必要感ある授業=日常場面を扱う授業?
子どもたちの学びの必然性が必要だからとやたら日常場面ばかりが扱われたりすることに少し疑問を感じます。また、たまに算数の授業でありがちな変な設定というかストーリー(「先生が買い物に行ってね。」みたいな無理やりなお話)を作るのも不要だと感じます。もちろん、そういうときが時々あるのは良いと思いますが、あまりにも「必要感=日常」という発想は短絡的だと感じます。
そもそも、私は別に算数は算数の世界の中で楽しむで全然良いと思います。だって、音楽でリコーダーをやる必然性、体育で跳び箱を跳ぶ必然性とかないですよね。それなら、リコーダーを吹きたいと愉しくなるように、跳び箱が跳びたいと愉しくなるようにしたいです。
そして、算数は算数の世界で良いので、「全部答えが●●だ!!」とか「こうすると、一瞬で答えがわかる!!」のような算数の世界での愉しさで十分じゃないかなと考えています。
また、多くの日常場面から持ってきた問題って設定が不自然だったり、複雑すぎたり、結局よくよく考えると「そんなの日常に考える必要ある?」みたいなものも多く本末転倒な気がします。統計などはやや違うのかもしれませんが。
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