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人生ダンジョンとは【後編】

人生ダンジョンの完全攻略

人生ダンジョンの完全攻略、人生ダンジョンの完了、それは「死」と表現されます。しかし、先ほども書いたように、死はENDではなく、
TBC(to becontinue)でしかありません。ENDでもRESETでもなく、TBCです。ステージがクリアされネクストステージへ進むわけですね。

誰もがいつか訪れるこの時を、私たちは恐れるかもしれません。しかし、死は人生ダンジョンの終わりではなく、新たなステージへのシフト、始まりであると考えることもできます。

スピリチュアリズム哲学では、死は魂(プレイヤー)の旅における一つの通過点に過ぎません。物理的な自分の肉体が天寿完結で卒業を迎える時、魂は物理的身体から分離、解放され、より高次の世界へと昇華すると考えられています。それは、さなぎから蝶へと変態するように、魂が新たな段階へと進化する瞬間なのです。

であるならば、死に対して悲しみは無意味なのかといえば、決してそのようなことはありません。

時として悲しみは我々を許し、解きほぐし、手放し、受容するために必要な状態であり、悲しみを無視することは、魂の成長には益をもたらしません。

魂の転生と輪廻はあるのか

スピリチュアリズム哲学では、魂は何度も生まれ変わり、様々な経験を通して成長していくという輪廻転生の考え方が存在します。

が、輪廻転生についてはその人の霊性の成長度合いに応じてその仕組みや意味が理解できるような配慮が成されており、一概にそうであるとも、違うとも断定できないもののようです。

ただ、一説には、多くても8度から9度の生まれ変わりを経験する魂も存在するともいわれています。

ダンジョン攻略後の世界って

TBC後、私たちの魂はどのような世界へと向かうのでしょうか。スピリチュアリズム哲学では、死後の世界は、私たちが生きているこの世と大変よく似た幽界(少しおどろおどろしい文字ですね)と表現される段階へ進みます。

この段階では肉体から解放された魂は現世とよく似た世界に滞在し、魂のコンディションを整えたり、精神的な目覚めを促したりするための場所として活用します。

魂の病院や治療所も多くあり、魂の養生と回復を行い、スピリットとしての新しい生活に慣れるための環境整理を受けます。

TBC後の世界では、現世と全く同じ精神性、考え方、価値観、癖をもったまま、まさに「今の自分そのまま」で赴くことになります。身体の感覚もあり、お腹もすくそうです。

ただ、自分がスピリットに変容したことに気がつくと、徐々に人間時代の身体感覚やそれから発せられる痛みなどは消えていくと言われています。

そうかといって身体が消えて無色透明になるわけではありません。むしろその逆で、非常に生々しく自分の身体を感じるようになるようです。

また衣服も自分を表現するままの物質化した霊素をまとうそうです。そうして、この幽界で過ごし、スピリットとしての生活に慣れていきます。

よくテレビで見るようなボンヤリとしたファンタジーな世界ではなく、ある意味では現世よりもリアリティー溢れる世界のようです。誰1人として翼は生えておらず、頭の上に輪っかもありません。

たぶん、それを好んで想念化し、あたかも自分が生前に想像していたのと全く同じような姿で在りたいと念じて羽や輪っかを配しているスピリットはいるのかもしれませんが。

TBCの世界は想念の世界だと言われています。

そこでは、慈愛、平和、喜びといった高次の情動が湧き上がる領域です。しかし、感情的で感傷的であという意味ではありません。逆に知性、理性、そしてその人が高めてきた霊性が圧倒的に反映される領域です。魂は他の魂たち親和性の法則により繋がり、互いに支え合いながらさらなる成長を続けることができます。

TBC(死という現象)への恐れと心の準備

多くの人がTBC(死)を恐れるのは、未知なる体験ゆえにでしょう。
死という状態に向かう行程や段階やそのときに感じることへの不安、苦痛があるのではないかという疑念、そして慣れ親しんだ人生ダンジョン、そこで出会った多くの愛する人々との別れを惜しむ気持ち、自分だけがそのステージから離れる孤独感からくるものです。

しかし、スピリチュアリズム哲学では、TBC(死という現象)は決して悲劇ではなく、誕生とセットになった魂の成長にとって必要な霊性進化のプロセスであると教えます。

誰でも死を意識することは、最初は全く許容できることではないかもしれません。特に若ければよりそう感じて当たり前です。人には死絵の恐怖が必要な時期や過程、瞬間があるのです。

人生ダンジョンの中盤戦までは、まさに苦楽、禍福の雨霰と言っていいでしょう。しかし、様々なイベントをくぐり抜け、仲間のミッションクリアを見届ける頃になってくると、この人生ダンジョンのアーキテクチャー側の意図に触れる機会がもたらされます。

