見出し画像

未来へ紡ぐエシカルジュエリー 〜日本人女性のパキスタンでの挑戦〜

タリバンが支配していたまち、スワート渓谷で起業した日本人女性

 豊かな自然が広がるパキスタン北部の避暑地、スワート渓谷。2016年9月、この地で小幡星子氏が外国人初、女性としても王族に次ぐ2人目の起業をした。日本でジュエリーブランド「EARTHRISE」の代表兼ジュエリーデザイナーとして活躍する彼女が設立したのは、同所初となる宝石の研磨工房。

スワート渓谷。豊かな自然や仏教遺跡が広がる、歴史あるまち(写真提供:EARTHRISE)

  一見、穏やかに見えるこのまちは、実は2009年から2012年頃、タリバンに完全支配され、2,000人以上の死者が出たと言われる。また、タリバンに銃撃されながらも女性教育について訴え、2014年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ氏の故郷でもある。
 小幡氏に敢えて危険な土地で起業した理由を尋ねた。そこには、対等なビジネスを通じて、雇用創出、教育機会の拡充、女性も働ける環境づくりを実現したいという思いがあった。

成田空港から北京やバンコクで1回乗り継ぎ、イスラマバード空港へ。さらに車で4,5時間かけ、ようやくスワート渓谷に到着。日本から丸1日かかる(写真提供:EARTHRISE)

5歳のお年玉から始まった、発展途上国とのつながり

 小幡氏は、1981年、4人姉弟の長女として生まれた。5歳で初めてもらったお年玉の半分を寄付したことで、発展途上国に興味を持ち始める。母から「貧しい子どものために寄付しない?」と提案されたのだ。同世代の子の役に立つと思うと嬉しくなり、20歳まで寄付を続けた。また、世界のニュースを母に解説してもらい、当時、国民難民高等弁務官として活躍していた緒方貞子氏に憧れを抱くようになる。緒方氏が貫いた、難民の声を聞き、共に解決策を探る「現場主義」。その実現には、世界の宗教や文化を学ぶ必要があると考え、大妻女子大学比較文化学部に進学。様々な国や背景の人が暮らし、世界を主導するアメリカ文化について学び、国際交流のボランティアにも励んだ。
 ボランティアで出会ったフィリピン人留学生との会話が、小幡氏の人生を動かすことになる。
「『将来、発展途上国の支援をしたいんだ』と彼に言ったら、『何で先進国の人はお金をくれるの?平等な機会がほしい!どんなに努力しても宗教や肌の色で差別されて、一定のところで潰されるのが、悔しくて仕方ない』と涙ながらに言われました。その時、発展途上国に対して、金銭支援ではなく、教育の場を作り、一緒にビジネスをしたいと強く思いました」

小幡氏。EARTHRISEの表参道にある店舗には、優しい香りが漂い、色鮮やかなジュエリーが並ぶ

 その後、大変な時も踏ん張れる好きな分野、寄付目的でなく、購入することで充実感を得られる商品を生み出せる分野で起業を模索。一般企業に勤める傍ら、興味があることを次々と学んだ。家具、照明、蒔絵、ポーセラーツ…25歳までに起業すると決め、必死に探した。実業家の講演にも行った。
 しかし、25歳を過ぎてもやりたいことは見つからなかった。焦って糸がプツンと切れた時、知人の誘いで、全米一のスムース・ジャズのサックスプレイヤー、Dave Koz氏のコンサートに行った。
「会場の反応を見て盛り上げることで、観客もご本人も喜んでいて、人生で初めて、いくらでもお金を払いたい、と思える空間でした。コンサート後、Daveさんと話して、気さくで穏やかな方だったので、とてもリラックスできて。ふと、ジュエリーデザイナーになりたかったことを思い出しました」

