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親指ひとつで世界が変わるとでも?−3

3記事目....こんなに長くなるとは....
すみません本当にダラダラと...でも本当に僕の人生で一番くらいにアドレナリンが出まくった数日間だったので許してください。それでは参ります。

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随分岐阜を満喫した。別に旅の期限なんて設けてない"ノープラン"だったので、もちろん先に進みたいとは思うが、"立ち止まる事"これも醍醐味かなと思う。

...

とまぁ恰好良く言ってはみたけど、わかりやすく言ったらこうなる。
"金はねぇけど時間は腐る程ある"
こういう事。
何はともあれ僕らはヒッチハイクを岐阜は養老SAから再開した。
随分お世話になってもうそれは"マブダチ"になった女性からメッセージ付きの"幼児用ふりかけ"を貰った。
前日に「和菓子好き?」との問いかけは何だったんだろう...
謎は未だ深まるばかりだが彼女の独特なセンスと母性に魅入られた僕らは
また再び岐阜に訪れる事を胸に決めた。

養老SA。そこそこ大きなSAであり、関西方面への車も多いようだ。
だがなかなか捕まらない。苦戦を強いられていた僕らの前に現れたのは
福井を目指して東京からやってきたヒッチハイカーだった。
親近感やら色々な感情を持ちヒッチハイクを続けた。
待てど暮らせど止まる気配がない。バイカーの方々に励まされて何とか気を保っていられた。
場所を移そうか。そう思った矢先、後ろから声が掛かった。
「乗って行きます?京都まで。一人で寂しいんですよー」
僕らの前に救世主として現れたのは京都へ出張に向かう24歳の青年だった。
嬉しすぎて子供のように喜びの雄叫びをあげてしまった。
バイカーの方々からも祝福され、まるで24時間テレビのように脳内でサライが鳴り響いていた。
愛が地球を救うのかは知らんが、その青年に僕らは確実に救われた。


車内に"SURF"と書かれたモニュメントが置いてあるサーフィン未経験な彼とも色々な話をした。かなり自分にとってホットな話だった。

その青年は先月あたりから社長に出張を命じられ、地方の工場のとある機器を直して回っているという。所謂"昇格"であり給料も2倍近くは上がったが
月1度程しか自宅に戻れず、彼女にも振られてしまったそうだ。
必ずしも 昇給=幸せ という事ではないのを目の当たりにした。
京都は伏見に到着し、ちょうどいいところで彼と別れを告げた。


もう辺りも暗くなっていたが、行けるところまで行きたかった僕らは
京都にて「神戸方面」と書いたスケッチブックを掲げた。
だが初めての下道でのヒッチハイク。かなり苦戦を強いられた。

・通行する車のスピードが速すぎる
・辺りが真っ暗で車内の反応が全く見えない
・そもそもポジショニングが段違いに難しい

諦めと意地が半分半分。それでも掲げ続けた。
1時間程経った時、黒いワゴンが停まった。
窓から訛りのある日本語で
「一旦大阪に寄ってからでいいなら、神戸まで行きますよ!」
と声をかけてくれたのは台湾人の女性だった。僕らはまた子供のように喜んだ。

かなり気さくな中年女性(以後お母ちゃんと呼ぶ。)は、今日息子が大阪の実家から神戸に引っ越すらしく、荷物を運ぶ手伝いで京都まで行くみたいだった。
19で台湾から出てきて沖縄に20年程いた事。今年で大阪は8年目な事。
仕事先の19歳の女の子と中々そりが合わない事。それでも少しずつ話すようになってきた事。この歳になっても色々なことに挑戦したい事。次は英語を勉強したい事。
ものすごいアクティブだった。
いつまでもチャレンジをして行きたいと常に言っていた。
今の僕が思っている事を50歳近くなってもずっと思い続けていた。
これはとても素晴らしい事だ。人間就職、結婚、老化どんどん腰が重くなってくる。"安定思考"になってしまう。勿論安定が悪いことではない事は十二分に分かっているのだが、"成長欲求"を無くしてしまいがちだと思う。
 勿論1年だけだが就職していた僕も、"あのきっかけ"が無ければきっとずっと会社に居続けただろう。それとなく全力ではやるとは思うが、いつの間にかモチベーションが下がり、時間だけを浪費し、来月の給料日を待ち、休日は惰眠を貪り食うだけの人間になっていたかもしれない。
"慣れ"は恐ろしい。"現状維持"は衰退。"ワクワク"を忘れたくない。
お母ちゃんに出会えた事でそう強く思えた。
神戸で別れる頃には僕らの事を"友達"と呼んでくれていた。
別れ際の写真がこれだ。