そして、徐々に天寿完結の時を受け入れる準備が無意識下で進んできたことに気がつくことでしょう。若いときからスピリチュアリズム哲学にふれることが出来る人は、このことも含めて人生ダンジョンを進めるので、おおらかさや冷静さを体感できるかも知れません。

どちらにしても、TBC、死というステージは宇宙から送られるギフトであり、それを愛と受け止めるか、卑しむものと受け止めるかは自由なのです。両極の自由ではなく、無限のグラデーション的に広がる自由であり、それこそその人がコンプリートしてきたダンジョンイベントのなせるものだと思います。

このようにTBC(死)は人生ダンジョンをより深く生きることのために在るものとつながります。今を大切に過ごし、周りの人々との絆を深めることで、私たちは安心してTBCを迎えることができるでしょう。

もっといえば、だれもがTBCを喜び溢れた想念で迎えることができるように世の理が設計されているそうです。そのさいたる証拠が「安らかなる眠り」と表現される状態なのかも知れません。

補足として、瞑想や祈りなどのインナーマインドな活動を通して、TBC後の世界への魂の準備を進めることもできます。

人生ダンジョンはあなただけの物語

人生ダンジョンは、誰一人として同じものはありません。それは、まるで個性豊かな物語のようです。自分だけの物語を紡ぎ、その物語をいかに豊かに彩っていくのか。それは、私たち一人ひとりの自由な選択なのです。

人生ダンジョンは、始まりも終わりも定まっている道行きです。生まれた瞬間からカウントダウンは始まります。しかし、伸ばすことも出来る人も居るようです。

どちらにしても、この限られた時間と空間の中で、私たちはいかにして生き、何をコンプリートさせるのか。それは、私たちが日々自ら考え、選択し、決断して歩まなければならないものです。

人生ダンジョンの攻略は、決して楽なものではありません。しかし、その中で得られる経験や感動は、かけがえのないものです。困難イベントに立ち向かい、そして乗り越えていくことで、私たちはより強く、より賢く、そしてより豊かな人間へと成長していくことができ、幸福イベントを創り出すことで養生され、感性が磨かれ精神が潤うでしょう。

人生ダンジョンは意外と長いです。これからあなたは何を経験し、何を学び、そしてどんな物語を紡いでいくのでしょうか。この壮大な人生ダンジョンの道行きを悔いのないように楽しんでください。

今のところのまとめ

私は今まで無宗教者であり、どの宗教団体へも属していません。今後もそれは変わりません。

その理由は、私に必要な本当の意味での宗教は「自分を愛しきり、同じように愛しきることから得られる喜びや平安な気持ちを他者も同じように自由に得られるように主体的に参加し能力の及ぶ限り親切にすること」と考え至ったからです。

だからといって既存の宗教を否定しませんし、無神論を唱える仲間を否定するつもりは毛頭持ち合わせていません。

ただ私は自分の人生ダンジョンのイベントや繋がってきた人々、世界を見てきた経験から、高次の存在を信じています。この信仰は、私自身の内なる探求と、この宇宙の壮大な秩序への畏敬の念から生まれたものです。

宗教的な教義や儀式に縛られることなく、私は自分自身の内なる声に耳を傾け、宇宙の神秘、霊的成長を促す世の理を自分なりに解き明かそうと日々試みています。

科学的な知見と哲学的な思考を客観的に扱い、この世界を構成する根源的な力、つまり高次の存在がどのように全宇宙を運営しているのかを許される限り学んでみたいと思っています。

そして、宇宙を構成する塵の一粒でしかない私、しかし確実に物理的にも霊的にも存在しているといえる私が宇宙の一部であり続ける意味を学んでみたいと考えています。

ただ今の時点で1つだけ合点がいっているのは「宇宙に偶然はない」という仮説です。

それは、宇宙の膨大なエネルギーや、生命の神秘、そして人間の意識といった、私たちがまだ完全に理解できていない現象を説明するための、一つの仮説と言えるかもしれません。しかし、私にとって、この仮説は単なる推測ではなく、深遠な意味を持つ信念でもあるのです。

高次の存在を感じることは、私の人生に大いなる目的と消して途絶えない希望を与えてくれます。この広大な宇宙の中で、私は決して「偶然的な存在」ではないという仮説は、孤独感や不安を克服し、より豊かな人生を送るための礎となっています。

もちろん、この信仰は証明できるものではありません。しかし、私はこの信念を心の支えとし、自分自身を成長させ、より良い社会の実現に貢献したいと考えています。

塵には塵の役目があると、私は自分に言い聞かせているところです。

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