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三組目はいらない

 2019年大晦日、例に漏れず、我が家もNHK紅白歌合戦を見ていた。妹が金爆の樽美酒推しなせいで、テレビは紅白とSASUKEの反復横跳びを強いられ、私はKing-Gnuのパフォーマンスを見そびれてしまった……。非常に残念なことだ。『紅蓮華』と『白日』の共演を楽しみにしていたのだが。

紅白歌合戦と新しい時代 

 毎年、紅白歌合戦では、革新的なパフォーマンスが行われ、その度に新しい時代が来るのだなぁと感じる。特に、最近の紅白では、お笑い芸人さんのコントなどが挟まれることが多い。今回の総合司会はLIFEでおなじみの内村さんだったので、お笑い好きのひとりとして心から楽しんでいた。次はコバヤシケンタロウTVとシャキーン繋がりでラーメンズのお二人が出演してはくれないものだろうか。

 閑話休題。Twitterでも話題になっているとおり、今回の紅白の目玉は、氷川きよしさんの紅組と白組の境を超越したパフォーマンスと、MISIAさんのレインボーフラッグを掲げた星屑スキャットの皆さんとの共演ではないだろうか。あの光景を、よりにもよって天下のNHKが放送している。そのことに対して、「何かが確実に変わり始めている」と感じた人も多いことだろう。

 我が家でも、父も母も二組のパフォーマンスに対して好意的な反応を見せていて、私は安心した。「なんだ、気持ちが悪い」とでも言われたら、私はきっと、心をずたずたにされるような思いを味わったに違いない。私は虹色の旗を表立って掲げることはしないけれど、虹色のことは嫌いではないから。母は氷川さんについて「今の方がずっとキラキラしている」と我がことのように喜んでいた。

 今はマイノリティとして扱われている人びとが、見世物としてではなく、隠すべき存在でもなく、好意的に舞台上で受け入れられている。液晶の向こう側の風景は、我々にとって、いや、私にとって、福音だろうか。

残るわだかまり 

 個人的には、今回の試みは喜ばしいと思う一方で、これからも社会は変わり続けねば、変えようとせねばならないと感じた。氷川さんの性別に囚われない、自分の理想を体現とする姿も、MISIAさんの愛の力と歌はあらゆる隔たりを超越するというメッセージも、多くの人に勇気と喜びを与えたに違いない。しかし、私はレインボーフラッグの演出にどこか引っかかるものを感じてしまった。

 私がひねくれているだけかもしれない。もともとMISIAさんはレインボープライドに関わる活動をされていたとも聞くし、彼女がこのような演出を選ぶのは必然なのかもしれない。だが、私には出演者がレインボーフラッグを掲げる光景を見ながら、これでゴールだと思われはしないだろうかと不安に思ってしまった。「仲間に入れてあげたよ、これでいいでしょう?」という副音声が聞こえたのは私だけだろうか。これはMISIAさんに対してというより、この演出を紅白に取り込んだ制作サイドへのもやもやだと思う。

 私が恐れているのは、紅組や白組に分類されない人びとも出演できるように、桃組を作ろう!といった、的外れのお気遣いだ。社会人の姉に聞いた話だが、最近の職場では、「彼氏はいないの? あっ、もしかして彼女だったりする?」という『ありがたいお声がけ』があるという(そもそも恋人の有無を聞くのがナンセンスだが)。私が求めているのは、「普通じゃない皆さんのこともきちんと考えていますよ」というアピールではなく、あらゆる属性の人びとが「普通」として扱われることだ。

 三組目はいらない。氷川さんのように、思うがままの振る舞いが許され、どこに属することも容認される社会になってほしい。DJ OZMAが大胆なパフォーマンスでバッシングされたあの日に比べれば、紅白の舞台も、社会そのものも、よほど自由になったと思う。でも、まだ足りない。

 私は、教室のすみっこで「一緒に遊んであげる」と誘われるのを待つか弱い少女ではない。遊び場も生きる場所も自分で決める。好きになる相手も、着る服も、全部、ぜんぶ。言いたいことがありすぎてとっちらかってしまったけれど、「仲間に入れてもらう」社会じゃなくて「仲間になる」社会であってほしい。仲間にならなくてもいいから、せめて、お互いがわかりあえなくても、存在を認め合う世界を作りたい。今年の大晦日はどんな風景が見られるだろうか。少々気が早すぎるかもしれないけれど。

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