一度はしまい込んでいた、ジュエリーデザイナーの夢

 模索していた「購入することで充実感を得られる」空間に出会い、ふと思い出した夢。中学生の頃、母から祖母の形見の指輪を受け継いだことがきっかけで、ジュエリーデザイナーを夢見ていた。母が入籍時に譲り受けた指輪には、プラチナにダイヤモンドが一列についていた。しかし、もらった時は嬉しくなかったという。
「光っていない上に、変形してボロくて。写真1枚と指輪でしか祖母を知りませんでしたが、亡くなるまで指輪をつけていたと聞いて、指の形に馴染んで変形したと気づいて。それで、洗ってみようと思ったんです」
洗うと汚れが落ちてダイヤモンドが光り始めた。その姿を見て、祖母がどのような気持ちで指輪をつけていたかに思いを馳せ、ジュエリーは持ち主の生き様を表すと感じた。その人が亡くなっても残って受け継がれていく、素晴らしいものだと。
 ジュエリーの素晴らしさを知り、ジュエリーデザイナーになりたいと母に言った。しかし、「デザイナーで生きていける人は一握りだから現実を見なさい」と言われ、一旦忘れることにした。そして、10年以上のときを経て、しまい込んでいた夢を思い出したのだ。

母から譲り受けた指輪。三世代に渡って、きらめき続けている(写真提供:EARTHRISE)

ジュエリー業界の闇を救う、エシカルジュエリー

 ジュエリー業界と発展途上国のつながりは深い。宝石の産地は発展途上国が多く、採掘や研磨の現場には様々な問題が潜んでいる。低賃金労働や児童労働、鉱山開発による生態系破壊。武装組織が宝石を武器購入の資金源とすることもある。採掘から販売までの供給網が複雑で、購入者の元に届くまでに、どのような問題が関与したか分からなくなることが多いのが現状だ。小幡氏は、採掘から販売までの全工程で人や社会、自然環境に配慮して制作される「エシカルジュエリー」での起業を決心した。
 しかし、家族や周囲からは反対の声もあった。
「大学の先生は、『深く入ると危ない世界だから、自分の身に何かあったら大変。普通のジュエリーを売って、売上の一部を寄付しない?』と心配してくださって。でも、やると決めたら徹底的にやりたくて、発展途上国でのビジネスという芯がぶれてはダメだと思って、起業準備を進めました」
 2009年、27歳でジュエリー業界に入る。国内外のブランドで販売員として働き、接客や店舗運営を学ぶ傍ら、ジュエリースクール2校でデザインや起業について学んだ。
 実際に働く中で、問題点も見えてきた。
「映画『ブラッド・ダイヤモンド』の影響で、紛争資金と無縁のコンフリクトフリーダイヤモンドを探すお客様もいました。でも、先輩に商品について聞くと、『石はどこから来たか遡れないからね。それがコンフリクトフリーか誰も分からないから、気にする必要はないよ』と言われました」
 コンフリクトフリーダイヤモンドを扱う会社に勤めても、ルビーやサファイアなどの色石は遡れず、研磨工房も分からなかった。どのような素材でも産地まで遡れて、生産国と適性価格で取引できるブランドを作ると誓った。さらに、現地で雇用を創出するために、生産国での研磨工房設立を見据えて、起業準備を整えた。

ジュエリーブランド「EARTHRISE」の起業

 そして、2011年「EARTHRISE」を起業。社名と「きらめく世界を、つむぐ。」というコンセプトには、命のきらめきを紡ぎ、地球を輝かせたいという思いが込められている。世界各国のエシカルな素材や研磨工房を探し、起業時より、採掘から販売までの経路が分かるジュエリーを販売していた。
 自社の研磨工房は、パキスタンに作ると決めた。2010年にパキスタン人の研磨職人、ザイー氏と出会い、工房を作りたいと話した。ザイー氏はパキスタンでは珍しく、男女平等や教育機会拡充といった考えを持ち、すぐに意気投合した。

小幡氏がザイー氏と出会った「東京ミネラルショー」が2022年12月開催。3年ぶりに海外出展者が戻ってきた。ザイー氏は、パキスタンやアフガニスタン産の宝石の原石やジュエリーを販売し、大盛況だった

 パキスタンの置かれている状況は深刻だった。タリバン撤退後も、働き口を求めて彷徨い、命に関わるギリギリの生活を強いられている人が数多くいるとザイー氏から聞いていた。取引先のスリランカなど他にも候補地がある中で、使命感に駆られて、敢えて危険な地での起業を決意したのだ。

