうすぐ両家の親が集まってこれからお参りをし、みんなで食事でもと言う時に主役がこれじゃまずいと思ったのだろう。

「いつまで泣いてんのや!」

ぴしゃりと怒られた。大人の私が冷静に考えて、悲しんでいる子の気持ちをよそに泣いてる状態を責めたところで泣き止むだろうか。そして、もし孫が同じ状況なら泣いてることを責めるだろうか。

もちろん人によるだろうが、孫が可愛がってたハムスターの死を悲しんでいることに怒る祖父母はそんなに多くないだろうと思う。むしろハムスターが死んでケロッとしていたらその方が私は心配だ。

今孫である娘と接する両親を見ていて、私の七五三の朝と同じことが起こっても怒らないだろうなと思う。

現に私が小さい頃にものすごく怒られたことを孫である娘がやったところで、そんなに怒ったりしないからだ。

当時7歳の私と、41歳の父。

きっと毎日疲れていたのだろう。仕事もたくさん抱えていただろう。責任は全て親にあると思っているから厳しく躾けたのだろう。イライラが抑えられず八つ当たりもしただろう。いろんな原因が考えられるが、それを理由に感情的に怒っていいわけではない。

やはり少し俯瞰的な目で子供のことを捉え、親としてだけでなくいろんな視点から娘を見ることが必要なのではないかと思う。

もちろん私も疲れている時はあるし、イヤイヤ期や赤ちゃん返りがしばらく続いて余裕がない時はいつもより口調が強くなってしまうことがある。

でもそんな時、自分がそう言う状態であることを一歩引いた視点で見て気づくこと、そして強く言ってしまったなと思うときは娘に直接謝るようにしている。

親が間違いを認めて謝るというのが自分の経験にはなく私の中では非日常的な出来事で、まだ毎回気恥ずかしく緊張するのだが、これは回数を重ねて慣れるしかないと思っている。

未就学の娘と専業主婦の私は離れて過ごすことがそんなにない。それ故に常に娘のことで頭がいっぱいでゆとりがなくなりやすい。なので頭の片隅にはおばあちゃんを住まわせておいて、孫を見る目を忘れないようにしたい。


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