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あなたが成長するほど去って行く人が増えていく


人生の流れで変化する人間関係

人は成長するにつれて、価値観や興味、関心事などが変化していく。それはまるで、緩急がはっきりした川の流れのように、絶えず変化し続ける私たちの毎日の反映とも言える。

その過程で、以前は気が合っていた人たちと、少しずつ距離を感じるようになることもある。かつては同じ方向を向いていたはずなのに、いつの間にか異なる道を歩み始めていることに気づく。

それは、少し寂しい気もするが、自然な流れであり、抗うことのできない人生の摂理なのかもしれないと私は捉えている。

人は同じ精神的レベルや互いに補い合う物が必要な者同士が結びつき合うようになっているように感じる。 あなたが色々な経験をして、勉強して、人間として深くなればなるほど、ミスマッチを感じて去る人は増えていくだろう。そして代わりに新しい「マッチングする人」と巡り合う。

だからこういう状況を感じ取ったら少し立ち止まり、そして振り返って欲しい。果たして深く、より研ぎ澄まされて行っているのはどちらなのかと。あなたであることを心から願う。

古くさく感じるかも知れないが、全てはご縁である。人間関係には、離れたり結びついたり「新陳代謝」が付きもので、それはこの世の理の一つだ。執着しなくて良いと思う。

「万物、万人は流転する」

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、「万物は流転する」という言葉を残した。この言葉は、宇宙のあらゆるものは常に変化し続けており、同じ状態にとどまるものは何もないということを意味していることは、すでにあなたも承知のことだ。

我々の存在もまた、この宇宙の一部であり、常に変化を続ける秩序ある混沌の流れの中にある。そして、人間もまた、宇宙の一部である以上は、秩序ある混沌の流れに身を投じるしかなく、人間関係も変化の法則から逃れることはできない。

成長とは、自分自身と向き合い、新たな価値観や知識を吸収し、世界を広げていくことだ。それを川に例えるならば、まるで様々な支流を吸収しながら、より大きく、より深く流れていくように、大きな岩が最後には砂粒に研磨し切られるように、私たち自身から不純物を取り除き変化させていくプロセスと言えるかもしれない。

「合流と分岐はあざなえる縄のごとし」

しかし、その変化は、時に私たちに孤独感として認識させることもある。あれだけ頻繁に合流していた仲間と以前は共有できていたものが共有できなくなる。

かつての親密さが、薄れていくような、剥離されていくように感じる。まるで川の流れが分岐し、それぞれが異なる方向へと流れていくような感じ。振り返ると、こうした分岐は避けられない「おのれの道」を意味するのかもしれない。

かといって、別れは必ずしも悲しいものだけではない。フランスの哲学者サルトルは、「人間は自由である」と述べた。我々は、自分の意志で選択し、行動することができる。

そして、その自由は、人間関係においても例外ではない。我々は、誰と繋がり、誰と距離を置くのか、自ら選択することができる。相手との分岐が近いと感じたら十分に礼を伝え、分岐後の武運を祈るのも良いのではないだろうか。

このように以前は気が合っていた人との距離を感じるようになったとしても、それは頭から否定されるべきものではなく、むしろ、あなたが成長し、新たなステージへと進んだ証と捉えてみてはどうだろうか。

そして、その新たな扉をノックすれば、きっとあなたと同じように成長し、同じ価値観を共有できる新しい合流を果たした人たちが待っているはずだ。

孤独は決して無意味ではなく、meaningfulなもの

ドイツの哲学者ニーチェは、「超人」という概念を提唱した。彼は、人間は常に自己超越を目指し、より高みへと登り続けるべきだと考えていたという。

合流し、分岐して、また合流していく私たちの成長とは、まさにこの自己超越のプロセスであり、我々は常に自分自身の限界に挑戦し、新たな自分を創造していくことに日々を使っていく。

そして、その過程で出会う人々は、私たちをさらに高みへと導いてくれる存在となる。

出会い(合流)と別れ(分岐)は、人生における避けられないサイクルである。大切なのは、変化を恐れず、合理的ポジティブさで受け入れることなのかもしれない。

そして、過去の繋がりへの執着は意図的に手放し、新たな出会いへと心を開くことが必要だと思う。もちろん、合流と分岐の間には「孤独」の時期はあるだろう。

しかし、その孤独は決して無意味ではなく、meaningfulなものにしてくれるはずである。

東洋哲学の視点からも考えてみる。

仏教では、「諸行無常」という概念が説かれている。これは、この世のすべてのものは常に変化し、 永続的なものは何もないという考え方である。

人間関係もまた、この無常の法則に支配されており、出会いと別れは避けられないということがここからも理解できる。過去の仲間への執着から手をほどき、変化のflowに身を任せることで、我々は心の平安を得ることができるのかもしれない。

出会いと別れは、季節の移り変わりのように、ごくごく自然な成り行きである。春には新たな出会いが芽生え合流し、夏にはその勢いが増して友情が深まり、秋には分岐があり、冬には静寂の中で自分と向き合う。

そうしたサイクルを繰り返す中で、我々は人生をどう生き切るかを思案し、人としての厚みと深みを増していくのではないだろうかと思い至る。

今回のまとめ

あなたが成長すればするほど、『あなたから去っていく人』が増えることは事実である。そして年齢が増せば、「個」として流れていく時間はどんどん増えていく。それは決して「孤立」ではない。

ただただ諸行無常の法則が働いているだけのことであり、人生に個室ができただけのことなのだ。

自己変化を恐れず、出会い(合流)と別れ(分岐)を受け入れる(任せて流れる)こと。そして、常に自分自身と向き合い(自分の艪を操り)、成長(沖に向けて流れていく)を続けること。

それが、千人万来の豊かな人間関係を体験して築き、meaningfulな人生を送るための軸となるのではないだろうか。

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