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メンタルを潰してくる記憶の反芻から抜け出す方法


記憶の反芻:自己呪縛のメカニズムと精神の深淵

「1回言われただけなのに100回も言われている気がする」という経験は、誰しも一度は味わったことがあるだろう。

それはまるで頭の中にYouTubeがあり、不快な記憶の動画を繰り返し再生しているかのようだ。しかも、再生回数が増える度に不快感や意気消沈感が増していくようである。

この現象は単なる記憶の誤作動ではないし、もはや現実でもない。しかしそこには、自己の精神的深淵を覗き込む哲学的な契機が潜んでいると考えられる。

記憶の反芻はネガティブな記憶が多い

まず、この記憶の反芻現象は人間の記憶の特異性を浮き彫りにしている。記憶は客観的な記録ではなく、感情や解釈が織り込まれた主観的な再構築である。現実を咀嚼した時点ですでに現実ではない部分が付随されていくのだ。

特にネガティブな記憶はその傾向が強い。ネガティブな記憶は自己防衛本能によって自己中心的な解釈が増幅され、あたかも現実の議事録のように鮮明に刻まれやすい。そしてこの反芻動作は自分で傷口に何度も塩を塗り込むようなもので、もはや自虐以外の何ものでもないと言える。

なぜ私たちはわざわざ不快な記憶を反芻するのか。

それは、記憶が単なる過去の記録ではなく、未来へ向かうための養分を含んでいるからかもしれない。私たちは過去の経験から学び、未来の行動を修正する。特にネガティブな記憶は、失敗や危険を回避するための貴重な教訓となっていくのだ。

しかし、過度な記憶の反芻は、現在を生きる力を奪い、未来への希望を閉ざす。それはまるで、過去の記憶の道をループして歩くようなものだ。そのうちに心のエネルギーが尽きてその場に座り込んでしまうだろう。

人は1日に60,000回思考している

記憶の反芻は自己批判や自己否定に直結している場合が多く、時が経っていても気を抜くとそこへ陥りやすい。ある研究によると人は1日に6万回という膨大な数の思考をしているという。

さらに、その思考内容にも特徴があり、約9割が前日と同じ内容の繰り返し、つまり記憶の反芻に費やされ、さらに約8割がネガティブな内容だという。

毎日12時間活動していると仮定してみると、12時間は43200秒だ。これを思考回数60000回で割ってみると、なんと我々は0.72秒に1回思考していることになる。しかもその8割がネガティブな思考の反芻だとしたら、気持ちが病まない方がどうかしている。

言葉を換えれば、我々は四六時中自分を呪っているのだ。しかも事実でさえ無いかもしれない主観的な認知情報によって。

記憶の反芻の弊害1・精神的な健康への悪影響

➢うつ病や不安障害の悪化:
反芻は、ネガティブな感情を増幅させ、うつ病や不安障害の発症リスクを高めたり、既存の症状を悪化させたりする可能性がある。

➢ストレスの増加:
過去の出来事を繰り返し思い返すことで、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌が促進され、慢性的なストレス状態に陥る可能性が高い。

➢睡眠障害:
就寝前にネガティブな出来事を反芻することで、入眠困難や中途覚醒を引き起こし、睡眠の質を低下させる可能性が指摘されている。

 記憶の反芻の弊害2・解決能力の低下

➢集中力・注意力の低下:
反芻は、注意力を過去に囚われさせ、現在の課題への集中を妨げてしまう。

➢創造性の阻害:
反芻は、精神的な柔軟性を低下させ、新しいアイデアを生み出す創造性を阻害する傾向が強い。

➢意思決定能力の低下:
反芻は、感情的な混乱を引き起こし、冷静な判断を妨げ、意思決定を困難にする。

では、私たちはどのように記憶の反芻から解放されるのか。

それは、記憶との健全な距離感を保つこと、これに尽きる。
記憶は過去の出来事の解釈であり、現在の自分の状況でも心境でも、もはや事実ですらない。

私たちは記憶に支配されるのではなく、記憶を客観的に見つめ、そこから必要なことだけ学び、そして手放す必要がある。実際にそれは可能だし、前進するためには必須のプロセスだ。

記憶の反芻を低減させる方法

記憶の反芻は意識的にその量を減らすことができる。

たとえば、何かに集中しているときや、行動しているときは記憶の反芻が減る。また、寝ているときは記憶の反芻はない。

メンタル不調の時に寝ることを重視するのはネガティブ記憶の反芻を減らして精神の休息を得ることが目的になる。

もうひとつポイントになるのが「意識の分配」である。
意識の分配とは、例えば、食事をしながら、自分の咀嚼感や匂い、味、食事の所作を実況中継できるぐらい第三者的視点で俯瞰することだ。

普段でも、呼吸しながら目に映るものと同時に意識することができる、これを意識の分配という。

これはいわば自分で自分を観察することである。意識の分配は「いまここ」の自分を観察することになるので、記憶の反芻に気がつきやすい。「あ、いま記憶の反芻をして不快感が沸き起こった」と自分観察から分析できれば、反芻に気がつき、意識を逸らせる別の行動を選択できるようになる。

これは認知行動療法にも取り入れられているマインドフルネス自己観察法そのものである。

マインドフルネスとは

マインドフルネスとは、今この瞬間に意識を集中し、評価や判断を加えずに、ありのままを受け入れる心の状態を育む実践手法をいう。その効果は多岐にわたり、精神面では、ストレス軽減、集中力向上、感情コントロール能力の向上、自己認識の深化などが期待できる。

また、ストレスフルな状況でも、冷静さを保ち、適切な対応を選択できるようになる。身体面では、睡眠の質向上、免疫力向上、血圧低下などが報告されている。

心身のリラックスをもたらし、健康増進にも一役かってくれる。マインドフルネスは元々はベトナムの仏教僧侶ティック・ナット・ハン氏が提唱した仏教の瞑想法で仏陀が行っていた瞑想と言われている。

これをもとにアメリカの認知行動療法の権威ジョン・カバットジン博士が宗教色を抜き、心理的養生のために確立した手法が現代版マインドフルネスの大元になっている。


マインドフルネスの手法はググれば湯水のごとく溢れてくるので、ここでは割愛するが、筆者ももうすでに20年以上取り組んでいるが大変有意義だと書いておきたい。

まとめ

記憶の反芻を無くすことはできない。というよりかは記憶の反芻は我々の精神活動の自然な在り方でしか無い。

ただ、その自然な精神活動にフックが引っかかったままにしておくと、我々は精神的に破綻する可能性を持っているので、自己コントロール手法を用いて常にカードを自分の手元に持っておいた方が良い。

そこで俯瞰的な視点を意識して、特にネガティブな思考の反芻には注意して意図的に介入し、反芻思考から出てくる有毒物質から自分の心を守るほうが懸命であるし、人生の軌道修正を行うことができると考える。

そのために、マインドフルネス手法を学び、できればトライしてみていただきたい。効果の実感は人それぞれだが、自分の思考活動を俯瞰視点で見つめる意識は無いよりはあった方が良い。


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