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【小説】ある駅のジュース専門店 第14話「帰り道」

「ねぇ。『ある駅のジュース専門店』って噂、知ってる?」
 大学の昼休みの時間、私は友人にそう聞かれた。
「う、うん。知ってるよ。無人駅の噂でしょ? 電車に乗ってたら知らない無人駅に着いちゃって、その駅の中には一軒のジュース屋さんがあって……みたいな感じのやつ」
「そうそう! 最近気になっててさー」
 友人は楽しそうに顔を綻ばせた。
 「ある駅のジュース専門店」とは、いつの間にか巷で話題になっていた都市伝説のこと。いわゆる「きさらぎ駅」のような、この世に存在しないはずの駅にまつわる噂である。
「駅だから、最初は電車に乗ってたら着いちゃったっていう話が多かったんだけど、今はバスとか車でも辿り着いた人がいるんだって」
 友人が見せてくれたスマホの画面には、「ある駅のジュース専門店」の噂がまとめられたサイトが表示されている。
「へぇ……なんか、行ける手段が広がってるね」
「やっぱりそう思うでしょ? 私バスで帰ってるからさ、もし知らない駅に連れて行かれたらと思うと怖くなっちゃって」
 怖いと言う割には口角が上がっていて、遠足を心待ちにする子供のような、何かを期待する表情に見える。
「私もバスだから怖いんだけど……でも、ただの噂なんでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどね。でも、ただの噂ならこんなに体験談が多く投稿されてるのって変じゃない? いずれ口裂け女みたいに一世風靡して、社会現象を巻き起こす都市伝説になるかもよ」
「社会現象か……噂ってすごいね」
 ただの噂でも口裂け女や怪人赤マントのように長きに渡って囁かれ続けるものもある。「ある駅のジュース専門店」も、将来そうなるのかもしれない。
「あ、私もう次の教室行かなきゃ。じゃあね!」
 友人は椅子から立ち上がり、ひらひらと手を振って去って行った。

 授業が終わってバスに乗り込む時も、友人と話した「ある駅のジュース専門店」の噂が頭にこびり付いて離れない。
(嫌な噂聞いちゃったな……バスに乗ってても安心できないじゃん……)
 ただの噂だと思っていても、噂の中に電車やバス、車など身近な乗り物が登場すると、いつか自分の身にも起こるかもしれないという考えが頭によぎってしまう。
(無事に着きますように……)
 私は鞄を抱え、祈るように俯いて座っていた。

 バスは無事に自宅近くのバス停に到着した。当たり前のことなのだが、あの噂を気にしていたのでほっと肩を撫で下ろす。
 バスから降りて通り慣れた道を歩く。もう日が沈みそうだ。空はオレンジ色の光を西へ追いやるように、紺色に染まり始めている。
 住宅街に入ってしばらく歩いていると、おかしなことに気がついた。
(あれ? こんなに遠かったっけ……)
 いっこうに家に着かないのだ。歩いても歩いても似た景色が続き、追い打ちをかけるように空が黒くなっていく。街灯の明かりがぽつぽつと並び、周りの家々の輪郭すら見えなくなるほどに暗くなる。
「え、何これ……」
 だんだんと心細くなってくる。夜になるのがあまりにも早い。暗闇に包まれながら、街灯の明かりを頼りに進んでいく。
 前方に白い建物が見えた。入り口の上で漢字らしきものが三つ書かれた看板がぼんやりと光っている。文字のうち二つは全く読めなかったが、一番右側の文字は「駅」だった。
{え、駅? こんなところに駅なんてあったかな……あっ……)
 昼間の噂を思い出してしまった。でも、あの無人駅は電車やバス、車に乗っている時に現れるのではなかったか。まさか、歩いている時に現れるなんて。
 考えを巡らせるうちに、駅の入り口の奥が突然ピンク色に光り始めた。白い蛍光灯で光っていたはずの駅名看板が、いつの間にかピンク色のネオン看板に変わっている。ベリーのような甘い果実の香りが強く漂ってくる。
「え……っ」
 早くここから離れなければ。直感がそう警鐘を鳴らしている。だが気持ちとは裏腹に、ずり、と片足がアスファルトを擦って前に出る。もう片方の足も前に進む。
「え、ちょっ……」
(なんでそっちに行こうとしてるの、早く、逃げないと……)
 後ずさろうとしても体が前に前に進んでいく。まるで無理やり足首を掴まれて引っ張られているようだ。
 駅の入り口が眼前に迫る。目が痛くなるほどに眩しいピンク色の光が目に飛び込んでくる。甘い香りがいっそうきつくなる。
「嫌……行きたく、ないっ……」
 ぐっと両足に力を入れて踏ん張ってみるが無駄だった。足が勝手に前に進んでしまう。緩い階段を上り、甘い香りが漂う入り口へ。
(やだ……っ)
 入り口の枠組みにしがみつく。体がひどく重い。必死に枠組みを掴んでいても、指が一本ずつゆっくりと剥がされていく。
「遠慮しなくて良いんですよ? お客さん」
 ピンク色の光の奥から声が聞こえる。性別は分からないが低めで、気怠げで、ぞっとするほど艶めかしい声。
「入らない……絶対入らない……っ!」
 震える声を張り上げると、くっくっと喉の奥で笑いを堪える音がする。
「つよがり」
 瞬間、両足が勢いよく引っ張られて入り口の奥に引き込まれた。
 悲鳴が出た。「きゃー」という可愛らしいものではなく、「わぁぁあ」か、「ぎゃあああ」に近かったように思える。
 そこから私の意識は、ふっつりと途切れている。

 気がつくと、アスファルトの上に倒れていた。
「ん……」
 身体をゆっくりと起こして辺りを見回す。あの駅は無い。夜が深まってもいない。日が沈んだばかりの、いつもの住宅街だ。どこかの家からできたての夕飯の香りがふわりと漂ってくる。
 今のはいったい何だったのだろう。夢? しかし、喉の奥にはあの時嗅いだ甘い香りが確かに残っている。
 私は首を捻りながら立ち上がり、服についた砂利を払って家に帰った。

 次の日、友人にこの体験を話すと目をきらきらと輝かせていた。
「えーっいいなぁ……怖いけど私も体験してみたい」
「危ないし、もしかしたら今日あたり狙われるかもしれないから体験したいって言わない方が良いよ」
「今日狙われてもいい! 中がどうなってるか見たいじゃん」
「やめて、ほんとに。興味を持つな」
 とにかく全力で止めておいた。もし次の日友人と学校で会えず連絡もつかなくなったら、という心配からである。

                〈おしまい〉

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