ポンチ絵のはしりと由来
こんにちくわぶ。まてさんです。あけましておめでとうございます。
さて、久しぶりの大学レポートシリーズ。今回は、「国木田独歩とポンチ絵」をご紹介します。
イギリス文学史の授業で課されたレポートですが、テーマはなんと「自由」。さあ、困ったぞと悩みつつやっていくわけです。そんな時、授業の中に「ポンチ絵」というものが登場します。いったい、ポンチ絵ってなんだ!?という方もご安心ください。レポートの中にある程度説明がありますので、そちらをご覧いただければと思います。
「面白そう」と思った私は、すぐさま図書館へ。ポンチ絵と日本への影響って、レポートにできそう!と、この題材を選んだのでした。しかも、日本文学史に登場する国木田独歩も登場しちゃう。これは書いてて気持ちよさそうと選んだのです。(ただし、文献探しやらまとめやらでだいぶ大変ではありましたが・・・。)
評価はまあまあ・・・といったところでしょうか。7割くらいの完成度かと。途中参考資料の欄がありますが、残念ながら掲載はできなさそうなので、各自で探してみていただければなと。それでは、ごゆっくり・・・。
ポンチ絵といえば、「風刺を込めた滑稽な絵。漫画。」と大辞林に記されている。そもそもポンチ絵の発祥は、イギリスで発刊されたPunch; or, The London Charivariである。では日本ではどのように広まっていったのか。もちろん、この雑誌が輸入されたわけでなく、イギリス人のチャールズ・ワーグマン(1832-1891)が1862年、居留外国人向けに発刊したThe Japan Punchが始まりである。この雑誌はPunch; or, The London Charivariを模倣して作られており、日本ならではの風刺画が数多く掲載されている。
その後、日本でも数多くの風刺漫画雑誌が発刊され、『団々珍聞』『東京パック』『滑稽新聞』などが明治時代にあった。その中でも特に異彩を放っていた雑誌がある。それが、『上等ポンチ』である。この『上等ポンチ』は、小説家で有名な国木田独歩が編集している。彼は、自然主義文学の先駆者と言われ、日本文学ではたいへん有名な作家であるが、一体なぜこのような漫画雑誌を手掛けたのであろうか。
国木田独歩といえば、『忘れえぬ人々』や『牛肉と馬鈴薯』など、ヒューマニズムにあふれた主題をテーマにすることで有名な作者である。しかしながら彼は、作家であるほかに、ある時は新聞記者として、ある時は出版社を経営し、またある時は編集者として、本にかかわるすべてのことに関わっていた。彼は東京専門学校(現在の早稲田大学)在籍中に、ウィリアム・ワーズワースやトーマス・カーライルなどのイギリス文学作品を好んで読み、それらの影響を受けて執筆したとされる『武蔵野』は、日本の自然主義文学に大きな発展をもたらした。
独歩が明治35年に近事画報社に入社し、編集者として風刺画集『近事画報』を出版すると、日露戦争の好況も相まって大ヒットしたが、戦争後は不況となり売れ行きが落ちてしまった。その後、編集者としての責任をとって、自ら独歩社と称する出版社を立ち上げ、経営者として風刺画集の出版を手掛けることになる。彼は当時大ヒットしていた『東京パック』の形態を模倣し、全ページカラー、全ページ漫画という画期的な漫画集として発売されたが、『東京パック』が41年続いたにもかかわらず、わずか5か月しか続かなかった。その理由は、決して安価ではなかった価格設定や、「ポンチ」という言葉の新鮮味のなさなどがあげられる。
しかしながら、現代の人々が見てもこの漫画には納得できることも数多くある。例えば、「学生の夢と実際」(参考資料1)(P.82)では、多くの学生が夢見る憧れの生活と、実際に待ち受けている現実とを極端に描いており、よい学歴でもおちぶれることがあるというこれには現代の人々も納得するところがあるのではないか。また、「五万円の夢」(参考資料2)(P.89)では、宝くじに当たった夢をみた夫婦それぞれの生活ぶりを描いている。夫婦ともに7コマ目で相手に愛想を尽かして、8コマ目で喧嘩にまで発展するものの、9コマ目で夢だと気づき安堵し、日常生活が一番良いことに気付く。夢は夢のままで終わらせたほうがよいこともあるという風刺である。
また、この時代には幾度の戦争を経験したからか、海外の動向についての風刺漫画が描かれることがよくあった。「カイゼルの彫刻」(参考資料3)(P.67)では、三国同盟の期間延長を実現させたドイツの皇帝ウィルヘルム2世(カイゼル)が、フランスを孤立させようと企てるが、ロンドン・タイムスの論説により英仏接近へと向かうことでウィルヘルム2世を驚かせるという風刺画である。また、「世界勢力図」(参考資料4)(P.92)では、ドイツの強大化を意図人形にたとえて主に置きつつも、日英同盟の様子やモンロー主義を貫くアメリカなどの各国の様子を描いている。
イギリスの雑誌から、日本に輸入され定着するまでの期間はそこまで長くはなかった。このような少々古い風刺画であっても、理解され、愛され、親しまれるものであると思う。書物に残るということは、それだけ作者・編者の愛情がこもっているに違いない。国木田独歩も、この漫画を通してどの時代にも愛される雑誌を作ったのだろう。
参考文献
稲賀敬二ほか監修『新版二訂 新訂総合国語便覧』第一学習社、2012.
ワーグマン、チャールズ『ジャパン・パンチ』金井圓解説、雄松堂書店、1975.
参考資料
清水勲編『漫画雑誌博物館 明治時代編 上等ポンチ』国書刊行会、1986.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?