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私は彼女の「運命の相手」じゃない

彼女のレオンちゃんと付き合って8年、周りの同性カップルさんが破局するのを何度も目の当たりにしてきた。

別れたカップルさんと、別れていない私と彼女。一体何が違うんだろうと、決別の報告を聞くたびに考えてみたものの、答えはずっと出ないままだった。

そんななか最近、辻村深月の小説『傲慢と善良』を読み返してやっと自分なりに「これだ」と納得できる解釈が見つかった。

『傲慢と善良』の主人公は婚活アプリで知り合い婚約した男女、架(かける)と真実(まみ)。架にとって真実はお嫁さん候補2番目だったものの、彼女と交際を続けるうちに穏やかな幸せを感じるようになる。しかし、結婚を目前に控えたある日、真実が突然姿を消してしまう──というストーリーだ。

婚活がはらむ地獄を生々しく描いた本作。読んでいて心を抉られるシーンしかなくて色々共有したいんだけど、今回取り上げたいのは架が婚活に奮闘していた当時を思い返す場面。

出会うために、出会う────という婚活のやり取りにも心底疲れていたし、それに、本音を言えば、こうも思った。

これ以上続けていても、真実以上には会えないのではないか。

だとしたら、真実を繋ぎ止めて、大事にするべきなのではないか。

辻村深月(2019)『傲慢と善良』朝日新聞出版

うわああ。この「出会うために、出会う」の部分、ちょっと身に覚えがありすぎて。架と20代前半の自分が重なってしまう。あの頃、私はレズビアン向けのオフ会やイベントに参加したり、セクマイ用マッチングアプリに登録したりと、とにかく恋人を作ろうと必死だった。

短期間で何人もの女性(中性、無性、自認不明含む)と出会っては別れてを繰り返す日々にうんざりしているのに、「いつかカボチャの馬車に乗ったプリンセスor白馬に乗ったクイーンと巡り会えるのでは?」という希望を捨てきれず、またエンカウントを繰り返す。当時はそんな時期だった。

とはいえ粘り続けた結果、今の彼女と(オフ会で)出会えたわけだから続けた意味はあったと思う。あの出口の見えない日々を脱出できて本当によかった。

あの頃に戻りたいとは思わないけど、ふと考えるときがある。あのまま、彼女と付き合わずにオフ会に通い続けていたら。アプリを辞めなかったら。今頃どうなっていただろう。

実際に彼女と「もしウチらが付き合ってなかったら、今頃お互いどんな人とくっついてたんだろうね」と話したこともある。

そのとき、私は「あなた以外に私を拾ってくれるような物好きな人間はいないよ」と答えた気がする。あと、彼女は誰とでも仲良く付き合えるカメレオンみたいな人なので「とりあえずイイ感じになった子とそこそこ長く付き合ってそうだよね、レオンちゃんは」と彼女に言ったと思う。彼女もそれを自覚しているようで否定はしていなかった。

もう付き合っちゃってるわけだから、お互いを選ばなかった世界線のことを語っても意味はないんだけど、考えずにはいられない。

だってお互いに「もっと自分に合う人がいるはず」とそのまま恋活を続けたら、もっと相性のいい相手、もしくはもっとタイプの相手と出会えていたかもしれないから。

「この人じゃなきゃダメ」という明確な理由があって付き合ったわけじゃないのだ。私たちは。交際を続けるなかで地道に絆を築いてきただけで、初対面でビビッときて深く解り合えたわけじゃない。

きっと私も彼女も、あのままお互いを選んでなかったら今頃は別の人と一緒にいただろう。だとしても、だ。「もっといい人がいるかも」という可能性を切り捨てて私は彼女を選んで、彼女は私を選んだ。そして今も、お互いを選び続けている。これが全ての答えなのではないか。

その瞬間、誰をパートナーに選び、誰と今後ともに歩んで行きたいのか。その選択の連続が今を作っているのでは。それが今「一緒にいる」ということなのではないか。

お互いにもっといい人がいる。たとえそうだとしてもお互いを選び続ける、そして選び続けるための信頼関係を築くことが、ふうふ関係の維持に必要なんだと思う。

「選び続けること」に1番の価値を見出しているともいえる。だから、たとえば彼女に忘れられない元カノがいたとしても、彼女が街でタイプの人とすれ違って見惚れたとしても、私(自分)を選び続けている以上は誰も私に敵わないってこと。毎秒選ばれている私、強い!ってこと!

『傲慢と善良』の全編にわたって、架は真実を妻に選んでいる。架にとって真実はもともと2番手で、結婚したい気持ちが70%ぐらいの相手だった。それでも架は真実を選んだし、真美が行方不明になったときも必死に彼女を探したし、最終的に2度目のプロポーズをした。

付き合い始めるきっかけはさほど重要ではない。最初からビビッとくる相手と出会える可能性はごく稀だ。大事なのは運命的な出会いに固執することではなく、たまたま出会った相手と、今後お互いに選び続けられるような思い出を一緒に作っていくその過程なのでは。

この思考でいうと、別れたカップルは単に破局したわけではない。お互いに、あるいは一方が選ばなかっただけだ。今まで相手をパートナーとして選んできたけど、ある瞬間に選ばなくなった。選びたいと思えなくなった。今後も一緒にいたいという気持ちがなくなった。選ばない、を選んだ。

別れたカップルと、別れていない私と彼女。違うのは「その瞬間、お互いを選んでいるかどうか」この点だけだ。

私たちがお互いを選び続けられているのは、運がよかったから。謙遜ではなくて、本当に運でしかない。

出会ったばかりのときに価値観が合うとか考え方が似ているとか、その辺を感じ取ったり見極めたりするのはかなり難しい。私たちも無理だった。

だから私と彼女は相性がいいわけではない。お互いに"たまたま"関係を続けやすい性格なんだろう。この偶然があるか、ないかって話であって、相性がいいとか悪いとかジャッジする話ではないと思う。

結論、私はラッキー。

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