一般的なコンフリクトフリーダイヤモンドに比べて、EARTHRISEのダイヤモンドは、様々な配慮がなされている(EARTHRISEホームページと小幡氏の話により作成)

難航した、スワート渓谷での工房設立

 初めてパキスタンを訪れたのは、情勢が落ち着いた2015年9月。鉱山のオーナーに会い、ザイー氏の故郷スワート渓谷を巡り、情報収集をした。帰国後、工房の場所を決め、男女別に2つの工房を設けることにした。
「スワート渓谷に住むパシュトゥーン人の間には、『パシュトゥーンの掟』があります。その中で、男女一緒に働くことは、恋愛関係になる恐れがあり、不謹慎とされています。変化を一気に起こすと皆拒絶反応を起こすので、男女平等を謳うザイーさんでも『変化は少しずつ、工房は男女別にしよう』と言いました」

ザイー氏は父親の仕事の関係で日本に住んでいたこともあり、少し日本語も話せる(写真提供:EARTHRISE)

 小幡氏が、起業にあたり行った手続きは、プレオープン→スワート渓谷の裁判所での法人登記申請→スワート渓谷と州都ペシャワールの商工会議所での会員証発行申請だ。2016年5月、2回目の訪問で、スタジオの契約を行い、機材を揃えてプレオープン。バザールの人たちにチャイやお菓子を振る舞って工房を紹介した。

プレオープンの様子。初の外国人起業の噂を聞き、大勢の人が駆けつけた(写真提供:EARTHRISE)

 次に、スワート渓谷の裁判所に書類を提出し、関係部署の責任者10名の署名をもらいに行くことに。通常30分ほどで終わるが、1週間以上要することになる。
「1人目でNoと言われました。その方は、目を合わせてくれず、私が発言すると後ろを向いてしまうんです。ザイーさんに理由を聞いてもらうと、『故郷に外国人が会社を作ることが許せない』って。実はパキスタンでは、現地で起業した外国企業が裏でテロ組織を支援することが度重なっていて。さらに、タリバンはパシュトゥーン人が主体で、同じ民族ですら外国人は攻撃してくる、外国人=悪い人間と思い込んでいたようです。本当に根深いものがあると思いました」
小幡氏が必要な書類や設備を整えたことをザイー氏や弁護士が熱心に説明したが、思いは通じなかった。
 1人目以外の責任者から何とか署名を集め、最初の部屋に戻ったが、答えは変わらず。1週間ほど通っても許可をもらえなかった。
「私の名前を外せば書類が通るとのことだったので、『皆に工房をやってほしくて来ただけだから、私の名前を外そう』と一緒に来た人たちに言ったら、『そんなの絶対ダメだ』ってお説教されちゃって。それで、署名をもらうための作戦を練りました」
 そして、裁判所管轄の軍のトップに相談しに行くことに。軍のトップが偶然、ザイー氏の幼馴染で、1人目の責任者を説得してくれて、ようやくサインをもらえた。
「私が現地語で『ありがとうございました』と言っても一切顔を見てくれませんでした。でも、こういう方は大勢いるだろうから、現地の習慣を尊重することは大事だと思いました。変化は少しずつとザイーさんが言っているのが、本当によく分かりました」

スパイ映画さながら…情報機関による調査と尾行

 前例のない起業に噂が一気に広がり、現地が大騒ぎになる中、商工会議所で会員証発行の申請を行う。そして、実は、裏である機関が調査を行っていた。それが、情報機関だ。小幡氏も最初は知らなかったが、パキスタンでは、首都イスラマバードを出た瞬間から、外国人は皆尾行されるという。外国人がスパイでないか、テロ行為をしないか調査を行い、絶えず尾行して行動記録を残す。電話も盗聴されるそうだ。
 ある朝、ホテルのフロントに情報機関の人たちが来て、事情徴収のために小幡氏を引き渡すよう求めたという。そのうちザイー氏が迎えに来て、驚いた。
「私たちの写真やパスポートなどの書類、行動記録のメモが並べられ、『君たちのことを調べている。昨日これを食べただろう』と言ってきたそうです。ザイーさんもホテルの方々も、悪いことをしていない私を引き渡す義務はないと守ってくれ、3〜40分もめた後、帰ったそうです。その後、ザイーさんが部屋に来て、小声で『今 Agencyが来てた』って。スパイ映画さながらというか。全身鳥肌が立ちました」
 ただ、情報機関も国の治安を守るために動いている。対象者の監視と共に、事件に巻き込まれないよう見守る役割も果たしているという。外国人が事件に巻き込まれると、世界的にニュースとなり、国の立場が悪化するためだ。