見た瞬間0コンマ1秒で「いい写真。」だと素直に思った。
フジマルも誇らしげに「いい写真が撮れた。」と言った。

出発前には考えられないくらい
気付かないうちにフジマル自身も僕も急激なスピードで変わっていた。

神戸についた僕らはスケッチブックに"姫路方面"と書き、再び下道でのヒッチハイクに取り掛かった。時刻は21時過ぎ。
真っ暗だし土地勘のない僕らはさっきよりも大きな不安と戦いながら
スケッチブックを掲げていた。
当然の事ながらヒッチハイクは難航を極めた。今までで一番長い時間そこにいた。最悪姫路まで電車を使おうかとも思ったりして、乗り換え案内アプリで何度も終電の時間を確認した。
ふたりの口数もかなり減り、睡魔と疲れが同時に襲いかかってきた。
流石にやばいと思い、少しだけ場所を変えようと荷物を持って横断歩道を渡るところだった。

「乗りますー?姫路駅くらいまでやけど!」

そう僕らに声をかけてくれたのは音楽フェス帰りの若い女性二人組だった。

感情を露わにしてあられもなく喜ぶって、おそらく今までの人生で数えるほどしかしていない気がする。何ならあまり覚えていない。
そんな心を震わせる体験を僕らはこの2日間で何度も経験した。
冷静に考えるとめちゃめちゃ凄いと思うし大切にしなきゃなって思う。
言うまでもないがまた僕らは飛び跳ねて喜んだ。

看護師をしている彼女たちの名前は"あんにん"と"メアリ"。
勿論日本人である。少しイかれているだけ。
"さすが関西人"と言うべきか、はたまた"フェス帰り"だからだろうか、驚くほどテンションが高かった。
漫才を見てるくらいのスピード感で会話が転がっていった。
「いつもの帰り道やったら乗せてないかも。てか一人やったら乗せてないわ多分。あんにんと一緒やったからやわ。」
奇跡だと思った。普段ならまずこんな所には居ないんだから。
流石に時間が遅いので姫路が今日の限界だと思った僕らは、ゲストハウスを探していた。すると
「どうせヒッチハイクやってんねやったら切り詰めましょ!!」
とメアリ。
「うち...泊まっていきますー?」
本当にびっくりした。
危機回避能力がバグっている!!危なすぎる!もっとリテラシーを!etc
とtwitterに書き込んだら瞬く間に炎上しそうなものだが...

(話しはそれるが、女子高生がバイトして頑張って貯めたお金で車を買ったと言うツイートが炎上し、叩かれ、アカウントを削除してしまった件は本当に腹が立つ。社会人でも貯金をして車を買う事はたやすい事ではない。ましてや高校生では尚更だ。尊敬と称賛に値する。リテラシーだか何だか言う前にマナーとモラルをわきまえるのはお前らだ。)

すみません話を戻します。

彼女達は純粋無垢な"善意"で僕らに声を掛けてくれた。
「いやいや...」
「申し訳ないですって...」
「そうですか...?有難う御座います。」などと
日本人は3回は断るのがマナーとどこかのTVショーで言っていた気がするが
その時の僕らには本当に泣くほど嬉しくて。
「有難う」という感謝の言葉しか出てこなかった。
彼女達は楽しい雰囲気で僕達を招いてくれた。

