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反抗期子育てでつらかったあの時。救われたあの時。

あっという間に子育てって通り過ぎていくなと思って、慌しかった頃には書き留めておけなかったことを備忘録的に書き残しておこう。

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小学3年頃から突然怒りはじめたり、学校へ行かせるにもほとほと疲れるようになった。長女はわたしが29歳の時この世に誕生し、わたしたち夫婦のはじめての子。

はじめての子というのは、我々にとってすべてのはじめてを運んでくるのであります。

はじめての出産。はじめての寝返り。はじめての離乳食。はじめてのランドセル。はじめての反抗期。

その反抗期は年々サービス満点増量した。

中学に入り、部活にも入り、早く慣れてくれ、早くウダウダ言わないようになってくれと願えば願うほど、わたしの前世は何か重い罪でも犯したのかと思うほどわたしへの罰は増していく。

部活に入ったけど夏休みにわたしの勧めた海外へのサマースクールに参加したことで部活にほぼ参加できず、その間に部活内で派閥みたいなものが生まれて、彼女は「あの空気や悪口が嫌だ」と言って何かと理由をつけては行かなくなった。

それに伴い、学校での先生からの言葉や同級生の言動にも敏感になり、とうとう学校自体にもいかなくなってしまった。


「お腹が痛いから、学校に行けない」

じゃあ、今日は様子を見てまた明日痛かったら一緒に病院へ行こう。

翌日もお腹が痛いと言うし、病院へ行こうという提案には別段嫌がることもなかったのでたまには外の空気を吸いがてら外出するのもいいんじゃないかとわたしは仕事を休んでいつもの小児科へふたりで出かけた。

きっと本当はお腹が痛いわけじゃないんだ。

わかってる。

でも、だからといって「お腹なんて痛くないでしょ。仮病なんだから病院なんて行かなくてもいい」とは言えない。

行き先は病院でもどこだっていい。閉じこもってる部屋から出て、一緒に外に出かけられる。顔が見れて、声がかけれて、機嫌が良ければ手だって繋いでくれる。

わたしたちはどうしてお腹が痛いかを調べたいわけじゃなかった。


診察室に入ると、いつも診てくださる先生が問診、触診を。

「言ってることが曖昧過ぎてわからないから血液検査しましょう」と言った。本人にどうするかを聞いたら案の定「イヤだ」と言う。

それでも先生は娘とわたしに向かって「一体なにしにきたんだ」と怒りながら聞いてくるもんだから、わたしはとうとう頑張って平静を装ってた何かがプツンと切れてしまい涙をこぼしてしまった。

それを見た看護師さんは娘だけ待合室へ戻した。

「わかってます。娘が本当はお腹が痛いわけじゃないことは」

でも、お腹が痛い。病院へ行くと言う娘に「そんな嘘をつくな」と言えないくて。。学校にも行けなくて。。

ポロポロポロポロと涙は止まらず、完全に張っていたものが切れてしまっていた。

「ここは病院ですから、お腹が痛いと言われればどんな原因があるのかをわかるまで調べることが仕事です。そんなことならセラピーにでも行ってください」

この出来事自体は大したことはない。

他のことなら笑い飛ばせたと思う。

先生の言ってることは正論だ。

でもなんだろう。頭がクラクラするほど悲しくて、孤独な気持ちに追い討ちをかけられたような絶望感でいっぱいだった。毎日学校へ行ってくれない娘と向き合って、どうにか笑顔で対処できるように力を振り絞って、何かにすがりたいほどギリギリの状態。立って笑ってるのが不思議なくらいボロボロだった。

突然泣き出した母さんにきっと驚いたんだろう。でもなんとなくわかってもいたんだろうね。「あの先生わたしキライだ」って言ってわたしを慰めてくれた。本当ならあんたのせいでこんな思いしてんだよ!と言いたくもなるんだろうけど、あの時ばかりは抱き合ってしまいたいくらい共感してたよね。おかしいね。


その後も変わらず学校へ行ったり行かなかったり。

そしてまた

「ママお腹痛いから学校行かない」

「もう3日以上もお腹痛いね」

もうどうしようもない。病院行って診てもらうか?と聞かざるを得ない。しかしこの茶番に付き合ってくれる先生のところでなくてはいけない。

そう言えば近くの小児科でおじいちゃん先生だから病気を診てもらうのは怖いけどワクチンくらいならいいよねと行った病院があった。昔ながらのおじいちゃん先生。

そうだ、あの先生のところに行ってみよう。


「そうか、お腹が痛いんか」

「熱はないなー」

「変なもん食べてないかー?」

「お母さんのご飯ちゃんと食べなあかんで」

「顔色はいいし、朝よりも痛いの楽になってきたか?」

「制服着てるから、行けるんやったらちょっと学校行くのもいいね」

「薬はいらんな?」

「薬ほしかったらいっぱい出したるで」

「はっはっはっはーーー!」

娘は面白かったのか、ちょっとだけ笑ってた。

診察室を出る時、おじいちゃん先生が

「お腹痛いって言うたら、また連れておいで」と言った。

また、この間とは違う方の反対側の張っていた何かが切れてしまい、娘は「なに泣いてんの、キモい」とコロコロ笑って学校の門をくぐって行ってしまった。


わたしは比較的強い人間だと思います。そう思っていました。それでも子育て16年で5回ほど大泣きした。

何度も「これは呪いだ、怨念だ、因果応報だ」とオイオイ泣いた。

仮病とわかっていて病院へ連れていくことがいいことじゃないというのもわかっています。ただ、相談する相手もいない。何よりも娘との関わりを最優先して寄り添いたいと思っていたのです。

おじいちゃん先生には娘の治療ではなく、わたしが救われました。もう少しがんばろう、もう少しがんばれる。そう思いました。

おじいちゃん先生にお礼が言いたいです。

車道に飛び出したくなるくらいボロボロだったあの時のわたしの心を軽くしてくれた、おじいちゃん先生。ヤブ医者やでって言ってた自分を軽くこついてやりたい(笑)

たくさんの人たちに支えられて、今日も母さんは子育てをしています。

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