バザールの様子。パシュトゥーンの掟によると、男性用の工房があるバザールや女性用の工房がある住宅街では、テロを起こしてはいけないので、安全だという(写真提供:EARTHRISE)

”Welcome to Pakistan!”情報機関からも認められ、無事工房を設立

 ペシャワールでの申請を終えた翌日、突然大男が来て、ザイー氏と話し始めた。それが情報機関の人と分かり、初めてあいさつした。
「『仕事柄、絶えず尾行したことを許してほしい』って。私がスワートで注目されていたので、かなり情報収集や追跡をしたと言われて、逆にごめんなさい、と。大した会社でもないのに労力を使わせてしまって」
 そして、大男は最終的な許可がおりた時にも現れて、小幡氏に命を守るためのルールを伝えた。日が暮れたら帰ること。 1人で出歩かないこと。乗り物で移動すること。
「『守ります!』って言った時には日が暮れていたんですけどね。そうしたら”Welcome to Pakistan!”って握手されました。それで、『ザイーさんはバザールの誰に聞いても良い評判で、こんなの初めてだ』って。ザイーさんの人徳があったので、何とか立ち上げられましたが、壮絶でした」

ザイー氏とシーマ夫人。ザイー氏は前妻を亡くし、2022年8月には息子が殺害された。男女平等を謳う自身も、タリバンから狙われているという

 来日中のザイー氏に話を聞くと、小幡氏もバザールで一目置かれる存在と分かった。
「皆、星子さんのこと知ってる。バザールに行くと、誰かが『次いつ来るの?』って。Because she is very intelligent and kind. 心が柔らかいね。She is very strong. スワートで普通、外国人は起業したがらないよ」
 通常、情報機関が調査対象者の前に現れることはない。初の外国人起業で注目されたため、事情徴収に現れ、小幡氏とザイー氏の人柄を知り、謝罪や命を守るルールを伝えに来たのだろう。その後も、ザイー氏と次の行き先を話していると、ふらっと現れて、「そこには先週からタリバンが来ていて、警察官が6人殺されているから絶対行かないで」などと教えてくれるようになった。

無事、工房をオープン(写真提供:EARTHRISE)

 こうして、無事に工房を開業。10名程度で始まり、ザイー氏らが指導をして、小幡氏が細部まで確認する。帰国後は、研磨した石の動画とサイズを送ってもらうことで、作業状況を確認している。
「日本人の職人にも『小幡さん細かいですね』と言われるほど、細部まで確認します。パッと見OKというのが地元の品質。でもミリ単位で作れるようにならないと日本品質に近づかないよって。彼らも嫌な顔はせず、お客様に届けることを楽しみに頑張っています」
EARTHRISEで商品を購入すると、生産者へのメッセージを書き、写真と共に小幡氏が届ける。それを楽しみにしているという。

男性用の工房の様子(写真提供:EARTHRISE)

 ただ、遠隔地という性質上、コロナ禍で不都合も生じている。
「今回ザイーさんが展示会のために3年ぶりに来日して、沢山の石を持ってきてくれました。検品すると、線が入っていて。アウトレット品で売ろうか迷っています」
研磨プレートが交換時期に来ており、どうしても線が入ってしまう。質の高い日本製の新品に交換したくても、小幡氏は渡航できない。さらに、コロナ禍でパキスタンが外国のものを受け付けなくなった。再開後も不定期で高値になり、交換できなかったという。

女性用の工房で研磨の指導をする小幡氏とザイー氏(写真提供:EARTHRISE)