人を駄目にするソファーで爆睡をかました翌日は朝10時に出発した。
ありがたい事に、あんにん&メアリが佐用町まで送ってくれるとの事だった。佐用町に着けばゴール最寄りまで汽車で一本の為、最後は汽車を使う予定だった。
だが最後の最後でハプニングは起こる。
兵庫はカンカンに晴れていて信じられなかったのだが
岡山は前日、浸水被害が出る程の大雨が降り、汽車が運行していなかった。
じゃあ最後までヒッチハイクとなるが佐用町は本当に人がいない。
って言うか岡山県県北は本当に人がいないのだ。
僕の地元もコンビニまで車で15分かかり、汽車は2〜3時間に一本の限界集落である。
困った。
だが人の善意って本当に計り知れないもので。
二人が「最後まで行きましょう!」と言ってくれた。
僕らはこの3日間で、普通に生きる何年分の善意を与えてもらったんだろう。与えてもらってばっかりだった。
だって相手には何のメリットも無いんだもの。そんな時間があれば、カフェでインスタ映えを狙う事も、ショッピングに行って新しいコスメを買ってみる事もなんだって出来る。でもわざわざ僕らに時間を割いてくれた。
堪らなく嬉しかったし、堪らなくありがたかった。感謝してもしきれなかった。
そして遂に岡山真庭市月田。僕の地元にたどり着いた。
二人は無人駅にびっくりしていて、誇れるものは何も無いはずなのに何故だかちょっとだけ誇らしかった僕はニヤニヤしていた。

こうして僕らのヒッチハイクが成功した。


この旅で出会ったみんなとはSNSだったり何かしらで繋がった。
フジマルに撮ってもらった写真も全部送った。
普通に過ごしてたら絶対出会わない沢山の人と友達になった。
全員と再開を約束した。

フジマルは翌日用事があった為、岡山に着いた6時間後の夜行バスに乗らないと行けなかった。連れ回してしまって何だか申し訳ない気持ちになったが、「全然いいよ!」って言ってくれた。

岡山駅。
フジマルが夜行バスに乗ってしまう前に、母親との写真を撮ってもらった。
よく考えたら今まであまり撮ったことがない。上京してからは1回もない。

バカな親でしょ?教育上良くないでしょ?
そりゃあこんな息子が産まれるわけだ。
心配もずーーーっと掛けっぱなし。26歳になって生まれて初めて母の日のプレゼントを送った。とっても遅いと思う。
でもそんな事一言も言わずに「ありがとう。」って言ってくれた。
こんな息子ではありますが、いつになっても息子とふざけてこんだけ笑ってくれる母さんを俺は誇りに思ってる。
太りすぎんなよ。絶対膝に来るんだから。
あと母さんがふらっと車の中で言った
「カフェとかやりたいなぁ」って言葉、俺が近いうちに叶えてみせるから。
待ってて。

そしてフジマルとの写真も撮った。

3ヶ月カメラ触ってなかったかもしれんけど、
熱が一回冷めちゃったかもしれんけど、

僕ら二人は最後にこんな笑顔で写真に映った。

僕は音楽で世界は変えられなかった。うまくいかなかった。
そんな僕でも今回"親指"を立ててヒッチハイクをしてみたら
自分の世界は180度変わった。
「じゃあ次はあなたの世界を僕が変えてみせる。」
なんて言うのは無理な話だと思う。キャパオーバー。
でも僕は、僕の手が届く人だけは、僕と接している時だけは
その人を笑顔にする自信がある。そうして生きたいって思う。

親指ひとつで世界が変わるとでも?

変わるとも。自分の半径30cmくらいの世界は変えられたよ。

転がっていく石ころみたいに、削れて自分の姿が変わっていくと同時に
違う場所に身を置いて、色んな景色を見て。

削れて削れて小さくなって、無くなってしまうまでずっと転がり続けたい。

そして出会う人、このnoteを見てくれた人の頭の片隅のまた片隅に

僕が居られれば良いなと思います。

長くなりましたが、最後まで見てくれた方、本当に有難うございます。
またどこかで会いましょう。


親指ひとつで世界が変わるとでも?

変えるんだよ僕らの指で。

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