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震災のときに家庭を持っているということ

✳︎ 本文は、私自身の「家庭を持っていたらよかったのにな」という話であり「持っていてよかったな」という話ではありません。念のため。

ツラいことも悲しいことも残念なことも、自分に起きているたいていのことは「ま、そうだよね。仕方ないよね」と私は肯定的に受け止める性格なのだけど、震災のときの未熟さというか情けなさは何とも言いようのない感情だった。

当時母と姉と私との三人で暮らしていた実家の建物は北上川の河口から4kmくらいの場所にあって、2011年3月の大地震発生の際に被災した。その日私は仕事の出先の「かなり岩盤の固いところ」で作業していて、その不気味で尋常ではない揺れを体験した。岩盤が固くてこの揺れかと、半ば言葉を失った。

ふだんは車で1時間くらいの家路は4時間ほどかかった。途中、姉からケータイに電話があって(←全域停電していたけど携帯基地局は蓄電池で数時間稼働した)、家族の無事は知らされた。ただ三陸沖からやって来た巨大津波の一部は河川を逆流して、自宅付近で成人男性の背丈くらいの高さまで跳ね上がって、家財等々を押し流すだけ押し流して、無感動に汚泥だらけにして引き返してもいった。案の定自宅は住める状態になく、徒歩で5分ほどの小高い場所にある知り合いのお宅に避難させてもらった。そして避難所になった地元の公民館に住み移るまでの数日間、そこにお世話になった。

そのお宅には男ばかりの三人兄弟がいた。ふだんは別世帯で暮らしているのだけど未曾有の災害だから、家族全員実家に身を寄せ合っていた。上の二人は私が小学6年生だった頃のそれぞれ2年生と1年生で、当時は小学校へ通う際には一緒に連れていく側/連れていかれる側の関係だった。そして時が経ち、二人とも年齢は20代であったものの長男は妻1男を、次男は妻1男1女の立派な父親に成長していた。

かたや私は30代の立派な独身男である。結婚の予定もなく彼女もおらず、家族はあっても家庭はない。父親は私が大学を卒業した翌年病気で他界していたので、私自身は本家の長男で家長なわけだけど、わが家では男子はお前一人だ、母や姉を支えるんだからなとの心意気はあった。ただ現実は、妻や子がない若輩者だ。

彼ら二人が何か特別なことをしていたわけではない。たとえば家族単位で小さく静かに毛布にくるまっていただけだ。けれども既婚者で家庭を築けて子供だって育てているその既成事実に、私自身、何なんだろうこの感情は、と胸にこみ上げるものがあった。生きること、支え合うことを意識する状況のなかで、家庭を持っていることのまぶしさを感じないわけにはいかなかった。

守るべき家族とそんな小さな集団のなかの私というか、それがわれわれ男性の本能なのか、私個人によるものなのかわからない。けれども厄災のときには自分の家庭は持っておきたいものだと肌身に感じた。

大切な人の手を横でしっかり握ってあげたり、大切な自分たちの子供を優しく毛布でくるんであげたり、当たり前のことが決して当たり前じゃない特別であって特別じゃない日のための話というのか、結婚や家族や自分の家庭というのはこういうときのためにあるのかなと感じさせられる、震災はちょっと長めの時間だった。

なるべく誰かと比べたりしないようにと過ごしてはいるけど、そうなるんですよね、こういうときには。

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