 工房で研磨され、日本に届いた石は、日本の職人がジュエリーに加工する。
「現地でも、シルバーなら指輪を作れますが、品質は100円ショップより低いくらい。指馴染みする滑らかな加工技術はないし、不純物が混ざってお客様が金属アレルギーを起こしても困るので。ゆくゆくは、現地でも完全に作れるようにしたいです。でも、当面は石の仕入れと研磨をメインとして、石の透明性を高めると共に、雇用創出をしていきます」

工房で研磨した宝石。澄んだ色をして、光り輝いている(写真提供:EARTHRISE)

「どうして何でもくれるの?」小幡氏が目指す、雇用創出の在り方

 工房には現在、6,7名が働いている。当初から働いている人や技術を学んで独立した人もいる。学生の年齢に当たる場合、学校にも行ってもらうために、設立した奨学金制度から学費やかばん・文房具などの必需品の費用を出す。
「親から頼まれて、学校に行かずに職人になりたいと言う子もいますが、『まずは学業。学校が終わったら夕方、研磨の勉強に来てね』と。子どもの通学に親御さんも同意の上、契約書を交わします」
 賃金、食事の提供、学生には学費。「どうして何でもくれるの?」と不思議がられるが、それが、小幡氏の目指す雇用創出の在り方である。貧困による児童労働や物乞いという負の連鎖を断ち切るため、教育機会を設け、日常生活を送れる賃金を支払うのだ。
 ただ、研磨の仕事はすぐにできるようにはならない。地元で通用するレベルの技術を身につけるのに、最低半年かかる。
「最初は手厚いサポートが話題になり、沢山の人が来ましたが、落ち着きました。手厚いけれど、時間がかかるということで。一生懸命頑張っている子の未来を作ることを大切にしています」
 楽に稼ぐために途中で来なくなる人もいるが、その後を気にかけ、連絡を取り、本人が望めば工房に戻れるようにしている。工房は10年程度で黒字化したいが、2021年のタリバン復権に加えて、急速に進むインフレによる物価上昇で、時間がかかりそうだ。

女性用の研磨工房では、子連れで働く女性の姿も見られる。「働く女性が増えることで、家庭が潤う。子どもが物乞いをしなくて済むようにしたい」と小幡氏は語る(写真提供:EARTHRISE)

発展途上国・先進国という概念がなくなる未来を夢見て

 小幡氏のこだわりは、宝石の採掘から販売までの工程に留まらない。ショップバッグと封筒は、使用済みの点字用紙を用いて国内の視覚障がい者が手作りしたもの。結婚式の指輪交換で使うリングピローも、国内の障がい者就労施設で手作りしたものだ。話を聞くほど、商品に関わる全ての工程にこだわりと配慮を感じる。
 現在は、13か国から石を仕入れ、石の研磨はパキスタンを含む4か国で行っている。ジュエリーのデザイン、石の取引、検品、接客…多忙な中で、当初の目標である発展途上国とのビジネスに留まらず、国内も含めエシカルなビジネスを展開する理由を聞いた。
「将来的に、発展途上国や先進国という概念がなくなってほしいので、発展途上国を特別視していません。国にこだわらず、ビジネスをしています」
 発展途上国や先進国の概念をなくすために、小幡氏ができること。それは、良いなと思って購入した商品がエシカルで、エシカルが良いと思う人を増やせる素敵なデザインのジュエリーを作ることだ。寄付目的でエシカルな商品を購入しても、デザインや機能が気に入らなければ、続かない。
 EARTHRISEを憧れのブランドに成長させることで、エシカルな商品の認知度が高まる。その結果、様々な企業がエシカル商品を展開し、消費者は好みの商品を購入しやすくなると、小幡氏は考えている。
 発展途上国と先進国の概念がなくなるのは、いつになるだろう。その未来が1日も早く訪れるよう、小幡氏は、今日もスワート渓谷の職人が宝石を磨く様子を画面越しに見つめる。濁っていた石がキラキラと輝き出す。世界中の皆が笑顔に包まれる未来を、エシカルジュエリーが紡いでいく。

生産者の顔が見え、消費者も安心して購入できるエシカルジュエリー。今後、より普及していくことを願う(写真提供:EARTHRISE)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?